主日礼拝
4月29日 午前10時30分
朗読箇所 ガラテヤ人への手紙 5:16-26
説教箇所 ガラテヤ人への手紙 5:22-23
説 教 題 「御霊の実」
説 教 者 小嶋崇 牧師
《講解メモ》
パウロ書簡の学び(81)
ガラテヤ人への手紙(69)
・5:16-26 霊と肉
(A) 5:16-18 御霊によって歩む
(B) 5:19-23 肉の行いと御霊の実
(C) 5:24-26 新しい歩み
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
この「感性」が筆者の説教には欠けていると思う。説教箇所から命を汲み取る感性だけでなく、日常生活から命を汲み取る感性が説教者には必要であり、時代を知る感性、会衆の抱えているものを掴む感性から得られたものが織り合わされていく中で、説教が生み出されていくように思えます。一週間のリズムの中で牧師が先週の生活の中での恵みを生き生きと語り、一週間準備した御言葉の命を汲み取って語ることはどちらも必要なように思えます。
信徒の方からの訴えによれば、・・・、説教という名目で、実質は証しや講話や世間話なのであります。・・・ある牧師は、御言葉の解き明かしとは別の内容の話を、「説教」と称して、ミサイルのごとく講壇から会衆に向けて発射しているそうです。②聖書からの逸脱
発射台は聖書の言葉なのですが、その軌道は発射直後から、逸脱してしまうのです。聖書の言葉が意図することとは別のお話しが始まります。しかも、聖書のテキストに従った展開、構築、一貫性などがなく、某国のミサイルが10個の破片に分解したように、その説教は、いつくもの断片に分解。そして、その名目上の説教はミサイルのように発射後、1分程度で、会衆の心に届く前に海に沈没。③説教者の孤立化、制裁、交代
旧約聖書のストーリーがイエス・キリストのストーリーにおいて完結した、ことを指すものであり、それは「イエスはメシヤ・主・救い主」として宣言することであるとしても、それでは私たちの救いにはどう関わってくるのか。
キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。(Ⅰコリント15章17節)