2015年10月11日日曜日

(3)世俗化とポスト世俗(化)

主に「世俗化」のトピックについては、宗教と社会ブログで書いているので、そちらに掲載した簡単な記事2本のリンクをここに貼っておこう。

1. ポスト世俗と超越

2. モルモンと改宗

 そもそも「世俗化」といっても、ある程度社会学(その中でも宗教社会学)を読んでいる人でないとぼんやりとした感触しか抱けないかもしれない。

 「近代化」とか、「ポストモダン」とか難しくてカッコイイ概念ともいえる。

 これらの用語を使いまわすことで、いかにも現代・社会の成り立ちが分かっているような感じを出すことができる。

 大雑把に言うと、(主に)西洋社会で数世紀に渡ってマクロレベルで変化してきた社会のありようを提示する概念、ということができるだろう。

 難しいのだが、かっこよく見せるためではなく、正確には掴みづらいがしかし確かに起こった(起こりつつある)変化を討論するために必要なキーワードではないかと思う。


 ちょうどN.T.ライトの『クリスチャンであるとは』が読まれ始めているので、その関連で指摘すれば、第2章『隠れた泉を慕って』 が「霊性の渇き」について語っている。

 冒頭の「合理的に整備された上水道網」は、啓蒙主義以降の「宗教と社会」の関係をたとえたもので、「世俗化」の産物の一つである「政教分離」政策と、その管理システムではコントロールしきれない「霊性/スビリチュアリティ」のほとばしりの様相を描こうとしている。

 この絵図が描くのが「世俗化のシナリオ(合理化によって宗教的信念は私的領域に整理され、合理的世界像の拡大によって消滅する)」の支配であり、そのシナリオに抗う「コントロールしきれない霊性の渇きと発露」、ということになるだろう。

 まあ、ちょっと書くとこんな風に難しそうになってしまう。

 まっ、ちょっとでも関心を持たれましたら、どうぞリンクをたどって読んで見てください。

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