宗教と社会 小ロキウム@巣鴨に掲載する方が相応しいのかもしれないが、簡単なメモ程度なのでこちらに。
先日は「最近購入した本(英書)」を紹介した。
また先日(文京区)図書館からも何冊か借りてきていた。
読む本が多くて大変だ。
この記事タイトルの順で紹介すると『神学』からになるが、
深井智朗『思想としての編集者』から始めよう。
筆者は日本語の神学書やキリスト教書は余り買わない、とよく口にするが、それでも何度か周りの人や何かから「誰それがどうの・・・」と聞いたりする名前は一応覚えておくことにしている。
「深井智朗」の名を初めて聞いたのは数年前になるかもしれない。
最近『ティリッヒとフランクフルト学派』 と言うちょっと気になる関係についての叢書をまとめられたそうで、また「深井智朗」の名が浮上したわけである。
彼について書き進める前に、今度は『宗教学』。
「大田俊寛」と言う割合若い宗教学者のことはこのブログでも度々言及してきた。
『オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義』を著し、最近のオウム真理教の動向についてメディアから度々コメントを求められる存在になってきた。
こちらは教義や修行内容やそう言う表面や外面から見た場合「様々な宗教や思想の折衷・混淆」に見える如何にも胡散臭いオウム真理教が、思想史的に射程を長くして捉えると、「近代の申し子」の様相を呈する、と言う分析をした本だ。
なぜこの二つを「神学と宗教学」と題して取り上げたかと言うと、たまたまこの二つを読んでいて「共通点」とまではいかずとも、「近代における精神史」的側面で幾らか重なる部分があるな、と思い、それを忘れないうちにメモしておこうと思ったからである。
今無理に二つを連関させようとすると「こじつけ」となる危険があるので、トピックとしてだけ挙げておく。
方法論としては深井は「思想史」にさらに「出版と言う近代の知識・思想社会制度史」を加えて重厚さを持たせている。
大田の方はより思想史的なまとめだ。
カール・マンハイムが祖とされる『知識社会学』や、それを遡り、「近代社会理論」草創期の古典である『宗教生活の原初形態』を書いたエミール・デュルケームについてもちょっと書いてみたいところだが、そちらは宗教と社会 小ロキウム@巣鴨に譲ることにしよう。(と言ってもすぐ書くかどうかは不明だが。)
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