「義認」を救済論との関連で論ずるのを不思議がる人はいないと思いますが、さて教会論との関連 だとどうでしょう・・・。
ということでそもそもの発端である「N.T.ライトの義認論」にまた戻ってみます。
ライトの立場を支持する筆者のテーゼは: パウロの義認の教えは「救済論」と「教会論」(と、ライトは理解している)、というものでした。
用いた資料は義認論ノート、3で紹介したマクゴワン論文と同じ論文集『Justification In Perspective』にライトが書いたNew Perspectives on Paul から引用した特に次のパラグラフです。
恐らく「厳密に言えば(義認の釈義的許容範囲内に限定すれば)」義認は「罪人を(キリスト・イエスのゆえに)義しい」と赦免する宣言であり、一世紀以降の異邦人キリスト者がマジョリティーとなっていく教会のコンテクストでは第一義的には救済論的に扱われるのが自然になったのだと思います。このサブセクションの主要論点の第一は、これら二つのこと(罪の赦しを与えられた罪びとを正しいと宣告し、そして、多民族による一つの家族の一員であるこ とを宣告する)はパウロの脳裏では緊密に連携している、ということである。さらに言えば、後者の論点(家族への所属)がロマ書3章やガラテヤ3章ではとて も重要であると主張することが、前者の論点(神の法廷で義と宣言された者の一人とされる)の重要性を軽減するものではない、ということである。
このポイント(契約神学が下敷きになっている)は多少見えにくいが決定的に重要である。すなわち、神がアブラハムと契約を結んだのは、[旧約]聖書の大枠 から言っても、パウロにおいても、アダム来の「罪」とその影響を除去し、良き創造のわざそのものとして完成に導くためである。かくして、神が罪の赦しを宣 言し、また契約の民の一員と宣言することは、詰まる所、二つ別々の事柄ではないのである。
しかしライトが主張し、指摘しているのは一世紀の教会において、アブラハム契約の祝福を約束された「神の民」はユダヤ人だけでなく、異邦人も含まれており、「アブラハム契約」の視点からそれまでは「ユダヤ人(イスラエル民族)」と「異邦人(諸民族)」という二つの異なる契約関係にある者たちが「キリスト・イエスにあるという原則」において同じ一つの民になる、ということなのです。
この契約関係的に「イスラエル民族と諸民族」という二つに分かれていたものが「メシア共同体(メシアのからだ)」を通して一つになったのはいかなる根拠・いかなる原理によるのか・・・を説明するために取られたのが、「律法の行い」ではなく「(福音に対する)信仰」の原理において、という議論であったということです。
引用したライトの論文では、この義認に関する「契約関係における民族間の問題」が前面にあることをロマ書3章の次の箇所を指摘してさらに続けて訴えています。
それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。(ローマ3:29-30、新共同訳)
しかし、長い間(約1800年くらい?)キリスト教会からこの「一世紀における二つの民を繋ぐ」問題が消えていました。そのためパウロがロマ書やガラテヤ書で主張した「(信仰による)義認」をこの「民族の契約関係調整」の視点から具体的に考察する機会がありませんでした。
「キリスト・イエスにおいて更新された契約」に入る(言わば)長子の権利を主張する(できる?)人々(ユダヤ人) が長い間出てこなかった、とも言えます。
この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」(使徒2:39、新共同訳)
あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」 (使徒3:25-26、新共同訳)
そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。(使徒13:46、新共同訳)
「義認」の教義的理解にとっても最重要であったこの「一世紀の教会における民族関係問題」という歴史的文脈が視界から遠ざかった後は、教会論は次第に義認論の表舞台から退場していったように見受けられます。
宗教改革になって救済論が神学的議論の主役を演じるようになると、義認論はもっぱら救済論との関係で論じられるようになり、宗教改革の第二・第三世代以降(プロテスタント正統主義の時代)は、教会論の弱体化も手伝って、もっぱら「個人の救いの体験」(「救いの順序」)における諸懸案(義認と新生、信仰と新生、義認と聖化、など)との関連で論じられるようになったようです。
今後の展望
「義認」と教会論の関連をさらに論じて行くにあたり、二つの重要な関心事項があります。
(1)教会員の資格問題
中世カトリック教会や宗教改革後の国教会のような「国家社会と教会」が同心円のような関係にあったいわゆる「クリステンダム(キリスト教文明)」の条件の下での「義認と教会」を考察する必要があります。
(2)(聖礼典、特に)洗礼と教会員資格問題
宗教改革以降、聖礼典に与ったような“外面的”な教会員の教会ではなく、救いの体験を持った「聖徒たちの教会」へと改革を推し進めて行く中で「義認と教会」の関係を見て行く必要があります。
(3)教会史の流れ
これらの関心事項を以下のような教会史の流れと関連させながら概観して行きたいと思います。
一世紀の教会では、ロマ書やガラテヤ書で論じられたように、「義認」はイスラエル民族と異邦人諸民族がどのような原理原則で「一つの神の民」となるか、という問題でした。
しかし、二世紀以降、さらにキリスト教がローマの国教なると、ノミナルなクリスチャンと聖徒らしいクリスチャンとごっちゃになったような教会をどうしたらいいか、という方向に「教会員問題」は向かいます。
「教会らしい教会」をと改革運動が進む中で宗教改革が起こります。
しかし、国教会的なシステムでは「聖徒だけの教会」は難しく、再洗礼派のような急進的な改革は一部に限られます。
英国国教会から逃れ、新大陸に移ったピューリタンたちが改革路線を進めますが、この時「教会員」を「救いの体験」を証しすることが出来る者に限定する制度が定着していきます。
この流れは「リバイバリズム」運動とも重なって、個人の救いの体験を重視することにより、組織的・制度的教会を軽視しする流れが強まります。
すなわち「パイエティズム・信仰復興運動」の背景を持つ福音派の「教会論」が後退して行きます。
このような流れの中で「洗礼」と「義認」の密接な繋がりが見えなくなり、教会の実践において「回心」と「洗礼」が分離していきます。
大雑把に言えば・・・中世のカトリック教会的教会形成原理から、宗教改革原理を徹底した自由教会形成原理へと移行して行く中で「義認」の意味・位置が変化して行くことを辿ってみたいと思います。
いわば「義認」の「教会論的文脈の変化」を「マクロな(=大風呂敷な)視点」から追跡した雑多な思いつきの寄せ集めに過ぎないですが、例証・傍証取り混ぜながら述べて行きたいと思います。
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