2016年1月8日金曜日

(3)涙とともに種を蒔く者

聖書の中にはそれほど難しいことではないが、いま一つその意味がしっくりこない箇所は多々ある。

かなり昔に書かれたというだけでなく、背景となる文化や生活基盤がいまと大分異なることを考えれば当然である。

しかし読みなれた箇所で、分かったつもりでいて実はよくその意味を知っていなかった、ということは時々起こる。

もちろんそう言うときは「目からうろこ」の体験をするときだ。

この動画で、現在デューク大学神学部の学部長代行をなさっているエレン・デイビス教授がそんな体験を語っている。

5分20秒辺りからの場所だが、詩篇の一節を引用する。

涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。(詩篇126:5-6)

そして語る。
「なぜ涙とともに種を蒔くのだろう、と長年思っていた。
しかしアフリカに来て、ここのクリスチャンたちと一緒に働くようになって知った。
種を蒔くとは、二つのうちの一つを選択することなのだ。
いまその種を腹を空かせた子どもに与えて食べるのか、
それとも来年の収穫のためにその種を畑に蒔くのか。」
つまり、腹を空かせた子どもたちを振り切って、畑に種を蒔く。とても涙なしにはできない。
そんな厳しい生活が背後にある。


これを見て筆者も「なるほどなー」、と思った次第。

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