筆者の既知の或いは普段閲覧している神学ブログと、検索して新たに探した神学ブログとを、交互に紹介する、と言う意図で始めたが、最早そんな余裕はない。
今回紹介するのは、既知であり、しかし新しくもある。
佐藤優の「日本人のためのキリスト教神学入門」(リンク)は、筆者が何回かコメントした同氏の「キリスト教神学概論」の言わばリスタート版です(2012年11月から現在まで連載中)。
(その経緯についてはどこかに書いたと思いますが・・・。)
今回紹介したのは、この連載が「キリスト論(リンク)」に入っているためだ。
佐藤が「上からのキリスト論」と「下からのキリスト論」に対して、前者を取ると主張しているのに、ジョン・ドミニク・クロッサンの『イエスとは誰か 史的イエスに関する疑問に答える』(新教出版社、2013年)が出版され、読者の質問に応ずるように「史的イエス」の問題について少し脱線し始めているようだ。
恐らく佐藤は余り「史的イエスの第三の探求(関連記事)」については読んでいないのだろう。
近代批評学の歴史懐疑主義(ブルトマンなど)に対して、歴史的アプローチが有益で有効であることを実証的に研究する学者たちが増え、キリスト教起源に対する神学的再解釈も含めた包括的な研究枠組み(特にN.T.ライトの『キリスト教起源』シリーズ)が出てきていることを見逃しているようだ。
「キリスト論」においては、いかにしてナザレ出身の預言者イエスが「神」となったかを歴史的に探求する議論、つまり「下からのキリスト論」が面白い。
先日も聖書学及び原初期キリスト教歴史学からのアプローチで「高いキリスト論(high christology)」が歴史段階的に(進化論的に)形成されたのではなく、ごく初期から(イエスの死後20年以内に)既にあったことが実証的にも合理的な説だ、と言う研究者間合意が出来つつある、との見方を報告した。(この記事)
どちらかと言うとかなり歴史懐疑主義的なスタンスを取る新約聖書学者(福音派の出自で懐疑論者となった)、バート・イァーマンの近著のタイトルが刺激的だ。
How Jesus Became God: The Exaltation of a Jewish Preacher from Galilee (New York: HarperOne, 2014).
これを論駁する本も用意されている。
寄稿者の一人マイク・バードが自分のブログで紹介している。(リンク)
筆者はライトのものを読むようになって、つまり史的イエス研究のアングルから、「イエスの神性」の問題に対し、非常に深く関心を持つようになった。
どう言う意味でイエスは「神」なのか。
新約聖書の主張はどうなっているのか。
神学的に定まった見方はそれとして、ユダヤ人である初期キリスト者がどのようにイエスをヤハウェと「同一(identify)させて行ったのか」と言う極めて歴史的に興味深い問題である。
ライトはこの疑問を歴史の地平で徹底的に問おうとする。
しかし盟友であるリチャード・ヘイズは、ガベンタ(当時プリンストン神学校で現在はベイラー大学)とともに「信条」を解釈枠としたアプローチを提唱し、
これが発表された2008年のSBL(北米聖書学会・・・聖書学者たちの学会としては世界最大級)では、ライトから「歴史からの撤退」とばかりに厳しい批判に遭う。(この辺の消息はマイク・バードのCanonical Jesus vs Historical Jesusを参照のこと。)
ライトが昨年出した、How God Became Kingは幾分sketchyだが、「下からのキリスト論」と言う点でも、「受肉論」や「贖罪論」も統合的に視野に入れる野心的な「福音書」解釈であった。
ヘイズは最近も福音書の「正典的解釈」の実効性を訴えている。
(冒頭の部分で、盟友ライトとのアプローチの相違が依然として続いていることにも言及しているところも興味深い。)
「キリスト論」の歴史的研究は暫く目が話せないホットなトピックになるだろう。
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