まもなくこのことが大統領官邸での会見でオバマ大統領によって報告、説明された。(ビデオ)
アメリカ国内ではこの報に、すぐさま通りや広場に出て歓喜で沸き返ったと言う祝祭ムードの反応と、その後次第に、いきなり射殺と言う手段に対する是非、及びパキスタンの主権侵犯と言う国際法上の問題などを含んだ批判的反応も出てきている。
一方国際社会では国連事務総長やダライ・ラマらの歓迎のコメントの一方、ビン・ラディンを生け捕りにして司法による裁きを介さずに射殺にしたことに対する批判など、アメリカと言う唯一のスーパーパワーの飛び抜けた軍事力による独断的正義遂行に対する懸念もかなりの方面から表明されている。((ウィキ『オサマ・ビン・ラディンの死』))
以前、3.11大震災を受けて、筆者がしばしば閲覧している英語ブログで殆んどこの惨事がスルーされたことに対して淋しい感じを抱いたことを述べたが、今回彼我の差でこのことをスルーしないためにも一言述べておこうと思い、こうしてまとまらぬ文章を書いている次第である。
以下、オバマ大統領のスピーチに絞ってコメントする。
スピーチの流れ、
①作戦遂行によってビン・ラディンが殺されたことを述べた後、直ちに2001年9月11日の同時多発テロの惨事を物語る。そしてその歴史的出来事の中でアメリカは、We were united as one American family、と人種や宗教の違いを越えた「一つの家族」としてこの悲劇を潜り抜けてきたことを強調する。
②次にこの惨事を引き起こしたテロ・グループのアルカイーダ壊滅を、アメリカ国民の安全と世界の平和のために一心不乱に推進してきたことをアッピールする。特にビン・ラディンに関してはその捕縛と殺害(kill)を最優先事項としてきたことを強調する。
③次にアルカイーダ壊滅作戦の中核となるビン・ラディンの居場所特定の情報が2010年8月にもたらされて以降、周到な用意をもって今回の作戦が遂行されたことを述べる。
そしてこの20年間と言うものアメリカを、世界を、常にテロの恐怖に晒してきたアルカイーダの存在を特筆し、ビン・ラディンの死が、そのアルカイーダ壊滅の最も重要な成果であることを強調する。
④次にアルカイーダに対する警戒は今後も続くことを述べ、彼らがイスラム世界の指導者ではなく、この対アルカイーダ戦略がイスラム世界に対する抗争ではないことを強調する。
具体的にパキスタンに言及しながら、アルカイーダは多数のイスラムの人たちを殺害(murder)し、対アルカイーダ戦略においてパキスタンとは協力関係にあるため、パキスタン自身がアルカイーダの攻撃対象であったことを述べる。
そして、作戦遂行後直ちにパキスタン大統領と電話会談し、一大成果を相互に確認したことを述べる。
⑤テロとの戦争は国家が信奉する価値を守るため、固い決心で継続されてきた。この10年間多くの犠牲を伴った。戦争遂行の過程で家族を失った者たちにビン・ラディンの死をもって、Justice has been done、と報告できる。
⑥この戦いに従事してきた諜報部員と作戦遂行を担った軍事隊員の働きへの感謝。
⑦9.11で家族を失った者たちへのメッセージ。あの時の一体感を思い出そう。アメリカはやろうと決心したことは必ず遂行できる国だ。そして以下の言葉で締めくくる。
Let us remember that we can do these things not just because of wealth or power, but because of who we are: one nation, under God, indivisible, with liberty and justice for all.全体として、アメリカと言う国が10年と言う歳月をかけて「一体となって」このことを成し得た、と言う点を高調していると思う。
このスピーチの中で度々justiceと言う語が使われた。
bring those who committed this vicious attack to justice
get Osama bin Laden and bring him to justice
Justice has been done
the result of their pursuit of justice
liberty and justice for all
筆者は「ジャスティス」と言う語で、近代市民社会では法廷において、あるいは法によって、「正しく裁きをつける」と言うくらいの意味であると理解している。
オバマ大統領は「ジャスティス」を対アルカイーダ、対ビン・ラディンには法廷で裁くことなく、戦争状態にあるため彼らあるいはビン・ラディンを直接殺害(kill)することで「ジャスティス」がなされたと理解しているのだ。
特に9.11で家族や愛するものを奪われた者たちにとっては、それは「報復的正義(retributive justice)」のニュアンスも含んでいるだろう。
オバマ大統領のスピーチに示唆されている世界観では、アメリカとその同盟国はアルカイーダと言うテロリスト・グループ(多数の無実の者達を殺戮、murder、してきた悪の存在)との正義の戦争を行っているのであり、自分たちに宣戦布告し無差別にテロ攻撃を仕掛けるテロリストたちを殺害(kill)することは即「ジャスティス」を遂行することなのだ。
ただ最後の、 liberty and justice for all、 のところの「ジャスティス」だけは今回のビン・ラディン殺害作戦で用いられた「ジャスティス」とは異なる意味を持つ。
すべての人が持つべきジャスティスとは人権的理念を指すだろう。
その中には市民的権利として、法によって適正に裁かれる権利を含む。
残念ながら今回のオバマ大統領の視点からは、ビン・ラディンにも、テロリストたちにも、その権利はない。
なぜなら彼らは戦争状態における「敵」であり、市民ではないからであろう。
彼らを法によって裁く選択肢はアメリカの大統領(ジョージ・ブッシュ、バラク・オバマ)には最初からなかったと思われる。
※このポストを書く前に英語、日本語の特にキリスト者関係のブログを幾つか読んで、彼らが「人道的な扱い」をビン・ラディンにも与えられたのではないか、との議論を目にしている。
上掲のウィキ記事にも詳しく「法的」なことがまとめられている。
筆者は敢えてこの議論には立ち入らないことにしたことをお断りしておく。
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