皆さんご存知先日可決した「特定秘密保護法」ですが、国会周辺に集まったデモの人たちを「テロ」と見立てた自民党石破幹事長の発言はまだ耳新しいことと思います。
「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」と書いたブログ記事は、その後削除され訂正記事が投稿されている。
そこでは、
「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。と説明し、「テロ」と言う表現を引っ込めた(リンク)。
少し興味を惹いたので一つ二つツイートしたが、改めて「テロ」の定義を考えさせられた。
そうしたらまた別のことで「テロ」という言葉にぶつかった。
あえて曖昧な描写にする。
と言うのもこの「事件」はなかなか客観的に捉えるのが難しそうだし、その内容よりも「テロ」と言う表現に触発されてのことなので。
日本のとあるキリスト教系メディアに関する「事件」でのことだ。
あるブロガーがこのメディアをあることで批判・追及し裁判となった。
最近その判決が下りた。
ブロガー氏の敗訴だ。
メディアの方はそのことを記事に取上げ、ブロガー氏の「サイバーテロリスト」としての活動を改めて印象付けた。
ここでも「テロ」が出てくるわけだ。
3番目は、つい先日亡くなったネルソン・マンデラ氏についてのことだ。
世界中がマンデラ氏の訃報に触れて、故人を称えるコメントで終始しているのをある方がちくりと批判した。
ここでも敢えて名前もリンクも出さないことにしよう。
北米最大プロテスタント教団の有名人物のブログ記事にその批判を含んだ教訓的記事が出ている。
一言で要約すれば、
マンデラ氏は偉大な指導者としての業績を残したには違いないが、彼の人生を冷静に総括すれば、その政治的出自において、「テロリスト集団」に属し、そして事実彼は「テロリスト」であった。と言うものである。
「テロ」と言う表現は、石破発言のように多少レトリカルに使っている場合もあれば(※訂正記事ではそのような説明になったが、案外本気でそう思っていたと取る事もできるかもしれないが)、「国家」とか「政治」に殆んど関係なく、ネット上の個人攻撃を非難する時に使われてもいるようだ。
特定秘密保護法でも、石破発言によって改めて「テロリズム」の定義の難しさが浮き彫りになったばかりだ。
厳密に「国家」を威嚇する暴力的行為としてのテロリズムをはるかに越えた「日常的」場面でも、結構簡単に「テロ」という表現が使われるようになっている。
それが現状なのかな、と思わされている。
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