2010年12月17日金曜日

標語聖句

今年も早や年末。来年のことをいろいろと考える時期になった。
当教会では伝統的に、年頭「標語聖句」を掲げる。

旧木造の会堂の時は、横長の額に墨で書をしたためて入れていたが、新会堂となってからは、コンクリートの壁のため、また適当な場所もないため、「月定献金袋」に書いてもらっている。

大分長い間、講解説教が続いているので、標語聖句に選ばれる箇所は、その年学ぶことになる部分から選ばれている。
さて、来年はどうしようか、と現在思案中。

他の教会ではどうしているのだろう、と「標語聖句」で検索をかけてみたが、それほどどの教会でもやっている、と言うものではなさそうに見える。

やっている教会はより「モットー的」聖句を選ぶ傾向が強いようだ。
教会の目標や信徒の励まし・成長に適切な聖句を選んでいるように見える。
勢い「有名な聖句」が選ばれる、と言うことになるようだ。

現在三つほど候補がある。
一つは講解中の「ガラテヤ人への手紙」3章終盤か4章初めから選ぶ。
本来ならこれで済むのだが、最近筆者の元気レベルが落ちていて、自分自身が「標語聖句」から励ましを受け・鼓舞される必要を覚えている。

それで第二、第三の候補となったわけだ。
先に心に来たのは、詩篇16篇6節。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
この「私への、すばらしいゆずりの地」が心にかかっている。
なかなか数的に成長できない教会を抱えて、どうしても悩んでしまう昨今。
今一度「この地」を神からの「ゆずりの地」として、Claim(利権を主張)する必要を感じている。

第三の候補は、使徒の働き18章9-11節。パウロのコリント伝道の箇所。
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。
この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
どうしても「ジリ貧」を感じ消極的思考に負けそうになる。
勇気と忍耐の必要を覚えている。

腰が据わった伝道(神のことばを教える)を実践したい。

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