2015年3月4日水曜日

(5)現代の英語圏神学者①、スタンレー・ハウアーワス

先の冬季オリンピックでスキー・ジャンプの葛西選手が「レジェンド」と騒がれていました。

普通は存命中はまだ「レジェンド」まで行かないものなのでしょうが、最近では物事の変化が早過ぎるので生きているうちでもどんどん「レジェンド」にしておかないと忘れられてしまうのですかね。

ところで色々連載(中断)中のもあるのですが、今度また「(現代の英語圏)神学者」シリーズを“適当に”始めようかと・・・。

そうですね、かなり偏見と独断による「この人の名前、覚えておくといいかも」と言った感じでしょうか。

中には著書が邦訳されている人もいますが、全然無名に近い人もいるかもしれません。(そこが却って面白いところかもしれません。)

で、トップバッターに選んだのは

スタンレー・ハウアーワス(Stanley Hauerwas)。

日本語で何か紹介しているのを探そうと、「スタンレー・ハウアーワス」で検索したところ筆者が書いたものしか見当たらないではないですか。

なるほど「スタンレー・ハワーワス」に変えたら出てきました。

なかなか日本語表記の問題は難しいですね。
一応英語圏でこの名前を言う時には「スタンレー・ハウアーワス」 の方が幾分近いですよ、とは言っておこう。

※このポストのタイトルもこれで行きます。検索に引っかからなくてもいいや。

ところでなぜハウアーワスがトップバターかと言うと、彼がちょうど旬なのです。

先ごろ(2013年)デューク大学神学部を定年退職なされたのですが、つい先日ハウアーワスが英国スコットランドのアバディーン大学でパートタイムで教えることになった、とアナウンスされました。

大学側の発表はハウアーワス教授を最大級の賛辞で歓迎しています。
つまり彼が来ることでアバディーン大学神学部はワールドクラスと言う箔が付く、と言うことらしい。

さて、これだけのキャリアの人を紹介しようとするとあれもこれも大変なので、ごく私的な紹介に留めます。

筆者が米国留学時からハウアーワスは既に評価されていたのですが、当時は必ずしも幅広く支持を得ていたと言うより、「キャラクター倫理」「共同体倫理」「教会論」等のアプローチをするキリスト教倫理学畑の人として際立っていた印象があります。

しかし筆者の個人的なイメージでは「主流ではなく、アウトロー的」でした。

その後彼が神学者としてアメリカの重鎮となるに従い、皆の見方が変わってきたような印象があります。

彼の神学アプローチの背後にある(神学者ではありませんが)重要な哲学者であるAlasdair MacIntyreも覚えておかなければならないでしょう。

特にマッキンタイアーのAfter Virtueは学際的な影響を及ぼした古典的名著です。


ハウアーワスがノートルダム大学にいた時、マッキンタイアーが同僚だったわけですが・・・。

さてそろそろ長くなってきたので、ハウアーワスがマッキンタイアーについて書いている記事を紹介して終わります。

Alasdair MacIntyre is also a constructive thinker who has sought to help us repair our lives by locating those forms of life that make possible moral excellence. 
(アラスデア・マッキンタイアーはまた建設的な思想家でもある。彼は建徳的指標が備わった「生の営み」がどこにあるかを示し私たちがそれらを再建する助けを提供しようとした人だ。)

(※何か半分はアラスデア・マッキンタイアーの紹介記事のようになってしまった。実はそれも目的だったりして・・・。)

と、終えたはずなのだが、ついでに読んだこの記事が面白かったのでオマケ。
(ハウアーワスの出生に関するエピソードについて。)

There are good reasons for me not to be a Christian. Hannah's Child begins with the story of how I came to be. My mother, who came from dirt poor Mississippi folk, and my bricklaying father married late. They had trouble having a child. My mother had heard the story of Hannah and Samuel, so she prayed that if God would give her a son she would give that son to God. That was a perfectly appropriate thing for her to do, but as I observe she did not have to tell me she had made such a promise. In particular, she did not have to tell me when I was six. That she told me was surely grounds sufficient for me to have nothing to do with Christianity.



3 件のコメント:

  1. ハウアーワス教授とペアで語られることが多いヨーダー先生、また、ハウアーワス教授・ヨーダー・ブルッゲマンの3しゃにかんするTaka牧師の整理が聞きたかったりして。おねだりしたくなってきましたです。はい。

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  2. コメントありがとうございました。そしてリクエストも。
    ハウアーワスと「ジョン・ハワード・ヨーダー」と「ウォルター・ブルッゲマン」の三者間関係について・・・と言うことですが・・・。
    余裕があれば余禄でトライして見ますが、暫くお待ちください。
    既に南国K牧師から「ミッショナル」についての注文があって、まだ書いていないのですよ。

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    1. あ、はい、気長にお待ちしております。ご無理のない範囲で。

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