2014年7月30日水曜日

(1)今朝閉店、近所のスキ屋

昼食後、ごひいきパン屋アルルに注文していた食パンを取りに行った帰り。

何気なく横断歩道のところまで来た時に、いつもと違うスキ屋に気がついた。


あれれっ「閉店」とな。

「13年間」ありがとうございましたとある。

なんだそんなに経っていないではないか。
でも一度も入ったことがない。

たまたまであるが通りかかった時は閉店直後だったと言うことになる。
7月30日午前閉店と貼紙にある。

別にどうと言うことない日常の一異風景。

しかしこの場所と建物にはそれなりに思い入れもある。

ここは富貴ビル、と名前があるが、かつて日本そばでは地元の名店だった『富貴』があった。

ビルに建て替える前から(以前の建物のイメージは残念ながら殆ど残っていないが)何かの時には食べに来ていた。

特に思い出に残っているのは天麩羅そば。

大きな海老の天麩羅が大振りの丼に入ったそばの上に二つでんとのっていた。

味は勿論、見ただけでも感動ものの天麩羅そばだった。

何より海老天麩羅の香りが強烈だった。

揚げ立て天麩羅の放つおいしい匂い。
それだけで食欲が亢進した。

(自分は当時子供だったが)牧師たちの会合で何人か集まった時には、昼ごはんに「富貴の天麩羅そば」を皆さんご所望されて、それに入れてもらって食べたことも何度かあったかもしれない。

今でも時々「富貴の天麩羅そば」の話題が出ることがあるほどだ。

その富貴さんが新しくビルに建て替える、と聞いた時には少し心配した。
味が変わってしまうのではないかと。

立派な建物、立派な看板になった富貴は、記憶では以前と遜色なくおいしい蕎麦を提供していたと思う。
しかし多分以前のような「値段とボリューム」は維持できなかったようだ。

次第に足が遠のいていったように思う。

建て替え後、どのくらい続いたか、「長年ご愛顧頂いた富貴」が閉店した。
しばらく空いたままになった後で、スキ屋が登場したわけだ。

地元老舗の蕎麦屋からファストフードの牛丼やへ。
時代の移り変わりであった。

そのスキ屋が閉店と言うことで、むしろその前の「そば富貴」を懐かしく思い出すことになった七月も終わろうとする今日の午後の一こま。


※「巣鴨 そば 富貴」でググッてもそれらしきものは何もヒットしない。

2014年7月26日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年7月27日(日) 午前10時30分

朗読箇所 エペソ人への手紙 1:3-14
説 教 題 「イスラエルの牧者」  
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

詩篇に沿って(4)
詩80篇・・・捕囚からの解放を求める祈り

2014年7月24日木曜日

(4)水村美苗『日本語が亡びるとき』①

「この本は読むべき」とした本をさらに紹介。

そう言う性分なのです。
誰か「これは」と思う人が見つかると集中的に読む。

しかし水村さんはウィキでは1951年生まれ、とあるからそんなに年齢違わない。

ご本人のウェブサイトには余り個人的なことはなかった。


ところで、なぜ今頃「水村美苗」なのか。

あるいは、なぜ出版から(当時かなり話題になったそうだが)6年も経った今頃になって「日本語が亡びるとき」なのか。

偶然です。

取っ掛かりは「加藤周一」でした。

(フランス文化講演シリーズ第280回)
第5回加藤周一記念講演会
「私の知っていた加藤周一さん」
水村美苗(作家)
日時:2014年09月19日(金曜) 18:00
会場:日仏会館ホール - 渋谷区恵比寿3丁目
先日、この講演会の案内がツイッターのTLに流れてきたので、早速申し込みました。
 
その時点で水村さんの名前は存じ上げていましたが、加藤周一とのコネクションについては知りませんでした。
 
申し込みも終わり、さて講演会までまだ時間的余裕もあるし、何か水村さんの本でも読んでみようと思ったのです。
 
「続明暗」についても、小説を作ることがライフワークらしいこともある程度分かっていましたが、敢えて評論やエッセイを読んでみようと思いました。
 
それで先ず読んだのが「日本語が亡びるとき」。
久し振りの「インパクトを感じる」読書でした。
「せいぜい数年に一度くらいあるかないか」のインパクトでした。
 
早速何人かに「これこれ、読んでみて」と声をかけました。
 
図書館から借りて読んだのですが、早速ネットで購入しました。
中古ですが状態いいやつを入手することができました。

他に借りていた水村さんの本を続けて読みました。
「日本語で読むということ」
「日本語で書くということ」
加藤周一についてのエピソードには読んでいて「ウルウル」しました。


しかし迂闊にもこの本が出版された時かなり話題になっていたのですね。
全然気がつきませんでした。

WEB進化論の著者、梅田望夫との対談が出版後間もなくあったのですね。

(次回に続く)

2014年7月21日月曜日

(4)これは読むべき!!

最近更新がないので「夏休み」にでも入ったかな・・・と思われた方も多いと思います。

突然復帰です。

それは左サイドバーの一番上に新しく登場した「一押し!」コーナーを兎にも角にも説明して置いた方が宜しかろう、と思って。

水村美苗『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』
一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々
二章 パリでの話
三章 地球のあちこちで<外の言葉>で書いていた人々
四章 日本語という<国語>の誕生
五章 日本近代文学の奇跡
六章 インターネット時代の英語と<国語>
七章  英語教育と日本語教育

水村美苗は、多分夏目漱石の未完「明暗」を「続明暗」で“完結させた”作家として話題になったことで少し有名かもしれない。

昨日借りてきて今日読了し終えたばかりなので、少しせっかちな評価かもしれないが、一種の「必読書」だと感じている。

どんな人に対して「必読書」か、という説明を試みる前に、一章から少し引用しておく。
 私たち作家にとっては、<自分たちの言葉>が「亡びる」ということは、私たちがその担い手である<国民文学>が「亡びる」ということにほかならない。
 私たちみんながその担い手の一人である<国民文学>。
 その<国民文学>がひょっとしたら「亡び」てしまうかもしれないのを、ほかの作家たちはなんと考えているのだろう。あるとき歴史のなかで生まれた<国民文学>。その<国民文学>がすでに最盛期を迎え、これから先は「亡びる」しかないかもしれないのを他の作家たちはなんと考えているのか。これから、百年、二百年後、<国民文学>が形としては残っていても、そこに今までのような命が脈々と息づくことはないかもしれないのを・・・・・。
 かれらは、英語という言葉が<普遍語>になりつつあることの意味を、いったいなんと考えているのだろうか。
 そもそも、そんなことについて考えることがあるのだろうか。(52-3ページ)
水村が参加した世界のあちこちから集まった「作家たち」との交流の中で次第にある疑問が形成されていく。

作家と言う言葉を糧にして生きる者たちが、このような国際交流(英語を母語としない者たちがそれぞれ自国語の文学を担うと言う共通意識で接する環境)を通して持つのではないかと思われる「自覚的・先鋭的問題意識」が共有されているのかどうか・・・・・・。
 アイオワの青い空のもと、街路樹の葉が少しずつ黄ばんでいくなか、かくも熱心に、<自分たちの言葉>で書く作家たちと暮らすうちに-しかも、その作家たちが、自分も含め、「亡び」ゆく人々かもしれないと思うようになるうちに、「une literature majeure」というその言葉が、何を私に語りかけていたか、少しずつわかるようになっていった。そして、振り返るようになっていった。そして、振り返るようになるにつれ、その言葉は、その言葉を口にした人の意図を超えて、私にとって深い意味を持つようになっていった。それは、日本に日本近代文学があった奇跡を奇跡と命名する勇気を私についに与えてくれた。だが、その奇跡は、そのまま喜びに通ぜず、その奇跡を思えば思うほど、ふだんからの悪癖に近い「憂国の念」がいよいよ私の心を浸していった。
 日本近代文学が存在したという事実そのものが、今、しだいしだいに、無に帰そうとしているのかもしれない・・・・・・。(強調は筆者、56ページ)
そして日本の近代化という特殊歴史状況のもとで成立した「日本近代文学」が次第にはっきりした輪郭を持って掴み取られていく過程が始まったことを示唆している。

一読して分かると思うが、一作家の「個人的体験」に根ざしながら、言葉・文学を巡る考察を中心にした「文化・文明」論にまでなっている。

しばしば説明の要に引用されるのは、夏目漱石の時代的・文化文明的意義である。

それは文学作品だけでなく、彼が留学から帰国後東大の英文学教官の立場をラフカディオ・ハーンから継承した後に彼が到達しようとしてある意味できなかった英語と日本語のハザマから出てくる文明的役割の難しさの問題についての指摘によって浮き彫りにされている。

とても一言では要約できない、問題群が的確な用語の整理と、明晰の議論の積み重ねで、説得的にまとめられている。
なるほど書き終えるのに5年を要しただけのことはある。

いずれにしても次のような方々には一読をオススメする。

①これからの日本、特に「国際化」の問題について考える必要を覚えている人。
②ビジネスにしても何にしても、組織の指導的役割にあり、どう言う将来像のもとに戦略的実践を積み重ねるか考えている人。
③教育、特に国語と英語の教育問題を総合的に考える必要がある人。
④翻訳、特に英語からの翻訳に従事している人。
⑤少し飛躍だが、大学の一般教育、従来「教養」という概念が担っていたものとは何か、を考える必要がある人。
⑥また(ちょっと斜に構えた物言いになるが)、子供の将来にとって「英語」は必須であると強迫観念を持っている人。

などである。


とにかくこの本の中で、指摘され、分析され、議論されている事柄は長期的視野で策定するべき国家戦略に関わる重要問題であることは確かだろう。
それについて書いた人物が単なる「女性小説家」の一人であるかどうかは本質的問題ではない。(その属性についての好き嫌いの問題ではない。)

2014年7月19日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年7月20日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:9-14

説 教 題 「暗闇からの救出」
説 教 者  小嶋崇 牧師


パウロ書簡の学び(125) | コロサイ人への手紙(7)

2014年7月12日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年7月13日(日) 午前10時30分

朗読箇所 エペソ 5:16-20
説 教 題 「会衆の賛美」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教シリーズ:キリスト者の交わり(7) 

ボンヘッファー、Life Together、2章『聖書を読む』から
    声を一つに、今日歌おう
    ユニゾンで、賛美と祈りを
    とボヘミア兄弟団は歌った。「心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」(ロマ15章6節)斉唱の清清しさ、楽器の技巧で曇らされない。その透明さ、言葉と離れて独自の解釈を確立しようとする楽器演奏に左右されない。その単純さ、素朴さ、人臭さ、温かさを引き出す斉唱法がすべての会衆賛美の精髄と言える。

2014年7月6日日曜日

(5)亡命知識人・続

亡命知識人と題して読書感想らしき、メモらしきものを書いた。
それの続き。

前回話題にした
①フランクフルト学派
②ポール・ティーリッヒ
③ハンナ・アーレント
を取り上げている「ウニベルシタス」とはそもそもなんぞや、であった。

別に初耳だったわけではないが、こうして連続借りてみるまで余り気にしなかった。

ウニベルシタスってuniversityのことか・・・。
と言うところからもうずっこけである。

しかし法政大学出版局の編集者ってどういうんだろう。

もう1000点もの叢書を発行してきたと言うが、どのようなクライテリアで選んでいるのだろう。

少しスケールは違うが、米国遊学時代、バークリーの古本屋街で、Harper_Torchbooksを見つけてはよく買っていたが、そのラインナップに少し似ている感じもある。

しかしウニベルシタス叢書は値段が違いすぎるが・・・。

明日には図書館に返却しなければならない、アーレント=マッカーシー往復書簡


を読んでいて何箇所か面白いところがあった。

「真理」は思考の最後に出てくる結果だと信ずるのは大きな誤りです。それどころか、真理は常に思考の始まりであり、思考は常に結果のないものです。そこが「哲学」と科学の違うところです、科学には結果があり、哲学にはない。思索は真理の経験がいわば胸にぐさっときたときに始まります。哲学者とそうでない人の違うところは、哲学者はつかんだ真理を放さないということであり、彼らだけが真理をつかむということではないのです。(中略)真理は、言いかえると、思考の「中」にはなく、カントの言葉を借りれば、思考の可能性のための条件なのです。それは始まりでありアプリオリです。(82-3ページ) 
後そうですね、この本読んでて少し面白いのはマッカーシズムが吹き荒れた頃とその後のアメリカ知識人の様子が少し肌で感じられるような点と、それからどちらにしても若い国アメリカの知識人はヨーロッパを古典とする点かな。

それからこれはマイナーポイントだけれど、アレントのテオドール・アドルノ観が窺えるコメントがちょっと。(アドルノの父方のイタリア人姓を名乗ることで、ユダヤ出自を隠すようなところをアレントは由としなかったようだ。)



2014年7月5日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
7月6日(日) 午前10時30分

 
朗読箇所 ヨハネの福音書 16:5-15
説 教 題 「力に応じて」
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

 《御霊の働き》 5



※聖餐式があります。

2014年7月3日木曜日

ブログ開設4周年

7月3日はこのブログの定点観測の日だ。
と言うことは何とかまた一年継続できた、と言うことだ。

やはりブログの方とは相性いいのかも・・・。

では今年も「過ぎし一年」を振り返ってみよう。

①投稿数
 驚いたことに総投稿数が182だ。
 もちろんこのうち約50は「礼拝案内」なので130くらい。

 なかなかがんばっているなー。
 依然月によってかなりばらつきはあるが。

②総ページビュー

 125,300を越えたところ。
 月平均で3,460、日平均110は結構多いなー。

 一番の変化は検索によるページヴューが増えたこと。
 あとどう言う訳か海外からのが増えたこと。

 まーこの程度の数字では「傾向」に関して言えることは殆どない。
 と言うことは数字によって何かを変えたりすることは殆ど必要ない。

 ということだろう。

 (殆ど自分だけの遊びだが、実は某牧師のブログをライバル視している。まっ、数だけだが。)


 では読者の皆さん。すぐる一年のご愛顧ありがとうございました。
 また新たな一年も順調に続くようでしたら、よろしくお願いします。