第1弾目、第2弾目
今年もこの「教会巡り」が初めての投稿です。
で、まずはご挨拶から。
新年明けましておめでとうございます。この年末年始も、巣鴨聖泉キリスト教会は主日礼拝が3週連続でお休みとなりました。
今年もよろしくお願いします。
12月24日夜のイブ礼拝を挟む、12月20日と27日の2回。
元旦礼拝を越えた3日(今日)。
では順にどの教会へ行って礼拝を守ったかご報告します。
12月20日は、日本聖公会東京諸聖徒教会へ。
近所なのですが筆者の4つ5つある散歩コースからはちょっと外れていて殆ど(教会が)あることに気づきませんでした。
たまたま数週間前歩いていて古めかしい建物に出くわしたら、それがこの教会だったという・・・。
それで今度の教会巡りに訪ねてみようと思い立ちました。
訪れた20日は多くの教会ではプログラムがクリスマスにちなんでいましたが、こちらではほぼ普段どおり(キリスト教暦に基づいた典礼ですから、聖書箇所はクリスマスでしたが)。
礼拝では聖餐式があり、特別に案内がないので、スキップしようと思いましたが、案内の人が「洗礼を受けていれば、受けてください」ということなので前に進み出ました。
しかしなんですね、自分が与っている聖餐式の形と違うとえらくハードルが高く感じられました。
やり方も分からないし。
そもそも式に伴う聖書の箇所やら、応答文やら、賛美やらが多くて、何をやっているのやら追っかけるだけでやっと。
ということで参加せずに見るだけでいいや、などと横着な考えになっていました。
さて訳あって次は新年3日の礼拝について。
近所の日本基督教団の教会の礼拝に出席しました。
名前は伏せておきます。
(後から書く教会でのことがあって)何かいろいろ考えることもありました。
何はさておきこの日は聖餐式があり、当教会で用いている式文が日本基督教団のものなのでアットホームな感じで助かりました。
そうそう、配餐の時ぶどう酒とぶどうジュースと両方あったのですが、間違ってぶどう酒の方を取ってしまいました。
しかしこんな風にオプション式にしているところもあるのですね。
説教は・・・少し長かった。
そして「聞きやすい説教」ということをより具体的に、明確に捉えられるようになったので、自分が今後何を気をつけるべきか、という点についての参考になりました。
さて年末、27日の礼拝について書きます。
しかし詳細は書かないでおきます。
その理由を詳細に具体的に書くことができないのがもどかしいですが。
ただ予想もしてなかった「説教体験」だったので、そのことをメモしておきます。
その他のことはみなある程度想定内というか予定調和的に進んだのですが、説教が始まって何か少しずついい意味での「違和感」「意外観」を覚えるようになりました。
あれっ何かこの説教違うぞ。何が違うんだろう。
明らかにまだキャリアの浅い牧師が、時に声が上ずり、緊張しているのが分かる話し方であったが、次第に不思議な響きの話し(の語り)に引き込まれていくように感じた。
全体で30分少しくらいの長さであったろうか、ほぼ一定のスピードで、声の強弱やアクセントがほぼ皆無の、始めから最後まで静かな佇まいの説教であった。
このちっともドラマチックでない声の調子で語られる説教の内容は、しかし実にしっかりした人物描写や情景描写が配されたドラマチックなものであった。
25年牧師をやってきて、自分の説教の貧しさを感じ恥ずかしくなるような体験であった。
教会に育ち、米国に留学もし、多くの感動的で、エキサイティングな説教をいくつも聴いてきたと思うが、このような説教は初めてだった。
その日帰ってきてから、ずーっと考えている。
何が違うのだろう。
あの説教はどのように構成されていたのだろう。
どのように準備したのだろう。
とても真似はできないが、しかし様々なことを示唆してくれる得がたい説教体験となった。
今回の教会巡りでは、2回聖餐式に与った。
典礼の占める割合というか、典礼的な度合いを5段階くらいで示すと、自分としての居心地のいい典礼度は大体、「2」ときに「3」もあり、といった感じではないか。
今回最初に行った聖公会や以前行った福音ルーテルは大体「3~4」という感じかな。
さて、では今年もこの「教会巡り」でピックアップしたことを参考にしながら、巣鴨教会の礼拝や教会案内に活かしてみよう。
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