2016年5月29日日曜日

(3)アリスター・マクグラスのユーモア

本来なら「英語圏神学者」シリーズで取り上げてもいいはずですが、何しろ日本では翻訳書も多いしわざわざ紹介するまでもないと思い、こんなタイトルの記事になりました。

Why Reason Isn't Enough: The "Big Picture" of Faith   (動画)

(1)自身の洗礼について(0分30秒過ぎ辺りから)

  マクグラスが招かれて講演している神学校(※1)がバプテスト派なのを受けて、
「私はアングリカンですが、実は幼児洗礼で浸礼(total immersion)を授けられたのです。それはいわば事故でそうなってしまったのですが、長い話を簡単に言うと、主任司祭の方がパーキンソン氏病で、私を落っことしてしまったんですね。・・・」

(この画像はマクグラス講演とは関係がありません。)


(2)子どもの頃、既に Father Christmas は実在の人ではないと知っていたが・・・(12分30秒過ぎ辺りから)

 無神論者リチャード・ドーキンスが「宗教は幼児時代のもの」という批判に絡めて、
 リチャード・ドーキンスは「歯の妖精(tooth fairy ※2)とか、ファーザー・クリスマスとかそんなものは幼児の頃の信仰で、大人になったらそんなものはもう信じないでしょ。宗教は、神とはそんなものです。」というが・・・。
 ところで私自身のことを語りましょう。私は既に四歳頃にはファーザー・クリスマスなんていないと知っていました。でも親にはそんなこといいませんでした。なぜかって、それには恩典(fringe benefits)が伴っていたからです。


※1 George TRUETT SEMINARY (ベイラー大学)

※2




あっ、もちろんユーモアの部分だけでなく、講演も全部見てくださいね

2016年5月28日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年5月29日(日) 午前10時30分
 
朗読箇所 ルカの福音書 11:1-4
説 教 題 「父よ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

いのり(4)

2016年5月23日月曜日

(4)『霊性』を神学する 3

先日、現代の英語圏神学者⑤、で取り上げたダイアナ・バトラー・バースの記事の最後で
ではダイアナ・バトラー・バースの紹介はここまでにして、別の連載シリーズ「霊性を神学する」で彼女の「神観」を取り上げたいと思います。
と予告していました。少々遅くなりましたがお約束通りこの記事で取り上げたいと思います。



あのロブ・ベル(の『ラヴ・ウィンズ』)がホストを務める「ロブ・キャスト」という個人放送局があります。

そのエピソード67でアメリカ宗教史(特に信仰覚醒運動)が専門のダイアナ・バトラー・バースがゲストで招かれ、既に現代の英語圏神学者⑤で紹介したバースの著書『グラウンディド』から多彩な話題でおしゃべりを展開している。





教会とその文化・時代環境とのディスコネクトの問題

 (10分過ぎくらい)北米東海岸ヴァージニア州チェサピーク湾にある小島の「タンジー島」を比喩にしながら、いくら歴史があり、代々島民たちに豊かな奉仕を提供してきた教会でも、温暖化で島が海面下に消えてしまった、地面がなくなってしまったどうなるか?と問題提起している。

 教会自体は良い教会だが、その教会が建っている土地(グラウンド)が消えてしまったら・・・。それがこの本のタイトルの背景イメージとなったのだ。
バース自身が経験した「従来の神観」が現代史の出来事と突合せて行くときに段々と疑問が深まっていったことを語っている。
 
 第一次大戦、第二次大戦(ホロコースト、原子爆弾)、・・・、そして9・11.

 悲惨な出来事がお許しになる(天高く座して歴史をご支配なさる)神は、はたして「愛の神」なのだろうか・・・。

 そのような「疑いの思索」で特にリードした疑問視が Where だった。
 Where is God in this? Where is God in that?

 そういう「苦難の中で神の居場所を捜し求める」思索の結果たどり着いたのが「神の臨在(God is WITH US)」であり「神の居場所の転換(垂直方向で天に離れている神、から、水平方向で共にいる神、from Vertical to Horizontal)」だったと語っています。

・・・とまあ、動画のテーマは主に神観を「垂直方向」で概念化するか、「水平方向」で概念化するか、と云う問題、前者が従来の神観を支えてきたのが今その枠組みが文化的に時代的にディスコネクトしてきているのではないか、と云う問題提起になっているのだと思います。(ディスコネクトの他にも「認知的不協和」などと表現しています。)



かなり不十分な紹介ですが、バースが問題にしているのは「霊性」と「神観」の問題であり、タンジー島の比喩で言えば、「霊性」は教会、「神観」が島/地面、と云うことになるのだと思います。

いずれにしてもあまり緻密な神学議論というよりも、もっと感性的な問題のキャッチの仕方から来ているように思います。

ただこの問題の設定の仕方、「『霊性』とそれに見合う『神観』」はいろいろ考えてみるに値するテーマではないかと思っています。

次回はバースが指摘している現象を、もう少し歴史神学的に緻密に考証している動画と資料を紹介したいと思います。(乞うご期待)

2016年5月21日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2016年5月22日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 2:1-15
説 教 題 「キリストの十字架と力の逆転」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(28)/パウロ書簡の学び(145)

2016年5月19日木曜日

(5)レナード・コーエン、モントリオールのユダヤ系移民

ツイッターでフォローしているバーナード・アヴィシャイがザ・ニューヨーカー誌にレナード・コーエンについて書いている。

Leonard Cohen's Montreal 『レナード・コーエンのモントリオール』

コーエンには『ハレルヤ』と云う多くの人にカバーされた名曲があるのだという。



U2のボノはこの曲は世界で最も完璧な曲だといっているとか。

2年前あるカトリック神父が結婚式でこの曲を歌ったのだが、新郎新婦も会衆も事情をよく知らず、余興程度のものと高をくくっていたらしい。

しかし、これがなんとあっと驚く出来栄えで一堂拍手喝采したとか。
(歌詞を結婚式用に替え歌にしたようです。)


『レナード・コーエンのモントリオール』では、アヴィシャイ自身も育ったモントリオールについて(20世紀前半から第二次大戦後、そして1960年代・70年代・・・)移民ブロック(英国、フランス、そしてユダヤ人・・・モントリオールにはかなりの数のユダヤ人移民が暮らしていた)の棲み分けや、教育状況を描写しています。

その中で少し面白いと思ったのは、カトリックとの宗教文化的近似性によってシンパシーと同時にライバル心も感じていたらしいこと。(コーエンの「ハレルヤ」の宗教的背景の一つとしてコメントしています。)
We also intuitively understood congregational routine, authoritative interpretation of sacred literature, the prestige of historical continuity—we understood that messiahs matter in this world, that the divine emerged within the precincts of a discipline, commandments, and the mass, all of which produced decorum before they produced grace. As Cohen writes in “Hallelujah,” you cannot feel so you learn to touch: works, not just faith alone.
なかなかこの辺のニュアンスと云うのは、歴史・文化の中を「内輪」的に経験してみないと理解できない微妙なものだと思います。

この記事読んでも殆ど何も分かりませんが、霧の中にぼーっと輪郭が浮かぶくらいにはキャッチできるものがあるかもしれません。(音楽や歴史に興味ある方はどうぞ。)

2016年5月14日土曜日

明日の礼拝案内

ペンテコステ 主日礼拝

2016年5月15日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカ福音書 24:44-53
       使徒の働き 1:1-8
説 教 題 「聖霊と教会」
説 教 者 小嶋崇 牧師

2016年5月11日水曜日

2016 友の会バザー

友の会バザーのご案内☆

日時☆2016年6月9日(木)午前11時~12時20分
場所☆巣鴨聖泉キリスト教会
 豊島区巣鴨1-3-19
       活水工房(教会隣り) 豊島区巣鴨1-3-20

※開始時間前に「整理券」が配られます。

出品物:
 * 友の会ならではの吟味された・・・手作りのパウンドケーキ、マドレーヌ、ごませんべい
 * 丁寧に心をこめて作った・・・エプロン、布巾、ピロケース、鍋帽子
 * 恒例の雑貨、中古衣料など
☆収益金の一部は被災地に寄付されます。
主催:東京第一友の会 文京方面HP(こちらにもバザーの案内があります。)

2016年5月7日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2016年5月8日(日) 午前10時30分

朗読箇所 マタイ福音書 20:1-16
説 教 題 「絶対評価と相対評価」
説 教 者 小嶋崇 牧師

こころ(5)

2016年5月6日金曜日

今日のツイート 2016/5/6

人生凹むことはしばしば。

ならば凹む度合いも漢字でバリエーションしよう・・・ということですか。

賛成。(非当用漢字)

2016年5月2日月曜日

(4)タカ牧師のセブンー7

去年の11月以来になってしまいました。

前回が6でしたから、たまたま今回は「セブン」と「7」が重なりました。

この辺でこのシリーズも潮時と云うことか・・・。

いずれにしても、溜まりに溜まってしまいましたので、選ぶのが大変!!


1. Think Religion Is Dead? Just Look at 'Game of Thrones.' (ワシントン・ポスト)
  『宗教はもう過去のもの?じゃあ「ゲーム・オブ・スローンズ」はどうなのよ。』

 ただいま話題のゲーム・オブ・スローンズの映画評。福音派の評者二人がコンビを組んで、ドラマにおける「王国の対立」が現代の宗教の復興と、黙示的(アポカリプティック)様相を呈する背景を読み解く。作者ジョージ・R・R・マーティンは「神義論を戦わせている」のではないか・・・と。

2.  Secular Oscars: Why Christian movies don't make the cut
  『世俗の映画賞、キリスト教映画はなぜ選に漏れるのか』

 要するにつまらないから(because they suck)。というのがブロガーのハンナ・シェーファーさんの意見。なぜか。伝道メッセージを伝えようと、ウエメセ的な説教くさいものになりがちだから、とのこと。英語ではそういうのpreachyていいますね。

3. Vanishing Grace: What Ever Happened to the Good News?
  『恵が消えかかっている。グッド・ニュースはどうなったの?』

 同じタイトル名でフィリップ・ヤンシーが本を出しているが、このブロガー(ダニエル・ヒル)との会話から生まれたらしい。記事はその会話のトピックであったミレニアル世代の「教会からの脱落」の背景を探った章からの引用。

4.  The Church is in Post-Christian Exile - But Should We Really Respond Like It's a War?
  『教会はポスト・キリスト教時代に囚われている。しかし戦闘モードで戦う相手か?』

 ミッシオ・アライアンスはスコット・マクナイトのいるノーザン神学校の教授陣が中心となって「ポスト・キリスト教」時代に突入した北米での宣教戦略を打ち出している団体です。記事を書いているカリナ・クレミンスキーはキリスト教が社会の中心から辺境に移った今の時代をむしろ歓迎しています。(タカ牧師のセブン‐4 の3でも取り上げたラッセル・ムーアが同趣旨の見解です。)

5. The 30 Most Influential People on the Internet
  『ネット界での影響力 トップ30』

 さあどうでしょう。名前だけ知っている、少し知っている人たちもチラホラいますが、そもそも影響力を測るのは難しくないですかねー。
6. 京都精華大学はこんな方を仲間として求めます
 京都精華大学については殆ど何も知りませんでしたが、こんな広告を出すのでちょっと目を惹きました。

7.  140字の「重み」を言語毎に比較してみた
 140字に制限された1ツイートが、実は言語によって「密度」が異なることを比較検証しようとした記事。漢字を使う国の人なら実感ですぐ分かることですけどね。

以上でした。

※もしかしたらまだ続きがあるかもしれません。 在庫が多いので・・・。