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2019年11月5日火曜日

(3)「ルーツ」をどう捉えるか

先日の礼拝では「宗教改革」を記念した。
プロテスタントの教会だとある意味最もルーツと言える出来ごとかもしれない。
ただ「教会案内」を考えると、日本のような地域ではそれだけでは余り十分とは言えない。

更に昨今は「宗教不信」が以前より増してきたような観がある。
欧米では「Spiritual, Not Religious」などという。
要するに「組織(教会)としてのキリスト教」には関心ないが、「スピリチュアル(霊性)的なキリスト教の伝統・儀礼」にはそれなりに、という傾向である。

むかーし昔、当ブログで「・・・とは一切関係ありません。」という記事を書いたことがある。
「当教会は異端ではない(正統派だ)」という断り書きの文言で、まだまだ重宝されているようだ。
しかし昨今はそのようなレッテルで事が済むような時代ではなくなっている。所謂「カルト」呼ばわりが乱発される状況になっている。ネット時代になったこともそれに拍車をかけているだろう。
「自分たちが何であり、何でないか」を定義することは一筋縄ではいかない時代になっている、と感ずる次第である。

ただ「自分のルーツ」が何かという問題は、それを他人様にどう紹介するかということだけでなく、自己の存在根拠を正確に掴むために欠かせないものである。

これだけの偉そうな前置きを書いた上で、後に続くのが軽い文章で申し訳ないが、「ウェスレヤン・メソジスト」というルーツに関する記事等を紹介したい。

日本では「ホーリネス」とか「きよめ派」とか呼ばれるグループがある。巣鴨聖泉キリスト教会もその流れの中にあるのだが、最近この流れに関する本が著された。


著者の中村敏氏は「聖泉連合」と多少関わりがあり、当連合が今年50周年を迎えるにあたって企画した「研修会」(2020年2月)の講師でもある。
まさにドンピシャリのタイミング(と言っていいかどうか…)で、日本における「ホーリネスの一大潮流」を形成した人物である中田重治に焦点を当てた書物を著してくださったわけだ。

さて話は飛ぶが、「中田重治とその時代」はほぼ「20世紀」のことであるが、それから2世紀遡って「ジョン・ウェスレー(たち)」が始めたメソジスト運動(教会)についてのことになる。

北米には(合同)メソジスト公認の神学校が7つ8つあるが、その中でもプレスティージの高い学校がデューク大学(神学部)である。
今年ウェスレー研究者として著名なランディー・マドックス教授が退官されるというニュース(記事)を目にした。

マーク・ゴーマンという方がマドックス教授のウェスレー研究の意義を簡単に紹介している記事で、昨今ウェスレー研究には不案内な筆者にとっては大変ありがたいものである。


特にウェスレー研究の大家であったアルバート・アウトラーとの対比でマドックスの主著Responsible Grace: John Wesley's Practical Theology (Kingswood Series) を紹介しているのだが、アウトラーとの継続性と共に、ウェスレー神学の総合的な分析としてアウトラーを凌ぐ点を挙げてまとめているのが目を引いた。


短い文章なので同じルーツの人は勿論、ウェスレーに関心のある方にも是非。

【パーソナル・ノート】
さいわいなことに、まだランディ・マドックスがいかなる人物かを知らないときに(多分もう10年位前のこと)、日本の書店(教文館?)でたまたま手にして(本のタイトルを判断材料にして)購入した。洋書なのになんと価格は4,710 1,500円であった。(我ながら目利きだなー。笑)

2017年8月11日金曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、10

お待たせしました。(このシリーズまだ頓挫していません。笑)

前回が5月18日のアップですからかろうじてまだ 三ヶ月経っていませんね。

さてこの7章は6章の「ファンダメンタリズム」と8章の「新福音主義」へと飛ぶ前に日本での聖書信仰の受容を「戦前」という枠で紹介します。
 
7章 「戦前日本における聖書信仰」(109-122)
 

代表的な人物に即して、それらの人の神学教育(大抵は米国留学)背景と「聖書観」とを紹介しています。

個人的には筆者の属するグループ(ホーリネス系教会)の「生きた歴史」を語り聞かせられたこともあり(と言っても四方山話みたいな周辺的なことが多いと思います。※)、ある程度のことは知っていますが、このようにある程度整理されていると簡単な紹介ながら助けになります。
※特に「澤村五郎」について。実は戦後すぐ「献身を決めた」父が入学を予定していたのが、澤村五郎校長の関西聖書神学校だったと聞いています。
さて「三人(岡田稔、中田重治、澤村五郎)の聖書信仰の特徴」をまとめている箇所を引用抜粋してみます。 
岡田は当時を振り返って、高倉徳太郎の『福音的基督教』が広く行きわたっていたので、「福音主義」という用語よりも、「聖書信仰」のほうが、聖書に対する自分たちの立場を明確にする ことができたと述懐している。(111)
※筆者はこの引用部分から後者二者のように「信仰生活の実際」における聖書信仰というよりも、「聖書論」としての聖書信仰に自覚的であった、強調があった・・・という印象を受けました。
[中田] この聖書信仰はプリンストン神学的なものではない。むしろ、十八世紀の信仰復興運動を彷彿とさせるような聖書信仰である。神の言葉への信頼、野の草のような人間の知恵や言葉を論じるに足りないものとし、無から有を創造し、罪人に救いを与え、新創造をもたらす神の言葉、すなわち聖書に絶対的信頼を傾ける聖書信仰であった。そして、ムーディーを取り巻くリバイバリズムと米国ホーリネス運動から受け継ぎ、さらにはディスペンセーション主義の再臨観に染まった聖書信仰 であった。(115)
このように澤村の説く聖書信仰は、十八世紀の敬虔主義的・信仰復興運動的な流れにある。しかも彼の聖書理解にはディスペンセーション主義的色彩はなく、徹底して御言葉と聖霊の関係が強調 され、聖書は信仰をもって聞く者の生涯を聖霊が改革していく恵みの手段である。(116-7)
これらの記述を簡単に比較すると、
 岡田・・・P(プリンストン神学)
 中田・・・R(リバイバリズム)+H(ホーリネス運動)+D(ディスペンセーション主義)
 澤村・・・R(リバイバリズム)+S(聖霊)
となる。

もちろんニュアンスを捨象しているので、これだけでは何の比較かということになるだろうが、たとえば6章で取り上げられた「ファンダメンタリズム運動」での「二つの流れの融合」と描写された「P(プリンストン神学)」と「D(ディスペンセーション主義)」を当てはめてみると・・・

潮流的には中田重治が恐らく最も米国根本主義を反映しているが、岡田と澤村に関してはやや部分的、ということが指摘されうるのかもしれない。

藤本氏の『聖書信仰』のテーマの一つが「多様性」の発見にあるとすると、このような背景の違いからくる「(聖書信仰の)ニュアンスの違い」がやはり大事な点なのではなかろうか・・・。

ディスペンセーション主義の再臨観」の前者は受け継がなかったが、後者は受け継いだ、ということになるのだろうか・・・。


(次回へ続く??? 一応まだ続くかもしれません。)  

2015年5月1日金曜日

(4)『教会史遡行』から落穂拾い、1

巣鴨聖泉キリスト教会の「前史」 (※まだ読んでいない方はからどうぞ) として2回でまとめたのは、「日本ホーリネス運動」について。

切のいいところで、第二次大戦後のインマヌエル綜合伝道団の創立を初代総理、蔦田二雄を軸に、それから、「1900年から」として日本ホーリネス教会の展開を、中田重治を軸に、回顧した。

1. 蔦田二雄/インマヌエル綜合伝道団

 ネットからなので目ぼしい資料は余り見つけられなかった。

 主にウィキペディアのホーリネス運動や、中田重治の記事を参照した。

 インマヌエルの歴史・沿革ページ、所属する別府キリスト教会サイトにある年表、同じく中目黒教会のサイトにある教団前史部分の要約、を参照した。

 少し関心を持った「リバイバル・リーグ」と「ホーリネス教会弾圧事件」に連なる具体的な歴史関係情報は諸リンク等を辿ってみたが、得られなかった。

2. 中田重治/日本ホーリネス運動

 上記のウィキ記事の他、英語でもいくつかウィキペディア記事を参照した。Holiness Movement
Keswick Convention



・・・とこう言う風に書いてくると、この記事は簡単な「説教準備ノート」のように見えるが、そんな大層なものではない。

何しろネットで入手可能な材料でお茶を濁しているくらいだから。

そう言うわけで、『落穂拾い』とは、説教に組み込めなかった「残部」と言う意味だけでなく、単に本格的な研究がなされている畑に『落っこちている麦穂』を拾ってきただけ、と言う意味でもある。

「説教準備中の逸話」と言う感じで個人的に面白く読んだデータとしては:

1. 蔦田二雄が中田重治の『聖書より見たる日本』を訳したらしいこと
 
脚注を見ると、tr. David T. Tsutada、とある。
David G. Goodman, Masanori Miyazawa, Jews in the Japanese Mind: The History and Uses of a Cultural Stereotype.(グーグルブックスから)


もう一つはベン=アミー・シロニーのCollected Writingsにある、Japan's Support of Zionism after the First World War(『第一次大戦後の日本のシオニズム支持』)と言う論文に、中田らの“貢献”が取り上げられている。

実際には当時、日本の国としてのシオニズム支持は衰退する中であったが、中田ら聖書の預言を大事にした伝道者だけがシオニズムを強く支援し続けたことを以下のように書いている。
 This rosy description had little factual basis. The government of Japan in the late 1920's was losingits interest in Zionism. The only Japanese who remained enthusiastic about the Jewish return to Palestine were Chrsitian evangelists who followed the developments in the Middle East through the eyeglasses of the biblical prophecies. (著作集、326ページ・・・グーグルブックスから)

  
以上、本当はもう少し調べたかった「中田監督とイスラエル問題」だが、ネットでもいくらかは資料が見つかることを発見できたことは良かったと思う。