一昨日もたれた日本福音主義神学会の東部部会「2013年春季研究会」に出席した。
昨年11月だったかの研究会でも原発の問題が取り上げられ、関心が高かったのか、割合出席者が多かった。
それ以前の2-3年研究会出席をサボっていたが、それまではほぼ毎年出ていた。
そして、段々勢いがなくなってきているなー、と感じていた。
それが今回は開始5分後に会場に到着したら既に満員。
補助椅子を出しながらまだ後から来る参加者たちをぎゅうづめにして応対していた。
キャパシティー50名の会議室に67名だそうだ。
一体どう言う風の吹き回し?。
なぜそんなに集まったのか、と言うことの方が、この研究会のテーマである「福音主義とは何か」より個人的には面白い疑問となった。
発表者の青木氏も藤本氏も「教会史」の専門から、と言うスタンスで発表をまとめられていた。
「福音主義とは何か」と言うことを研究することは、即ち西欧・北米での福音主義グループの歴史を辿る、と言うことになる。
先ずは、と言うことであるが。
青木氏の発表レズメには「アメリカ福音派研究の実際ーアメリカと日本との対比からー」となっていた。割合ジャーナリスティックな感じのまとめ方、と言う印象。
発表レズメに関しては、過日西部部会で同氏が発表したものと同一のようなので、詳細をお知りになりたい方はこちらをご覧あれ。
後は個人的な感想だが、まっ一番面白かったのはドナルド・デイトンが、ジョージ・マースデンの研究を「こっぴどく」批判していたと言う後日談(同氏がデイトンを訪ねて行った時のお話し)。
デイトンはマースデンの研究視点が「東部・白人・中流以上」に偏ってサンプリングした「米国福音主義研究」であり、もっと黒人や、ペンテコステ派や社会的下層も含めて研究すべきだ、と主張しているとのことだった。
ところでデイトンは福音派研究に関しては1976年に、Discovering an Evangelical Heritag
を著しているが(リンクの版は1988年のもの)、確かアズベリー出身のウェスレヤンと言うこともあり親近感がある。
この1976年の本は、周縁的グループや運動であったフェミニズム、人種差別、貧困問題に福音派(主にウェスレヤン)が着目していたことを実証したものであり、デイトンが(福音主義)歴史家としても興味深い人であることを示唆するものではないかな。
ところで発表タイトルにあった日本との「対比」の部分は殆んど聞かなかった様に思うが、どうなってしまったのだろう。
質疑応答ではクリスチャン新聞の根田編集長が「アメリカ市民宗教」の最近の事情について質問していたが、青木氏の博士論文指導教官である森孝一教授が同テーマに関し多く発表・発言してきたことを考慮すると青木氏の回答はいささか内容に乏しいように感じた。
特に米国福音派にあっては「アメリカ」と「(プロテスタント)キリスト教」とを親和性の高いものとして余りにも無自覚に政治に参与してきた現代史があるように思う。(ジョージ・ブッシュのイラク戦争を支持した共和党保守層の多くは福音派キリスト者であったらしい。)
最近福音派の中でこのような「アメリカ市民宗教」の発現に度々警告を発する福音主義新約聖書学者、Michael Gorman(マイケル・ゴーマン)がいる。
(残念ながら右側コラムにある彼のブログ、Cross Talkのリンクがまた切れている。)
従来の特定問題(堕胎問題等)集中型の政治参与をしてきた福音派に対し、若い世代の福音派キリスト者はエコロジーを始め、より広い社会正義や人権の問題に敏感になってきている。
コンテンポラリーな北米・欧米(ここに豪やニュージーランドも加えねば)さらに、アジア、アフリカ、南米の福音派の動きにも目配りが必要だ。
さて第2発表の藤本氏の「福音主義の特色ーその胎動期にあってー」であるが、参照文献として特に用いられているのはべビントンのものだ。
彼の有名な福音派の4重の特徴(①回心主義、②行動主義あるいは実践主義、③聖書主義、④十字架中心主義)を使いながら、特にウェスレーをめぐるモラビア派などの動きや、ホィットフィールド、エドワーズなど大信仰覚醒運動に焦点を当てて分析している。
4重の特徴を参照しているがどちらかと言うと①と②はカバーしているが、④はかすかに、③は殆んど言及されてない印象。
質疑応答の時、フロアーから「聖書無誤論」についての質問があったが、福音主義神学会はそれを「前提としている」こと、ある時から「聖書論的、神学的テーマ」より実践的テーマ(宣教論とか牧会論とか?)にシフトしてきたことが説明された。
筆者の疑問は(その後別の講演会が控えていたため途中退席しなければならず質問は遠慮したが)まさにこの「聖書論」、特に福音主義神学会が出発した時盛んに取り上げられた「聖書無誤論」をその後どのように総括してきたのか、あるいはしてこなかったのか、と言うものだ。
発表の焦点は18世紀であり、青木氏が割合近・現代に焦点を当てているとは言え、福音主義研究史と言うか概観で終わっていて、(欧米であれ日本であれ )現代福音主義に対する問題提起がなかった(と思う)ことは残念であった。
藤本氏の発表でもその感はほぼ同様。
マーク・ノルのScandal of Evangelicalismを参照しながら、「たこつぼ的知性」や「お祭り騒ぎ的霊性」を指摘するに留まっていた。
既にこのブログの読者はご存知のように、創造論/進化論、アダムの史実性、男女差論(平等主義対補完主義)、等、「神のことばである聖書」を権威とするが故に起こる「聖書解釈の多元性の問題」(右側にある検索窓で「ビブリシズム」で該当記事を探してください)が福音主義の今後の大きな問題となるであろうことはある程度予測できる。
またスコット・マクナイト「福音の再発見」が提起する「福音とはそもそも何か」と言う福音派のアイデンティティーの根幹をなす用語の理解をめぐる問題や、現在連載中の「福音派のパラダイム・シフト」が提起する「回心体験の枠組み自体が変化しつつある」と言う問題等、「福音主義とは何か」をテーマにするなら、コンテンポラリーな問題は幾つもある。
それの一つも(今のところ)カバーできていない日本福音主義神学会東部部会の神学的センスと指導力にはいささか失望感を覚えないでもない。
是非頑張って視界を広げ、少しでもアップ・トゥー・デートなテーマのもとに研究会を開いて欲しいものである。
以上は私見なので、日本福音主義神学会東部部会関係者の方々においては(もし万が一この記事を読んだ場合は)、無責任で勝手な「言いたい放題」とご寛容に見過ごして欲しい。
追記(2013/6/18、21時22分)
今回の研究会を主催なさった日本福音主義神学会東部部会にあってはそのご労をねぎらうとともに、発表なさった2氏にも同様の感謝を申し上げる。
今後も是非盛り上がりのある研究会となるよう願っています。
カマノです。ちなみに私は福音主義神学会西部部会の理事です。それ以上のコメントは、控えます(笑)。
返信削除カマノ先生、
返信削除早速のコメント感謝いたします。
はいご指摘の件アップしてすぐ気がつきました。
直す前にやられてしまいました。一本取られました。
陳謝とともにその部分を厳密にしたことをご報告申し上げます。
小嶋先生:
返信削除はじめまして。福音主義神学会東部部会理事長の大坂と申します。ずっと以前に先生のブログにコメントしたことがあります。先生の辛口の批評、エールを送られたということで理解したいと思います。来年の全国研究会議でも福音主義というものを取り上げることになっていますし、私自身もマックナイトを読んで感じるところはあります。また忌憚のないご意見をよろしくお願いいたします。
大阪太郎先生ですね。
返信削除そうですね、ちゃんと会って挨拶したことはありませんので「初めまして」です。
やはり見つかっちゃいましたか・・・。いや見つかること自体はいいのですが、やはり気分を悪くなされるかもしれないと思いつつ書かせて頂きました。
あんなに盛会でさぞお喜びのことと思います。冷や水かけるようで申し訳ありません。
ただ福音主義に限らず、キリスト教会を取り巻く環境は厳しいものがあります。
既に十分苦しんでいるのにと思いますが、既に米国の福音派(南部バプテストを筆頭に)も退潮傾向にあることははっきりしてきているようです。
特に若い方たちの教会離れ、教会に対するネガティブなイメージはかなり大きいようです。
そう言うことを考慮しても、福音主義の「今」を問題提起しなければ取り残されると思います。
東部部会指導部を名指しでの発言大変失礼かとも思いましたが、余り辛口のことを言われる方は少ないと思い、私は在野の者なので敢えて書かせて頂きました。
読んで頂いてコメントまで頂恐縮です。
はじめまして。岩上と申します。大坂先生からブログのことを伺い、のぞき見させて頂きました。小嶋先生の非常に幅広い視点からの批評は真摯に受け止めなければならないでしょうね。私もつい先日、東部部会に入ったばかりなので。聖書論の部分は、福音派は近い将来、きちんと向き合わなければならない問題だと思います。根幹的な部分ですので、聖書信仰をしっかり整理する必要はあると思います。ただ個人的にはもう少し時間がかかるのかなーという印象です。
返信削除初めまして、だなんて岩上先生・・・。
返信削除とにかく当ブログにコメントいただくのは初めてですね。ありがとうございました。
私見では、現代福音派の聖書論を論ずるには、70年代の無誤論争とは違い、解釈学的知見を多分に含んだ結構複雑なものが必要になると思います。
もう一つは認知論(エピステモロジカル)的反省の上に立った「聖書信仰」ですね。
「生活の規範」は置いておいて、実際のところ「聖書」とは知識の宝庫なのか、それとももっと違う「効能」を持った文書群なのか、教会史を遡って「エピステモロジカル・シフト」が起こったと指摘しているビリー・エイブラハム(William Abraham)の一連の著作は参考になると思います。