2017年8月11日金曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、10

お待たせしました。(このシリーズまだ頓挫していません。笑)

前回が5月18日のアップですからかろうじてまだ 三ヶ月経っていませんね。

さてこの7章は6章の「ファンダメンタリズム」と8章の「新福音主義」へと飛ぶ前に日本での聖書信仰の受容を「戦前」という枠で紹介します。
 
7章 「戦前日本における聖書信仰」(109-122)
 

代表的な人物に即して、それらの人の神学教育(大抵は米国留学)背景と「聖書観」とを紹介しています。

個人的には筆者の属するグループ(ホーリネス系教会)の「生きた歴史」を語り聞かせられたこともあり(と言っても四方山話みたいな周辺的なことが多いと思います。※)、ある程度のことは知っていますが、このようにある程度整理されていると簡単な紹介ながら助けになります。
※特に「澤村五郎」について。実は戦後すぐ「献身を決めた」父が入学を予定していたのが、澤村五郎校長の関西聖書神学校だったと聞いています。
さて「三人(岡田稔、中田重治、澤村五郎)の聖書信仰の特徴」をまとめている箇所を引用抜粋してみます。 
岡田は当時を振り返って、高倉徳太郎の『福音的基督教』が広く行きわたっていたので、「福音主義」という用語よりも、「聖書信仰」のほうが、聖書に対する自分たちの立場を明確にする ことができたと述懐している。(111)
※筆者はこの引用部分から後者二者のように「信仰生活の実際」における聖書信仰というよりも、「聖書論」としての聖書信仰に自覚的であった、強調があった・・・という印象を受けました。
[中田] この聖書信仰はプリンストン神学的なものではない。むしろ、十八世紀の信仰復興運動を彷彿とさせるような聖書信仰である。神の言葉への信頼、野の草のような人間の知恵や言葉を論じるに足りないものとし、無から有を創造し、罪人に救いを与え、新創造をもたらす神の言葉、すなわち聖書に絶対的信頼を傾ける聖書信仰であった。そして、ムーディーを取り巻くリバイバリズムと米国ホーリネス運動から受け継ぎ、さらにはディスペンセーション主義の再臨観に染まった聖書信仰 であった。(115)
このように澤村の説く聖書信仰は、十八世紀の敬虔主義的・信仰復興運動的な流れにある。しかも彼の聖書理解にはディスペンセーション主義的色彩はなく、徹底して御言葉と聖霊の関係が強調 され、聖書は信仰をもって聞く者の生涯を聖霊が改革していく恵みの手段である。(116-7)
これらの記述を簡単に比較すると、
 岡田・・・P(プリンストン神学)
 中田・・・R(リバイバリズム)+H(ホーリネス運動)+D(ディスペンセーション主義)
 澤村・・・R(リバイバリズム)+S(聖霊)
となる。

もちろんニュアンスを捨象しているので、これだけでは何の比較かということになるだろうが、たとえば6章で取り上げられた「ファンダメンタリズム運動」での「二つの流れの融合」と描写された「P(プリンストン神学)」と「D(ディスペンセーション主義)」を当てはめてみると・・・

潮流的には中田重治が恐らく最も米国根本主義を反映しているが、岡田と澤村に関してはやや部分的、ということが指摘されうるのかもしれない。

藤本氏の『聖書信仰』のテーマの一つが「多様性」の発見にあるとすると、このような背景の違いからくる「(聖書信仰の)ニュアンスの違い」がやはり大事な点なのではなかろうか・・・。

ディスペンセーション主義の再臨観」の前者は受け継がなかったが、後者は受け継いだ、ということになるのだろうか・・・。


(次回へ続く??? 一応まだ続くかもしれません。)  

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