先ずは故レイ・S・アンダーソン教授/牧師の説教を聞こう。
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There's a little bit of Judas in all of us.
このイスカリオテのユダを福音説教のクリエイティブな登場人物として語ったナレーティブな説教には、神学的洞察(多くはカール・バルトのようだ)が埋め込まれている。
知的であるが同時に心に響く力強い説教だ。
人間の罪の深みにまで降りて赦しの福音を携えて浮上する・・・そんなイスカリオテのユダを用いた人間観察・洞察と福音の力強さをデモンストレートしている。
アンダーソンがこの説教に埋め込んだすべての神学的ポイントを承認できるかと言えば、注意深く考慮する余地がある・・・と答えなければならない。
しかし皮相的で軽薄な福音提示ではないことは確かだ。
この説教ではアンダーソンは殆んど何も見ないで語っている。
(先日ある牧師と説教の「完全原稿」について会話したのだが・・・。)
しかしアンダーソンはextemporaneous(即席)で語っているのではない。
内容は考え抜かれている。(ほぼ同じ内容と言うかテーマがここで読むことが出来る。)
レイ・S・アンダーソンはフラー神学校の教授であった。
フラーにあっては彼は異彩を放っていたようである。
Anderson provides an interesting case study of American evangelicalism at mid-twentieth century when some were trying to provide an intellectual alternative not only to fundamentalism but to the rationalistic theology that was presented by such early Fuller Seminary professors like Carl F. H. Henry. Anderson’s critique of Henry is very telling and insightful. Anderson’s place, and often a controversial place, in the modern history of Fuller Seminary[,] modern American evangelicalism, is very much worthwhile for further study, when he and Geoffrey Bromiley sought to present Karl Barth’s theology to a Fuller evangelicalism [which is] often more interested [in] promoting a Christian “worldview” or church growth techniques than to learn from Barth a radical evangelical theology and to build upon it.※以上は、ベン・マイヤースのFaith and Theologyブログから引用した、Ray S. Anderson (1925-2009)
一聴に値する名説教だと思う。
※この記事の内容はジェイスン・ゴロンシーのブログから頂いたものである。ありがとう、ジェイスン。リンクはこちら
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