切のいいところで、第二次大戦後のインマヌエル綜合伝道団の創立を初代総理、蔦田二雄を軸に、それから、「1900年から」として日本ホーリネス教会の展開を、中田重治を軸に、回顧した。
1. 蔦田二雄/インマヌエル綜合伝道団
ネットからなので目ぼしい資料は余り見つけられなかった。
主にウィキペディアのホーリネス運動や、中田重治の記事を参照した。
インマヌエルの歴史・沿革ページ、所属する別府キリスト教会サイトにある年表、同じく中目黒教会のサイトにある教団前史部分の要約、を参照した。
少し関心を持った「リバイバル・リーグ」と「ホーリネス教会弾圧事件」に連なる具体的な歴史関係情報は諸リンク等を辿ってみたが、得られなかった。
2. 中田重治/日本ホーリネス運動
上記のウィキ記事の他、英語でもいくつかウィキペディア記事を参照した。Holiness Movement、
Keswick Convention
・・・とこう言う風に書いてくると、この記事は簡単な「説教準備ノート」のように見えるが、そんな大層なものではない。
何しろネットで入手可能な材料でお茶を濁しているくらいだから。
そう言うわけで、『落穂拾い』とは、説教に組み込めなかった「残部」と言う意味だけでなく、単に本格的な研究がなされている畑に『落っこちている麦穂』を拾ってきただけ、と言う意味でもある。
「説教準備中の逸話」と言う感じで個人的に面白く読んだデータとしては:
1. 蔦田二雄が中田重治の『聖書より見たる日本』を訳したらしいこと
脚注を見ると、tr.
David T. Tsutada、とある。
David G.
Goodman, Masanori Miyazawa, Jews in the Japanese Mind: The History and Uses of
a Cultural Stereotype.(グーグルブックスから)
もう一つはベン=アミー・シロニーのCollected Writingsにある、Japan's Support of Zionism after the First World War(『第一次大戦後の日本のシオニズム支持』)と言う論文に、中田らの“貢献”が取り上げられている。
実際には当時、日本の国としてのシオニズム支持は衰退する中であったが、中田ら聖書の預言を大事にした伝道者だけがシオニズムを強く支援し続けたことを以下のように書いている。
This rosy description had little factual basis. The government of Japan in the late 1920's was losingits interest in Zionism. The only Japanese who remained enthusiastic about the Jewish return to Palestine were Chrsitian evangelists who followed the developments in the Middle East through the eyeglasses of the biblical prophecies. (著作集、326ページ・・・グーグルブックスから)
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