2013年6月14日金曜日

福音派のパラダイム・シフト②

引き続き、ゴードン・T・スミスの論文、
The New Conversion: Why We 'Become Christians' Differently Today

から要約・抄訳します。

(回心を取り巻く)「伝道」、「洗礼」、「弟子となること」、等関して、福音派は『回心と救いの体験』を根本的に見直す方向に来ている。

回心とは(注:ここは重要ポイントなので引用して解説します。)
conversion is a complex experience by which a person is initiated into a common life with the people of God who together seek the in-breaking of the kingdom, both in this life and in the world to come. This experience is mediated by the church and thus necessarily includes baptism as a rite of initiation. The power or energy of this experience is one of immediate encounter with the risen Christ—rather than principles or laws—and this experience is choreographed by the Spirit rather than evangelistic techniques. (下線は筆者)
(※イニシエーションは宗教人類学用語としては「通過儀礼」と訳されたりするが、その点には余り引っ張られないようにした方がよろしいと思う。

 回心のポイントは、「その後のライフスタイル全体に入る通過点である」と言うこと。
 回心とは(ウェスレーが用いた表現をちょっと借りれば)、キリスト教の入り口であり、その後に「宗教そのもの」(ウェスレーで言えば聖化の経験)が待っている・・・と言うこと。
② 次に大事なポイントはリバイバリズムの回心がしばしば個人的・瞬時的体験として終始してしまう傾向にあったのに対し、新しい視点では、終末の「神の民」への招きと参加、と言う、共同体的で広い射程を持った体験である、と理解される。

③ だから回心は(パラチャーチや伝道団体のような組織を通してではなく)本来「教会」によってなされるものであり、洗礼がその手段として位置づけられるべきである。

④ 回心は「四つの法則」や伝道パンフレットに簡略にまとめられた「救いの道」のようなテクニックを用いて起こるようなものではなく、復活のキリストに直に「出会う」ところにその活力がある。その鍵となるのが聖霊の働きである。

これらのポイントは実は宗教改革の遺産に戻ることでもあり、神の恩寵と聖霊の働きとが回心体験において優先的であることを認識し直すことである。

このようにリバイバリズムの伝統を見直す機運に影響を与えた人物として、例えばC・S・ルイス、A・W・トーザー、J・I・パッカー、そしてジョン・R・ストットらの名が挙げられる。

しかし大事なことは目下進んでいる「回心・救い体験」の見直しは単なる部分的なものではなく、新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れるような、そんな言語的、神学的入れ物自体の「入れ替え」に相当するものだ。 

このような「回心体験」理解の枠組みの見直し・入れ替え作業を進行させている要因を幾つか挙げてみる。

(1)聖書学関連
新約聖書学者の名を挙げれば、ジェームズ・ダン(英国ダラム大学)、ゴードン・フィー(カナダ、リージェント・カレッジ)、N.T.ライト(セント・アンドリュース大学)、旧約聖書学者としては、クリス・ライト(注:ローザンヌ運動、2010年ケープタウン会議で神学的指導力を発揮した方として覚えておくべき方、リンクはここ) などだ。

彼らの神学的作業の重要性は、聖書を貫く(回心・救い体験に関わる『信仰義認』を)「キリストにおいて神が義となられる」と言う 大きな枠組みで捉えようとしていることであり、単に聖書箇所の寄せ集めで提示しようとしているのではない点だ。

このようなより大きな救いのドラマから導き出される回心体験理解は、単に「いついつどこで“救われた”」と言うような断片化された経験から、過去から未来に向かって伸びる神の救いの計画の中に位置づけられ、生涯的変革を伴う、共同体的、宇宙論的側面を持った『救い』として位置づけられるようになる。

(次回に続く)

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