朗読箇所 エペソ人への手紙 5:7-14
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
2021年5月29日土曜日
明日の礼拝案内
朗読箇所 エペソ人への手紙 5:7-14
2021年5月22日土曜日
明日の礼拝案内
ペンテコステ主日礼拝
朗読箇所 使徒の働き 2:1-4
2021年5月15日土曜日
明日の礼拝案内
主日礼拝
朗読箇所 使徒の働き 1:9-11
2021年5月8日土曜日
明日の自宅礼拝ガイド
※「緊急事態宣言」のため会堂での礼拝を中止します。
主日礼拝
2021年5月9日(日)
賛 美 主のことばの光のうち 527番
1.主のことばのひかりのうち ゆくもののこころに
主はしたしくやどりたもう ただきみにまかせよ
まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
2.みかおのえみかがやくとき くもはみなきえゆき
まどいもなくおそれもなし ただきみにまかせよ
まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
3.主はわれらのためにかわり みなせおいたまえば
おもにもなくうれいもなし ただきみにまかせよ
まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
4.ながすべてをささぐるとき 主はめぐみゆたかに
よろこびもてみたしたまわん ただきみにまかせよ
まかせてしたがいなば 主はながみちをしゅくしたまわん
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「主のことばの光のうち(歌詞表示なし)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=i6Qj1ynNnJI
聖書交読 詩篇59:10-13
使徒信条
聖書朗読 コリント人への手紙第二 6:13
静思祷告
黙 想 「心を広くして」
主の祈り
【解説】
今日は母の日です。親子のコミュニケーションということを考えてみたいと思います。
先日『カルトの子』というルポルタージュ風の本を読みました。オウム、統一、エホバの証人、ヤマギシ会、などの宗教集団で育った子供たちの追跡調査をまとめた本です。これらカルト教団に共通しているのは子ども連れで組織に入った家族は分離させられ、子供たちが「世話係」の大人に虐待され、その後(親の愛情を得ずに育ったことから来る様々な)後遺症に悩まされ歪んだ人生を歩んでいることが多いことだそうです。
今日の箇所で使徒パウロはコリントの信者たちに「真剣に」語る姿勢を「子供たちに語るように」と言っています。
私は子どもたちに語るように言います。私たちと同じように、あなたがたも心を広くしてください。(Ⅱコリント 6:13、新改訳2017)「ガチで」という表現を最近見受けますが、大人同士の「大人しい」礼節を弁えた「社交的」な会話ではなく、ホンネで語る場面としてパウロは「子供たちに語るように」と言っているのではないでしょうか。
宗教組織に夢中になって子供を放り出すような(カルト教団の)親のようなことは論外ですが、時を捉えて真剣に向き合って語り合ってくれる親が子供には必要です。その時パウロの言うように「心を開いて」子供の反応をしっかり受け止められるようにすることが大事なのではないでしょうか。
2021年5月1日土曜日
明日の自宅礼拝ガイド
※「緊急事態宣言」のため会堂での礼拝を中止します。
主日礼拝
2021年5月2日(日)
賛 美 目にはみえねど 139番
※YouTube動画を利用できる方は、以下のリンクで「目にはみえねども(歌詞表示あり)」の演奏をご利用ください。
https://www.youtube.com/watch?v=rLvU3dw99tE
聖書交読 詩篇59:6-9
使徒信条
聖書朗読 ヨハネの福音書 4:46-54
静思祷告
黙 想 「信じて帰途につく」
主の祈り
【解説】
福音書のエピソードから黙想のトピックを選んでみました。
このヨハネ福音書のエピソードでは、息子が死にそうになり、カペナウムからカナにいたイエスのもとに助けを求めに来た会堂司のことが取り上げられています。
父親としてはイエスに一緒に来てもらって息子を助けてもらいたい、と思ったことでしょう。あるいはそうしないと助からないと考えたのかもしれません。しかし、
イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。(ヨハネ 4:50、新共同訳)この父親はこのイエスの言葉に不思議に力づけられ、その言葉を信じて帰途につきました。その途次、迎えの者が息子が直ったことを伝えました。父親は息子が直ったという時刻を確かめてみると、イエスが「あなたの息子は生きる」と言ったその時刻であったことを発見しました。
わたしたちの「信仰」を考える時、実に様々な助けや期待を祈りの中で訴えていることと思います。しかし、多くの場合、「答えがない」中で祈り続けることが多いのではないかと思います。
私たちは祈りの「結果」を求めます。しかし「結果を見たから信じる」のか、まだ「結果を見ずに信じる」のか、それが問われているのではないでしょうか。
イエスの言葉を信じて帰途についた会堂司の父親から私たちの信仰を省みてみましょう。