2012年10月10日水曜日

ついでの読書

毎年「体育の日」は墓参りならぬ墓掃除に行く。

小嶋家の墓は千葉県松戸に近い八柱霊園。

広い霊園の中でもかなり端にある墓は北総鉄道北総線松飛台駅からだと歩いてもそんなに遠くない。
ただ電車に乗っている時間がやや長い。
それで軽い読み物を持って行くことにして、前日図書館に探しに行った。

普段は殆んど小説の類を読まないのでなかなか選ぶのにも照準が無い。
書棚を行ったりきたりしながら選んだのは、田口ランディ「できればムカつかずに生きたい」と阿川佐和子「男は語る アガワと12人の男たち」。
どちらも文庫だ。

墓掃除の行き帰りは主に阿川さんの方を読んだ。
でも田口さんの文章がこざっぱりしてて気に入った。
帰ってから田口さんの本を読み続けた。

できればムカつかずに生きたい」には全部で26のエッセイというか文章が載っている。
その中で色々面白いのがあったが、一番印象に残ったのは『アイヌのシャーマンと出会う』だった。

北海道苫小牧からバスで二風谷(にぶだに)へ行って、山道康子、アイヌ名アシリ・レラを訪ねた時のことを綴るものだ。

レラさんの言葉で、アイヌの人たちはみな霊力を持っていたと言うことを説明するのにこんなのがある。
私たちアイヌは神と魂の存在を信じていたからね。すべての生き物に魂があり神が宿っている。それを信じること、一点の疑いも持たず信じること、それが力なんだよ

まーアイヌの宗教はアニミズムと言うことで片付けてしまいそうになるが、「信仰の力」と言うことでは何かイエスが語った言葉と似たような響きがあると思った。面白いなと思った。

更に田口さんはこんなことも聞いた。
人間の義務はね、万物の霊長としてすべての生き物のために祈る事なんだよ
それが、天と地の間に垂直に立つことのできる人間の役目だ。祈り、すべての生命の魂を天に送ることが人間の義務なんだ。神はそのために人間を守ってくれるんだよ
これを読んで以前書いた池澤夏樹「多神教とエコロジー:世界を支配する資格」 を思い出した。
池澤氏はエコロジーの背後にアニミズム的な考えがあること(あるいは必要であること) を言っていた。
エコロジーの背後にはアニミズムがある。あるいは、あるべきだ。一にして全なる神を信じる人々も個々の被造物の中に、それをあらしめている神の意志を認めなければならない。
今、我々は支配力を駆使して支配者の地位から降りなければならない。
しかし池澤氏のエコロジーのためのアニミズム解釈と、アシリ・レラさんのアニミズム的世界観とでは微妙に「人間の立ち位置」に関する認識が異なっているように思う。
アイヌの世界観では人間はある種生き物の大祭司(これはユダヤ・キリスト教のボキャブラリーだが)的役割が課せられているようだ。

キリスト教との比較では、「一神教対多神教」で引き離されてしまうが、創世記一章の「人間の被造物支配」を「被造物をケアーする人間の役割」(これが地球環境問題以降キリスト教が強調するようになった創世記一章の人間観だ)に整理し直せば、両者は人間に特別な意義を認めている点で接点を持つようになれるのではないか、と感じた。 
 

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