2013年12月20日金曜日

(5)特秘法 落ち穂拾い

久々の「難易度5」です。

断って置きますが、今回の場合は筆者が『特定秘密保護法(以下「特秘法」と省略)』(特秘法全文)について余りよく知らないために、ここで書くことは中途半端な感想でしかないために、読者にとっては筆者の意図とか内容とかを把握するのが難しいだろうなー、と言う意味で「難易度5」です。

そもそもあちこちで「法案反対」ののろしがあがり、国会前でのデモがニュース映像で流れるようになるまで、筆者はこの法案に対してほぼ無関心、無頓着でした。

国家安全保障体制(NSS)整備の一環として、特に同盟国アメリカからの「インテリジェンス供与」を受けるための法整備として、現行の国家公務員法を上回る厳罰を伴うもの、が目指されているらしいことを、今頃ニュー・ヨーク・タイムズ(10/30記事11/29記事)で読んでいる体たらくであります。

そんな具合ですから、特定秘密保護法案に反対する牧師の会の賛同署名活動の案内が回ってきても、反対理由の文面を読んでも、そもそも「特秘法」自体の内容を知らないわけですから、賛同署名には躊躇を覚えて現在に至っているしだいです。

かと言って何も発信しないでいたわけではなく、ちらほら「反対」っぽいことをツイートはしていましたが・・・。

この法案に対しては様々の分野の識者の方々が「言論の自由」を制限したり、政府の権力濫用に道を開くものとの懸念や危惧を表明していますが、その「感じ」は法案の内容そのものからだけではなく、法案成立を急ぐ与党の国会審議の様子からも、与えるものです。

これに石破幹事長の「デモはテロ」発言が追い討ちをかけましたね。


さて、特定秘密保護法案に反対する牧師の会には筆者の知人も多く署名しています。

また逆にこのような抗議行動に対しての疑念や批判も数人の牧師から提出されています。

こちらの方が圧倒的少数ですから敢えて紹介すれば、
のらくら者の日記
羽村の風

両者とも共通点は議会制民主主義の観点から、急に「法案に反対する」活動を、政治決定のプロセスに対して無責任な態度ではないか、と言う批判をしていることだと思います。(法案の是非についてではなく。)

特に前者の方は「小選挙区制度下で二大政党が競り合う」形の議会制民主主義のあり方の観点から述べているので、その批判はより的を射ているように思います。

ただ二者に対して思うことは、確かに議会制民主主義の下で市民が与えられている政治決定の基本的行動である「投票」にもっと顧慮すべきである、と言う主張は分かるのですが、市民的政治活動としてデモや声明や署名活動という日常的なものも無視すべきではないだろう、と言うことです。

(もちろん二者がそれらを否定しているとは思いませんが。但し、これは蛇足だが、国民主権の立場からは、不断に国民が政府のしていることを監視しているようでなければ、急な反対声明や抗議行動はなかなか説得力のあるものにはなりにくいだろう。)

今回の「騒動」で筆者が一番感じたことは、「国会審議」の質がやはり肝心ではないかな、と。

この法案の「秘密指定」に関する第三者機関の設置が、審議の途中から取って付けた様に出てきたところをみても、特秘法が国民の知る自由に対しては概ね無頓着な「不備」なものであることが露呈されたように思います。

また「国家の機密保持」に一定の理解を示した上で特秘法を論ずるかどうかも、自衛権の問題を含めて、キリスト者の国家観が問われる問題であったように思います。
今後も継続する課題なのでしょうが。

と言うわけで、ドラマの後の落ち穂拾いのような記事でした。

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