2012年1月25日水曜日

改革派神学

筆者は「アルミニアン・ウェスレアン」と言う神学的伝統の流れに位置する「日本聖泉キリスト教会連合」に所属する。
別な表現を用いると「メソジスト・ホーリネス」の背景の教会・・・と説明したりする。
まっ一番有名な人は18世紀英国信仰復興運動のジョン・ウェスレーとなる。

米国留学でも最初の二校はこの立場の学校であった。
その後一年間プリンストン神学校に学んだが、ここでも、そしてそれ以降も、ついぞ「改革派神学」についてまともな勉学はしないで来てしまった。

最初の聖書学校では「TULIP(total depravity; unconditional election; limited atonement; irresistible grace; perseverance of the Saints)」に対抗する神学的立場を学んだので、改革派神学のシステムを学んだわけではない。

とにかく神学的立場としてはカルヴィニズムに対抗する後から出てきた神学的伝統に立つことを自覚しているのだが、えてして後代の者がプロテスタントの神学を学ぶ時にカトリシズムが背景にドロップアウトするような勉強をするように、筆者の改革派神学の学びもそんな感じで来てしまった。

しかしそのような教派教理的対立の構図から、「福音主義」と言うそれら二つを抱合するような神学運動に目を転ずると、如何に自派を超えた神学的立場から影響を受けているか、と言うことに気が付く。

今日はそんな感じで「改革派神学」にネットを介して接する道順(計画的ではなく、たまたまリンクして行った経緯)を紹介しよう。


少々「英語圏ブログ紹介」も兼ねるが、先ず出発点は、Ross H. McKenzieのsoli deo gloria
というブログ。
マッケンジーさんの関心は主に「科学と信仰」だが、先日神学関係の記事を投稿した。
An article I wish my Presbyterian friends would read(「長老派の友人たちが読んでくれるといいなと思う論文」)、と題された記事だが、紹介されていたのはジョン・フレームと言う改革派神学者の書いた(2003年と少し古いが)Machen's Warrior Childrenと言う論文だ。

メーチェンと言えば「根本主義対自由主義」の神学論争時代の正統派神学を代表する論客だ。
筆者の父もかなり影響を受けた人だ。

フレームはこの論文でメーチェン以降の神学論争が「対自由主義神学」と言う敵に文化的敗北を喫した後自派内で多くの論争を生み、そのために無益なエネルギーを費やしたり、マナーに欠ける論争を行ってきたりしたのではないか、とその歴史を概観する。
先ずメーチェン以後の神学的系譜を概観し、彼らの間で論争されたポイントを21点挙げている。そしてその論争を評価し、最後にどのような建徳的な神学的作業が可能かを提案して終わる。

この論文を読み通したところで筆者のブログに「改革派神学の論争点整理」みたいな題で紹介しようと思ったのだが、日本語読者には余りに特殊過ぎるかと思ってちょっともてあましていた。
それで方向性を変えて、この論文から出発して、現代改革派の代表的神学者としてジョン・フレームと言う人を紹介してみよう、と思ったのである。

まっ、ウィキペディアでもセオペディアでもいいのだが、以前「神学と倫理」で紹介した、アンドリュー・ゴッダード氏の、Theology and Ethicsを参照してみた。
ジョン・フレームの項はちゃんとあった。

フレームに関するベスト・ウェッブサイトが紹介されていた。
The Works of John Frame and Vern Poythress 
というサイトだ。
ざっと見200本以上の論文・書評がネットで公表されている。
倫理学関係もかなり多い。
また彼の著作のうち3冊がネットから入手可能となっている。
三冊目はTheology at the Moviesとなっていて神学的映画評のコレクションのようである。

出発点に戻って、マッケンジーさんが推薦しているように、ジョン・フレームさんは広い知見とバランスの取れた感覚をお持ちの方のようだ。
この方の書いたものから学ぶことは色々ありそうだと思っている。

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