「回心体験」理解の枠組みの見直し・入れ替え作業を進行させている要因:
(2)宗教経験に関する考察
神学も学際的になってきており、宗教体験(回心経験も当然この中に含まれるわけだが)に関する考察が他の方面からの知見に照らして深められるようになってきた。
哲学者で言うと、
・チャールズ・テイラー
注:スミスの念頭にあるのは多分この本。
なおテイラーの名著「自我の源泉」については拙ブログ記事をご参照あれ。
テイラーの「現代における宗教の多様性」を考察したものでネット入手可能なものとしてはこれがある。当テーマに関連する部分は、「2.『二度生まれ』」となるのだろう。
・ルイ・デュプレ
注:スミスがこのカトリック哲学者に言及している理由は、世俗化の中で「信仰を持つこと」が困難になっている、とデュプレが言う時の前提が「信仰とは世界全体を包括するものである」と言う考えだからだろう。このインタヴュー記事を参照のこと。
行動主義心理学の方面からは
・ルイス・ランボー
注:スミスの関心はリンクにあるランボーの経歴にあるように「回心」を心理学からアプローチしている点にあるのだろう。彼の著書、Understanding Religious Conversionを解説して適用した例がネットで入手できる。これ
発達心理学の方面からは
・ジェームス・ファウラー
・エリク・エリクソン
注:ファウラーに関しては簡単にはこれ。エリクソンは有名だから説明は不要と思うが、一応これ。
文化人類学の方面からは
・ポール・ヒーバート
注:トリニティ神学校の宣教学及び人間学教授であった。この追悼記事が参考になるかもしれない。
さらに、このような考察を「ポストモダン文脈」、「脱キリスト教社会環境の文脈」 から批判的に深めるものとしては以下の二人の業績を参照すると良い。
・ブラッド・J・カレンバーグ
注:プラッドは一時期フラー神学校で非常勤講師をしていたようだ(キャンパス・クルセードのスタッフも)。その時の論文、Conversion Converted: A Postmodern Formulation of the Doctrine of Conversionが参考になるかもしれない。
・ロバート・ウェバー
注:彼のAncient-Future Evangelismの書評記事が参考になるかもしれない。一部を引用する。
The assumption which underlies his entire work is that the distinction between evangelism and discipleship constitutes a false dichotomy. Therefore he argues for a kind of “holistic” approach to evangelism which assumes evangelism and discipleship are concurrent processes which are only truly effective when united.
ヒンズー教徒やイスラム教徒への伝道が拡大することによって、「イスラム教徒はどう回心するべきか」ではなく、もっとその実際である「イスラム教徒は如何にしてキリスト信者になるのか」が問われるべきだと考えられるようになってきた。
前者の問いは往々にして(西洋の)回心体験のカテゴリーを異文化の回心者に押し付けるものになってしまう。もっと彼ら自身の体験から学ばなければならない。
(次回に続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿