2012年11月20日火曜日

主に神学ブログ 序

先日「日本のクリスチャンブログ」と言う記事を投稿した。(ここ

中澤信幸牧師の中澤信幸的なクリスチャンブログ・ベスト10にいささか触発されて書いたわけだが。

その後中澤牧師からコメントを頂いた。

ぜひ、やってくださいよ、「小嶋牧師的クリスチャンブログ・ベスト10」。
と言うことであった。

暫く考えていたのだが、何せ「ベスト10」とか銘打つには余りにも巡回している日本語圏の「クリスチャン・ブログ」の数が少なすぎる。
少し違った切り口からでないと無理だな、と考えていた。

それで「聖書や神学」の話題が多いブログに絞ろうと思ったわけである。

とは言え「クリスチャンブログ」の中で「聖書及び神学」のトピックに専門化したブログが果たしてあるかと言うと、当方の情報不足もあり今のところなかなか見つけられないでいる。

いきおい自分が普段巡回しているブログを中心に紹介するこことなるだろう。

と言う訳で日本のクリスチャンブログ事情を少しリサーチしながら連載(になるといいんだけど)してみようかと思う。

何分最近は更新が滞っているのでゆるいペースになると思うが、お付き合い願えれば幸いである。

当分の間、自分がある程度知っていて巡回しているブログと、リサーチしながら見つけ出したブログを交互に紹介していければ、と思っている。(やりだしてから変わるかもしれないが。)

なお始めるにあたってお断りしておくと、中澤牧師が選んだブログで、筆者も良く知っているブログを取り上げないかもしれないが、それは「選に漏れた」と言うようなことではない。

最初に言ったように「聖書や神学」を主な話題としているブログに絞った結果だ、とご容赦願いたい。


2012年11月17日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月18日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:11-18
説 教 題 「主イエス・キリストの恵み」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(96)
ガラテヤ人への手紙(84)
・6:11-18 締めくくりの言葉
(A) 6:11-13 割礼を受けさせようとする者たち 
(B) 6:14-17 大事なのは新しい創造
(C) 6:18   最後の祈り

2012年11月14日水曜日

オウム真理教ノート 2012/11/14

オウム真理教に関しては三ヶ月振りくらいとなる。

読書の秋と言うことで最近また図書館に本を借りに行く機会が増えた。
村上春樹のものをまた読んでみようと思ってたまたま書架にあった「アンダーグラウンド」を借りてきた。

地下鉄サリン事件に遭遇した市井の人々の中から何とかインタヴューに応じてくれた人60人の「物語」である。
700ページ弱に及ぶインタヴューの一つ一つを読むのはそれほど苦痛ではなかった。

最後に村上自身が「地下鉄サリン事件」に対する、またこの本を企図した背景などをまとめた文章が載せられている。
さすがに文筆家、平易な文章でサリン事件の意義を掘り下げている。

村上がこのような本を企図した背景には、マスコミの事件の取り上げ方が一方的で、一面的なものであったことに対する違和感があったようだ。
オウム真理教は「悪」で、その被害に遭った市民、そして「私たち」は「善」と言う二分項的ないささかステレオタイプな処理の仕方に「これで果たして事件を終わらしていいのだろうか。風化させてしまうのではないだろうか。」と危機感を持ったみたいである。

オウム真理教ノート 2012/7/23で、森達也の『A』を取り上げたが、これも事件を別の視点から見てみようとするもので、その意味で村上の違和感と相通じる問題意識を背景としていると言えるだろう。

村上は巻末の「目じるしのない悪夢」--私たちはどこに向かおうとしているのだろう?で「自我の欠損」とそれを補おうとする「物語」の視点からオウム真理教と教祖麻原彰晃のことを書いている。
麻原彰晃という人物は、この決定的に損なわれた自我のバランスを、一つの限定された・・・システムとして確立することに成功したのだろうと思う。・・・彼はその個人的欠損を、努力の末にひとつの閉鎖回路の中に閉じ込めたのだ。(中略)
 オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我と言う貴重な個人資産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。(698-699ページ)
村上が見るところオウム真理教が投げかけている問題は「物語」と言うことだ。
 それがオウム真理教=「あちら側」の差し出す物語だ。馬鹿げている、とあなたは言うかもしれない。・・・
 しかしそれに対して「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
 これはかなり大きな命題だ。私は小説家であり、ごぞんじのように小説家とは「物語」を職業的に語る人種である。だからその命題は、私にとって大きいという以上のものである。(703-704ページ)
収録された60人の物語の中で特に重い後遺症を負った「明石志津子」さんと、亡くなった「和田栄二」氏夫人「和田嘉子」さんのインタヴューは村上にとってひときわ印象深いものだった。
その和田嘉子さんの記事の中にこういうくだりがある。故人の記憶をビデオで思い出そうとしている、と言うくだりだ。
 少しはビデオとかも残っています。スキー旅行の時とか、ハネムーンのときとかに撮ったやつですね。 そういうのは声も入っているから、もうちょっと大きくなったら[子どもに]見せてあげようと思っています。(中略)私も段々この人の顔の輪郭とか、思い出せなくなってくるんです。特徴があって、この人ね、眉のところのホネが角ばっていたんですよ。そういうのがね、最初の頃は手でこうやってなぞっているとね、はっきり思い出せたんです。それがだんだん思い出せなくなってきて・・・・・
 ごめんなさい。なんか・・・・・
 なんか・・・・・、肉体がないと・・・・・、肉親でも思い出が薄れていっちゃうんですね。肉体ないとね・・・・・。
喪失感が二重(肉体とその記憶)に迫ってくる部分だ。

記憶と言えば「私たち」と「地下鉄サリン事件」の関係はどうだろうか。
収録されたインタヴュイーの中にも事件のことを忘れ去ろうとしている人は少なからずいたようだ。
事件に遭遇せずマスメディアの記事として触れた大方の「私たち」はどうだろうか。

村上はサリン事件被害者に事件を物語らせることによって、それをよすがにして、忘れ去るのではなく記憶することを促しているようだ。
それは「私たち」現代日本を生きる者のアイデンティティーが漂流・喪失することに歯止めをかけ、事件を物語ることによって生ずる癒しを期待してのことなのだろう。

筆者はなぜ「オウム真理教ノート」を続けているのだろう。
別に自分の物語の中に取り組もうとしているわけでもないのだが・・・。

今のところまだこれと言った目的も動機もないが、まだ暫く続けていこうと思う。


2012年11月11日日曜日

最近購入した本

段々書棚も一杯になってきて、ここ1,2年に買った本は、机の上や床の上に放置されるようになってきた。
と言うことで新しい本を買うのはいささか控える傾向にある。

とは言っても全然買わないわけにも行かない。
暫く買わなかったがもう買う頃だ。

と言うことで今日紹介する本をアマゾン(米国)に注文した。
それまでは注文してから3週間くらいで到着していたと思うが、今回はどうしたわけか6週間もかかってしまった。

N. T. ライトのものは継続して買っているが、前回はHow God Became Kingを初めてキンドル版で購入した。
このプログでも紹介したがフェイスブック上での読書会用である。
How God Became King 読書会

HGBKのコンパニオン・ボリュームのようにして同時期に発刊されたのが、
N. T. Wright, Simply Jesus: A New Vision of Who He Was, What He Did, and Why He Matters.
である。

さすがに今回はキンドル版はやめた。
やはり読み返したりする時不便なのである。
紙媒体の方があっちこっちランダムに移動する時格段に楽だ。

ライトのものはもう一冊購入した。
N. T. Wright, Evil and the Justice of God.
献呈の辞が
In memory of those who died
in New York and Washington on September 11, 2001,
around the Indian Ocean in December 2004,
in New Orleans and the Gulf Coast in August 2005,
and in Pakistan and Kashmir in October 2005
となっているように、巨大スケールでのテロや天災を目撃した現代人の脳裏に去来する「悪の問題」を取り上げたタイムリーな本だ。

この本でも参照されている

Miroslav Volf, Exclusion & Embrace: A Theological Exploration of Identity, Otherness, and Reconciliation.
は筆者にとって2冊目のヴォルフの本だ。

William J. Abraham, The Logic of Evangelism.
はスコット・マクナイトの「キング・ジーザス・ゴスペル」が展開している“新しい”福音観とどの程度親和性があるか、ちょっと気になって購入してみた。
聖書的『福音』観ー二派に分離?でもちょっと述べたが、「(個人的)救い」を中心とする「福音」の見方に対してよりナレーティブな聖書理解に基づく「福音」の見方が新約学者の中に出てきている。
神学者であるアブラハムは「福音」に対してどのような切り口を持っているのかこの本から見てみるつもりだ。

Henri J. M. Nouwen, The Wounded Healer: Ministry in Contemporary Society.
は筆者にとって(意外に思われるかもしれないが)初めてのナウエンである。

ナウエンの名前は大分前から知っていた。
日本でも暫く前から多くのクリスチャンに読まれていることも知っていた。
しかしなぜか関心を持てなかった。

早速読み始めているが、簡潔な英語の文章に知性と温かみがこもっている、そんな印象である。


もう一冊
Henri J. M. Nouwen, In the Name of Jesus: Reflections on Christian Leadership. を注文したのだが、こちらは在庫切れだった。

Charles R. Ringma, Catch the Wind.
こちらは、「ヨーダー読書会」の三冊目のテキストである。「イエスの政治」「社会を動かす礼拝共同体」に続くものだが、「教会の変革」を示唆する本である。

以上6冊が新たに加わり、積読状態、途中まで読んだ状態の本たちと筆者の関心を引こうと競うこととなる。

2012年11月10日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月11日 午前10時30分

朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 6:11-18
説 教 題 「神のイスラエル」
説 教 者 小嶋崇 牧師

《講解メモ》
パウロ書簡の学び(95)
ガラテヤ人への手紙(83)
・6:11-18 締めくくりの言葉
(A) 6:11-13 割礼を受けさせようとする者たち 
(B) 6:14-17 大事なのは新しい創造
(C) 6:18   最後の祈り

2012年11月7日水曜日

尹東柱 詩の朗読会

二十七歳で獄死した
韓国の国民的詩人・尹東柱を謳う
(尹東柱、立教大学時代、1942年)

朗読:
女優 松岡みどり
チョン スソン(韓国語)
ペ ミヨン(韓国語)

特別出演
ビオラダガンバ演奏 品川聖 


日 時:2012年11月23日(祝・金)
    午後1時30分開場、2時開演
場 所:巣鴨聖泉キリスト教会
入場料:3000円(飲み物付き)

◎問い合わせ TEL/FAX 03-3392-2205
jadehottaer(アットマーク)i.softbank.jp

会場アクセスはここをクリック 
   

2012年11月3日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

11月4日 午前10時30分

朗読箇所 ヨハネの福音書 13:1-20
説 教 題 「捨て身の愛」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。