2017年2月22日水曜日

(3)隠れキリシタンになる前に 余波1

昨日、筆者が所属する教会のグループである聖泉連合の教役者会があった。

昨日の場合は普段より議題が多かった。

しかし北から(盛岡)南から(名古屋)集まる面々の会議に滑り込むペースはいつものように殆ど変わらなかった(遅かった)。

(そのときは余り意識していなかったが)筆者が司会を買って出て、会議のペースを上げるため矢継ぎ早に冗談めいたことや、いくらか挑発的なコメントをした。

弾みをつけたかったのだと思う。

「普段と違う!!」ということで何人かの人から「今日は○○先生は元気がいいですね」と驚きとも皮肉とも取れる感想をいただいた。

結局5時間ほど6人の教役者の方々と一緒に時間を過ごしたわけだが、その間何度か言われた「普段と違う!!」「元気がいい!!」類のコメントを家に持ち帰って反省する羽目になった。

明け方うつらうつらしながら一つの解を得た。

と思ったので、この記事を書き始めたのである。

つまり、筆者の「普段と違う」言動、その雰囲気を意識下で醸成していたのは、先日ブログ記事で「隠れキリシタンになる前に」と書いた事柄にある、と。

初めは最近意識するようになった「老人性イライラ」がハイテンションに形を取って出たのかな、と思った。

でも考えているうちに、「教会が衰退して行くのをただ傍観している現状(事実と言うよりそのように見える状態)」に対する腹立たしさのようなものがふつふつと沸いていたのかもしれない、と思い至った。

そこまで思い至って過日の言動を省みるに、どうやら筆者は何らかの「目を覚まさせる」ような物言いを画策していたみたいだ。

(少々失礼な言葉で)仲間の教役者たちのほっぺたを引っ叩くような・・・。

 「このまま事態を放置していていいのか!舟は沈み始めているぞ!」

普段は至って「常識を大事にする人」のように振舞っているのに、突然「覚醒者」ぶったことを言うのは憚られた。それで通路を変え、別なトピックで仲間たちに発破をかけるような言動をしたのではないかと・・・。



さて導入が長くなりすぎた。

(1) 幾つかの線が交差する

(3)隠れキリシタンになる前に」では「ある方」が属する「一プロテスタント教会の衰退」とその取り組み(あるいはその無策)を聞いた範囲で、しかし幾らか筆者の知見を付加・脚色してまとめた。

書いてから思ったのだが、まだ別の幾つもの事象から線を引っ張ってきて「この事態」がかかえている問題に交差させることが出来る、と。

 (A)「お一人様」現象

 ※かつてこのブログでも「お一人様クリスチャン」で書いた事柄。

 (B)「シーライズム」(ロバート・ベラー他『心の習慣』、ミヒャエル・フス『愛の力に祈る――宗教間対話の現状について』8頁の脚注20に簡単な「シーライズム」の紹介がある。)
 
 (C)「新宗教の信者激減 10年後に消滅する教団も

 「・・・日本の新宗教が信者を増やしたのは、高度成長期に地方から都会に出てきた人を取り込めたことにある。希薄になった人の繋がりを宗教に求めたからだ。しかし、現代の若者は何か困ればスマホがあり、人間関係はSNSで築く。それでは宗教の出る幕がない・・・」

 (D)「東京23区だけで238人 20~30代の『孤独死』なぜ増えた

 「・・・若者の孤独死が増えたのは契約、派遣社員、フリーターの増加も一因です。彼らが数日間、無断欠勤したぐらいでは、会社は心配してくれない。・・・一人っ子が増え、一人でいる方がラク、友達関係も希薄という若者が増えたせいもある。」

(2)「既成宗教団体」の衰退(あるいは消滅)がもたらすもの

(1)で挙げた「引っ張ってきて交差させることが出来る線」はまだあるが、要するに「隠れキリシタンになる前に」でも紹介した中外日報の「人口減少社会」記事にもあるように、
今回の国勢調査で、高齢者や外国人のほかに5年前と比較して増加しているのは世帯数だ。総人口減少にもかかわらず、世帯数は2010年の時点より145万世帯増えて、1世帯当たり2・38人となった。1970年は3・45人だから、世帯規模も著しく縮小した。
人口減少にもかかわらず「世帯数の増加」つまりそれは「お一人様」現象として出てきていることの社会構造変化面でもあるだろう。

しかし「お一人様」現象が単に「個人のライフ・スタイル」選択にとどまらず、戦後の高度経済成長期の都市化、人口集中という構造変化、さらにポスト経済成長期・ポストバブル期の人口の大都市一極集中という社会構造的変化と重ね合わせると何が言えるだろうか。

一方で既成宗教団体の衰退・(近未来の)消滅(可能性)があり、もう一方で「個人化・孤独化」の深化がある。

つまり、人と人を結ぶ絆帯の役割を担ってきた伝統的宗教(仏教寺院・神社)が近代化によって次第に衰退し、代わって様々な新興宗教が近代社会のひずみを吸収してきた。

しかし、ここにきてそれらの新興宗教ももはや「既成宗教」となり、新しい社会の動向に相応しく人々の宗教的ニーズに対応しきれていない状況が明確になって来ている。

(殆どのキリスト教団体の趨勢はこの流れの中で左右すると思われる。)

衰退して行く既成宗教、そして新興したが今や既成となった宗教団体が対応できずに、口を開けた隙間がどんどん広がっている(ように見える)。


この隙間を埋めるように様々な新々宗教が参入するが、一部巨大化・カルト化するが残り多くは泡沫現象として消えて行く。

既成宗教を置き換えるような勢いにはなっていかない。

(1)(D)の「若者の孤独死」増加はいわば「パックリ開いたクレバスに落下する事故」のような印象で筆者には受け止められた。



そんな図が(以上挙げた点を結んだだけでも)描けるのではないか・・・。


もちろんこれは「単なる図」であって、「説得力のある絵」ではない。

真実はディテールで検証されなければならないことは言うまでもない。


次回「牧会の現場」から上がってくる「ケース(例証)」で巨大ジグソーパズルの一ピースを埋めることが出来るかどうか試してみたい。

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