勉強会に参加したのは筆者も含め3人。7月25日(木)の午前中、約2時間をかけてなかなか中身の濃い学びができた。
焦点は「千年王国」であったが、それだけにこだわらずなるべく広く浅く「終末」に関わる疑問や関心を話し合った。
(※ちなみにこの三人はもともと同じ教会グルーブに属し、かつては何回か神学の勉強会をした仲である。)
さて今回の勉強会では「千年王国」に多大な関心を寄せるK氏にメインの発表をしてもらい(と言っても20分ほどの短いプレゼン)、筆者が応答するという形をとった。
この記事には内容の詳述も紹介もしない。
と言うのもK氏はもともと「携挙」やそれに伴う「レフト・ビハインド」のイメージにかなり影響を受けてきたのが、前述したとおり大きく改変中の最中である。
「罪から救われて後は天国行き」のような「あの世」的キリスト教のパラダイムで生きてきたのが、ライトのような「この世」で積極的に生きるキリスト教のパラダイムに転換しつつあり、その文脈の中で「千年王国」の重要性に気づいたという経緯がある。
しかし筆者の方はと言うと、前述したように(本末転倒したようなと思える)終末論諸説を忌避し距離を取ってきた。
つまり、両者とも終末論に関しての聖書知識にしても、神学的把握にしても浅薄な段階ではまともな議論は無理だと思うのである。
(終末論に関して)知るべきことのせいぜい2~3割程度の者たちが勉強会でできることと言えば、幾らかでも大胆に自分の無知さ加減や疑問を披歴し、有益な著作や情報源を交換し、そのようにして今後の研鑽を相互に促すことだろうと思う。
K氏に関しては現時点での「千年王国」に力点を置いた「終末論」を自身のブログに掲載しているのでそれを参照されたい。
筆者の方でここに提供しておきたい資料としては、
①G.B.ケアード、Jesus and the Jewish Nation.
割合短い論文だが、イエスの神の国宣教がイスラエルという民族国家を対象にした迫りくる国難回避の一大キャンペーンの性格のものであったことを論証している。
②Oskar Skarsaune, “Jewish Christian Sources Used by
Justin Martyr and Some Other Greek and Latin Fathers.” P. 412. Ch. 13 of Oskar
Skarsaune and Reidar Hvalvik, eds. Jewish Believers in Jesus. Hendrickson,
2007
近年、初期キリスト教史における「ユダヤ人キリスト者の影響」研究が盛んになってきた。オスカー・スカルサウネは以下の様に「メシア王国」への期待がオリゲネスの時代以降にも生き残っていたことを例証している。
Having surveyed the material in Justin and Irenaeus in this brief fashion, it remains to add some words on the development of the millennial tradition more generally. I use “millennial” here in a rather loose sense, and should perhaps talk about “literal fulfillment of the messianic prophecies on this earth” as the topic of primary interest in our context. Whether this fulfillment is conceived to take place according to a one-step eschatological model (life eternal taking place on earth, and being inaugurated at Christ’s return), or a two-step model (a millennial period on earth prior to life eternal) is of less importance. According to both models, fulfillment of messianic prophecies is taken to be both literal and earthly, with a renewed (earthly) Jerusalem in its center.
From Origen onwards, this way of thinking about the realization of the biblical prophecies was branded “Jewish.” Such was the influence of Origen that most of the Fathers followed him in his denunciation of “Jewish” eschatology. “Millennialism” was gradually marginalized. It did not disappear, however, and may have been stronger “on the ground” than our rather selective sources will make us believe. ……In the latter half of the fourth century, Jerome quoted and combatted a strikingly Jewish interpretation of messianic prophecies that amounted to a remarkable millenarian scenario in which the millennium would be the messianic reign of Christ among a restored Jewish people in Jerusalem. Jerome’s unnamed source for this is probably Apollinaris of Syrian Laodicaea.
以上でひとまず終了することとする。
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