2014年10月28日火曜日

(4)新カルヴィン主義動向④

前回から1ヶ月以上経ってしまった。

「新カルヴィン主義」は、果たして一過的な盛り上がりに終わるのか、それともより長い影響を及ぼし続けるのか。

LOVEJapanで来日したジョン・パイパーも去ったことだし、今後のニュー・カルヴィニズムを占うにあたってちょっと心配な観測をしている記事を今回は紹介しましょう。

ジョナサン・メリット記者による記事
The troubling trends in America's 'Calvinist revival'
(「北米における『カルヴィン主義復興』には心配な傾向が幾つかある」)

※文中メリットは「ニオ・カルヴィズム/カルヴィニスト」を多用しているが、シリーズ②の記事中で書いたように「ニオ・カルヴィニズム」は「アブラハム・カイパーに代表される19世紀末から20世紀初頭にかけたオランダ改革派神学運動」を指す。
※「ニオ・カルヴィズム」については、以前「キリスト教世界観」と言う記事の中で素描を試みた。←ことを最近思い出した。 


メリットが挙げる「心配な傾向(トラブリング・トレンズ)」は3つある。
 1.孤立主義(アイソレーショニズム)
 2.同族主義(トライバリズム)
 3.独善主義(エゴティズム)

1.孤立主義(アイソレーショニズム)
 メリット記者が「孤立主義」で指摘しようとしているのは、新カルヴィン主義者(特に指導者たちに顕著だとする)が、自分たちの神学的伝統の中にだけ留まり、余りその外に出ようとしない傾向のこと。

 ニュー・ヨーク市にあるキングス・カレッジ学長グレッグ・ソーンベリー氏の言葉を引用してこの見方を支持している。
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
“I think the ‘young, restless, and reformed” are different than the Dutch stream in that they tend to stay with authors and leaders that they know. It does run the risk of being provincial, but I don’t think it is intentional."
(ダッチ・ストリームとは恐らくカイパー系のニオ・カルヴィニズムを指すのだろう。
‘young, restless, and reformed”はコリン・ハンセンがいち早く新カルヴィン主義の動きを捉えてCT記事にした時の題名で、以後しばしばこの運動を呼ぶ時に用いられる。 )

2.同族主義(トライバリズム)
An illuminating example of this might be the recent glut of Mark Driscoll controversies—from sexist comments to charges of plagiarism to proof that he bought his way onto the New York Times bestsellers list using ministry monies. Leaders in the movement were effectively mum until a select few broke the silence of late. - See more at: http://jonathanmerritt.religionnews.com/2014/05/20/troubling-trends-americas-calvinist-revival/#sthash.PE0zXdJW.dpuf
孤立主義と呼応するが、「内輪の者に甘く、外部者には厳しい」態度を取る傾向のこと。
An illuminating example of this might be the recent glut of Mark Driscoll controversies—from sexist comments to charges of plagiarism to proof that he bought his way onto the New York Times bestsellers list using ministry monies. Leaders in the movement were effectively mum until a select few broke the silence of late.
※ここで取り上げているマーク・ドリスコル(元)牧師のケースはかなり例外的なものかもしれないが、その威圧的な言動や牧会指導スタイルで批判を受け、さらに自著セールス・キャンペーンに詐欺まがいの方法を用い、しかもそれを教会会計から多額支出したことで非難されていた。

この一連のドリスコル牧師騒動の間、仲間の牧師たち殆どは基本的に押し黙っていた、と言う指摘。
結局彼は暫く前に牧師を辞任した。

3.独善主義(エゴティズム)
 カルヴィン主義神学の優位性に「エゴ」が肥大し、ついついそうじゃない者たちにウエメセ(上から目線)的発言をするような態度のこと。

 このポイントで例として挙げられているのが(かなり話題になった)ジョン・パイパー牧師のロブ・ベル牧師批判ツイート。(神学的に怪しいロブ・ベル牧師の著書「ラブ・ウインズ」に対して、パイパー牧師は、「さよなら、ロブ・ベル」ときつい一言を投げた。)


今回は新カルヴィン主義運動に対して批判的な報道を紹介したが、マーティー教授が指摘したように、今後の運動の浮沈は、このような運動体の、特に指導者たちの、社会学的特徴にも大いに左右されるかもしれない。


2014年10月25日土曜日

明日の礼拝案内

時間を設定して自動公開したと思ったが、うまく出来なかった。事後になったが記録のため公開。

主日礼拝

2014年10月26日(日) 午前10時30分

朗読箇所 テサロニケ人への手紙第一 2:17-3:5
 
説 教 題 「私たちはあなたがたの顔を見たい、 
     信仰の不足を補いたいと、
     昼も夜も熱心に祈っています
説 教 者  小嶋彬夫牧師 

テサロニケ人への手紙第一から(3)

※小嶋崇牧師は水戸下市キリスト教会の礼拝で説教します。

2014年10月20日月曜日

(1)「人に助けてもらうって、それほど簡単なことじゃない」

「困ってるひと」を著した大野更紗さんについては、右サイドバーにリンクも貼ってあるし、記事にも書いた事がある。(これこれ

「困ってるひと」から3年、今度は「シャバはつらいよ」が出た。


著者大野更紗がシノドスジャーナルのインタヴューに答えた記事を読んだ。

以下何箇所か抜粋。

いま気になっているのは、社会にいる難病に限らないありとあらゆる困ってるひとたちが、忸怩たる思いを抱えていても、社会システムの変革に繋がるようなチャンネルがない状況です。

いろいろな困ってるひとがいます。アクティブに活動できる困ってるひとも、本当に深刻で、誰にも気づかれていない困ってるひとも、あるいはアクションを起 こすほど困ってるわけじゃないけど、ちょっと困ってるひとだってままいると思います。特に就労されている方だと、就労を維持することで精いっぱいで、自宅 に帰ったら体を休めるしかない。アクションを起こす余裕なんてない。社会運動をするよりは、就労を継続するほうが現時点では大切だ、という人もいるでしょ う。

……漠然とした言い方になっちゃうんですけど、人間って他人に関心が持てない側面と頼まれてもいないのに異常な情熱をもって人助けをしてしまう側面の両方をもっていると思うんです。
いつでも利他的で、役に立ちたい! なんて気持ちがずっとある必要はないと思うし、それは逆に不自然だと思うんだけど、でも普通に生きていれば、人 間、ひとつは自分のライフワークみたいなものがあると思うんですよ。仕事かもしれないし、趣味かもしれない、まだ見つからない何かかもしれない。それを ね、最近つくづく思うんだけど、もうちょっとまっとうなエネルギーに使ってもいいんじゃないかなって。

(※「利他」と「無関心」と両方を持っている。
そうねー。
それと双方の間の落差が激しい、って言うのもあるかも。)


2014年10月18日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年10月19日(日) 午前10時30分

朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:15-23

説 教 題 「万物と御子」
説 教 者  小嶋崇 牧師


パウロ書簡の学び(127) | コロサイ人への手紙(10)

2014年10月16日木曜日

(5)福音と多層文化

「福音と文化」と言う範疇でも様々議論があると思う。

しかしこれはメモ程度の文章なので、ただそのような思索のジャンルに入るものとだけ言っておこう。

※神学的考察として少し名前や著作を挙げれば、
①H・リチャード・ニーバー「キリストと文化」、
②ポール・ティーリッヒ「文化の神学」(Theology of Culture)、
などがあるかな・・・。


もちろん、どの文化(歴史や言語、思想的伝統)で神学するか、と言うことの自覚的反省そのものも「文化の神学」となるのだろうが。

「福音と文化」は日本の福音主義神学では、日本福音主義神学会創設当時ある程度関心の高いテーマであったような記憶がある。(学会誌のバックナンバーで論文タイトルをご覧ください。)
但し、当然ながらそれは「伝道の対象としての日本文化」と言う設定が色濃く出ていて、自省的な方向のものは少ないように思うが。

このブログではまだ「福音と文化」と言うテーマで「日本の文化」の問題について書いたことは余りない。

しかし、「福音主義」という事では主に北米の事情を「社会や文化の文脈」で書いたことは何回もある。

そんな中で「文化の多層性」を睨みながら書いた文章があった。
福音主義キリスト教と文化

ここで用いた「文化の多層性」の整理は、
①メイン・カルチャー(言語や国民的価値観のようなもの)
②宗教文化(プロテスタンティズムは北米でのメインな宗教文化)
③「福音主義」や「バイブル・ベルト」という宗教でのサブカルチャー
④人種的背景の違いから来るサブカルチャー(スン・チャー・ラーの韓国系福音主義キリスト教)
のようなものであった。

※先日「いのフェス」で起こったことも、もっと仔細な「文化の多層性」衝突問題として分析するのも、あるいは興味深いかもしれない。

とにかく、このメモ的文章で言わんとしているのは、単に「福音と文化」ではなく、もっと細かい「文化」を捉えて行く必要があるのではないか、と言うことだと思う。


※そう言えば、のらくら者の日記の記事はそのような「細かい文化」の問題ではなく、「文化の古層」「行動様式に表れる潜在的なもの」への実践倫理的問題提起だったように思う。
「空気」と、(丸山眞男が指摘した)日本人の「古層」とには深い関係がある。キリスト教会にとって、福音(メロディー・旋律)も、「古層」(執拗低音)の 問題に取り組まなければ、和音の色彩はすべて変質してしまう。クリスチャンも本書を熟読して考えてもらえればと願う。
もっと掘り下げて欲しいのだが・・・。

「日本文化を基底としている、日本文化に規定されている、キリスト者」と言う自省的分析視点を持ちつつ、「日本文化」を宣教の文脈に置かないと、と言うことでしょうね。

2014年10月15日水曜日

JECA水戸下市キリスト教会 特別集会

今年2月こんなメールが飛び込んできた。
小嶋崇先生
初めてのメール、失礼いたします。私は○○○○と申します。JECA日本福音キリスト教会連合傘下、水戸下市キリスト教会の信徒です。
私は195○年○月生まれ、仙台出身です。実家は○○○町で片平丁小学校、○○中学校、○○○○高校、○○学院大学を経て、197○年、茨城県に就職しました。
197○年のペンテコステに○○○○○○教会で洗礼を受けました,。
小嶋先生の経歴を拝見して、もしや片平丁小学校の同級では?と思い、失礼を省みずメールを宛てさせていただきました。
最初は名前だけはもしかしたら・・・としばらく考えてみたのだが、記憶に繋がるものがなかなか出てこなかった。返事を待たせるのもなんなので、以下のように返事した。
○○○○さま、
メールありがとうございました。
確かに片平丁小学校に4年生まで通いました。
当時の記録がないので記憶だけなのですが、生年が1954年10月なので同学年ですね。
私の担任は1、2年生の時が高橋まさこ先生、3、4年生時が菅原先生でした。

同級生の名前を何人か覚えていますが、残念ながら「○○」と言う名で顔が浮かんできません。
違うクラスだったのでは。
時々ネットで「片平丁小学校」で同学年卒を検索したりするのですが、さすがに個人的な情報までは行き当たりません。
担任だった先生たちは今どうしているだろう、などと思ったりするのですが・・・。
私の方は東一番町一番地(現仙台聖泉キリスト教会)でしたので、その辺に住んでいた(記憶が正確であれば)「田中○○○○」「吉田○○○○」「村上○○○」たちと仲良しでした。
そうしたらやはり二人は同じクラスであったことを確認して直ちに返事をくれた。
小嶋先生
レスありがとうございます。
やはりそうでしたか。
小生、1年2年は○○○先生、3年4年は菅原先生、5年6年は○○先生でした。
3-4年で同クラスだったわけですね。

ただ、小嶋先生と会話した記憶はありません。
誰かが「コジマくんの家は教会だよ」と言っていたので、
コジマくんが教会の息子さん、だったという認識があった程度でした。
うっすらと覚えているコジマくんの印象は、色白で優しそうな少年、でした。
いやー、小学生時代の自分の印象を突然聞くとは・・・。何か不意に鏡を見るようで自分でもびっくり。

暫くして、 ○○さんが上京の折話す機会を得た。
昔話に花が咲いた。

帰り際近く、突然居住まいを正すような感じで、「お願いなのですが」と、水戸下市教会の秋の特別集会の講師を頼まれた。



と言うわけで、長ーい前置き(導入)となったが、標題の
JECA水戸下市キリスト教会 特別集会(教会ブログでの案内)
となったわけである。

水戸下市教会にとっては毎年恒例の(秋の)特別集会講師に、JECA(日本福音キリスト教会連合)外から招くのは初めてだそうなので、当方の最近の関心や、キリスト教理解の方向を示唆する意味で、
スコット・マクナイト「福音の再発見」
リチャード・ボウカム「イエス入門」
ポール・マーシャル「わが故郷天にあらず」
の名前を挙げておいた。

どうやら「合格」したようであった。

もう10日後となった。
ギアをあげてメッセージにかからなければ。



1.講演会
 2014年10月25日(土)午後7時30分
「不思議なキリスト教-なぜキリスト教は成立しえたのか
 ・・・メシアの十字架の死→復活」

2.主日礼拝説教
2014年10月26日(日)午前10時30分
「神の国とその義-聖書の一大ストーリーの中に生きる
 ・・・聖書を貫くナレーティブの中に『キリスト者の役割を発見する』」

2014年10月11日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝

2014年10月12日(日) 午前10時30分

朗読箇所 ルカ福音書 24:13-35
説 教 題 「食卓の交わり」
説 教 者 小嶋崇 牧師

説教シリーズ:キリスト者の交わり(9)  




 聖書はイエスと弟子たちが共にする食卓の交わりについて三種類のものに言及します。日々の食卓、主の晩餐、神の国での祝宴、の三つです。
 しかしこれら三つのいずれにおいても大事なのは、「彼らの目が開かれて、主イエスを知った」ことです。
        (ボンヘッファー、Life Together、2章)
 

2014年10月4日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2014年10月5日(日) 午前10時30分

 
朗読箇所 ヨハネの福音書 16:5-15
説 教 題 「栄光の十字架」
説 教 者 小嶋崇 牧師
 

 
《御霊の働き》 7
※聖餐式があります。