父、彬夫が先週ふと「深川清澄」のことを口にした。
たまーに口にすることはあるのだが、
そして以前何年か前に「深川清澄」の地を訪ねて来たことは言っていたのだが。
さすがに今年87歳になって、一人で出かけるのもなんだし、子供に伝えておきたいこともあったのだろうと考え、同行と言うか、「連れて行く」ことにしました。
「深川清澄」とは、東京都江東区清澄のことで、筆者にとっては曾祖父さんとなる「小嶋亀松」の始めた「小嶋商店」があった場所のことなのです。
長く東京にいながら、そして「本籍地」であったにもかかわらず、筆者は今まで一度も行った事がありませんでした。
それで急遽、天気も良さそうなので、「深川清澄へ、小嶋家のルーツを探る小旅行」を計画しました。5月11日。
目的は三つ。
(1)小嶋商店跡を確認すること
(2)深川めしを食べること
(3)ブルーボトル・コーヒーを飲むこと
(1)小嶋商店跡
都営新宿線森下駅を降りて(出口を出たら潮風の匂いがプーンと)、隅田川方向に歩き始め、左折して「万年橋」を目指しました。
この辺は「松尾芭蕉」ゆかりの地で、「芭蕉記念館」や「芭蕉稲荷神社」などがありました。
小嶋商店は、茨城の鹿島(現稲敷郡)出身の亀松が、親戚の醸造元の醤油を関東一円に販売するのを目指して興されたのだそうです。
その頃は商品流通は船だったらしく、それで川っぺりに店を構えたそうです。
店があった「万年橋」の向こう側には、地図で有名な「昭文社」があります。
さて店があったのは現在「㈱国際空輸」社屋が建っている場所で、「清澄一丁目8-4」となります。
当時は二階建ての店と倉庫が三つ、このくらいの土地にあったそうです。(この写真はグーグル・アース提供)
父の話を総合すると、はっきりとした時期は分からないそうですが(明治の終わりか大正の初めくらい?)、茨城の同郷の親戚で臼田と言う方が醤油を製造し、亀松が東京で醤油問屋を開いてそれを売る、ということになったそうです。
その頃はまだ全国区の醤油はなかったそうで、千葉の野田のキッコーマンやヤマサなどが関東一円に手広く売っていたそうですが、後発の臼田・小嶋連合軍の「万代(登録商標)醤油」もそれらを追っかけて、ピークには一度位売り上げトップになったこともあったんだとか・・・。
その後関東大震災があって、店は二代目(筆者にとっては祖父にあたる)八郎が切り盛りしたのだとか。
この八郎爺さんは、アタラシモノ好きで小嶋商店とどう繋がるのか分かりませんが、ここからほんの少し離れたところに、当時では(江東区付近では?)初となる水洗便所の付いた文化住宅(アパート)のようなものを三軒建てたそうです。
一階はそれぞれ食堂、乾物屋、床屋で住人の便を図ったそうな。
ところがこちらは近くと言っても探しあぐねて、ぐるぐるぐるぐる。
おかげで北の湖部屋のお相撲さんを入れた写真をパチリ。
しょうがないので近所の人に聞いたところ、ほんの少し前に、それまで住んでいた小嶋商店の元番頭さんの家族が引越され、引き払った後は更地になったのだとか。
帰ってからグーグルアースで確認したら、以前の建物が写っていました。
と言うわけで、約一時間ほどで最初の目的である旧小嶋商店跡と、文化住宅跡を確認することができました。
※㈱国際空輸ビルで清掃していたおじさん、跡地のことは区役所にある昔の地図で照合できることを教えてくださりありがとうございました。
※旧小嶋商店跡の向かいの家の方、戦後の変遷の様子を教えてくださりありがとうございました。
次回は、(2)深川めしと、(3)ブルーボトル・コーヒーについて書きます。
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