焦点はそれらの「集団的自衛権」に基づく「法制」が合憲か違憲か、にある・・・とされている。
最近では憲法学者が引っ張り出されて「憲法の法解釈」でどれだけ政府の解釈に妥当性があるか、で論議がなされている。
それによると「違憲」の意見が圧倒的である。(6月15日の朝日の報道ステーション)
一介の牧師としては、重要法案であることは認識しているのだが、「一連の法整備」に関し、それなりの流れがあるのに、その政治的文脈が示されていない議論になっているように思われ、違和感と煮え切らなさとを覚えている。
以下は、「国際政治文脈」を読み込むために少しネット検索した初期報告です。
「アーミテージ報告」から読み解く日米同盟の今後(藤重博美)
と言う文書が日本国際研究所(外務省の外郭らしき、また財界とのコネも強そうなシンクタンク)から出ている。
同文書によれば、アーミテージ報告には、報告1(2000年版)と報告2(2007年版)があって、
報告1は
これに関し「集団的自衛権問題は、憲法改正にも関わる政治的に極めてデリケートな問題」なので日本側にそれなりの反発があった・・・と文書は続けている。
この報告を書いた藤重氏は、これに関し次のように脚注(1)で説明している。
一読すると、集団的自衛権と憲法との解釈上の関係が分かりやすく叙述されていると思う。
特に「自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」・・・つまり集団的自衛権は、自衛権と言う「権利の枠組み」の中に置かれているが、法的に上である憲法に照らせば「必要最小の自衛」と言う制限に触れてしまう、ということですね。
と言う文書が日本国際研究所(外務省の外郭らしき、また財界とのコネも強そうなシンクタンク)から出ている。
同文書によれば、アーミテージ報告には、報告1(2000年版)と報告2(2007年版)があって、
報告1は
・・・日米同盟の強化を一層推し進めなければならないという信念と停滞する現実の落差に対する危機感を前面に出し、日米同盟の強化は未だその道半ばであることを強く訴えかけた。執筆者たちは、米国にとってのアジア地域と日米同盟の重要性を改めて強調するとともに、沖縄の基地問題や日本側の集団的自衛権に関する制約を同盟関係の阻害要因として指摘し、これらの解決に向けて一層の努力をするよう、強く求めたのである。・・・のだそうだ。(日米同盟関係を強化するには、日本側の(憲法にある?)集団的自衛権を制約する要素を何とか排除する工夫をして欲しい、ということになるのだろう。)
これに関し「集団的自衛権問題は、憲法改正にも関わる政治的に極めてデリケートな問題」なので日本側にそれなりの反発があった・・・と文書は続けている。
この報告を書いた藤重氏は、これに関し次のように脚注(1)で説明している。
集団的自衛権の行使禁止は憲法に明示されているものではなく、1956年、政府が国会答弁の中で示した解釈によるものである。それによると、わが国は集団的自衛権、つまりとなっている。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を保持しているにも関わらず、その行使は必要最小限の自衛の範囲を超えるものであり、憲法上許されていないとされた。
この解釈は今日にいたるまで維持されているが、明確な憲法による禁止ではない以上、手続き的には、政府がこの解釈を変更すれば日本は集団的自衛権を行使することは不可能ではない。しかし、集団的自衛権を行使できるようにするためには憲法改正が必要との意見も根強いため、現在までのところ政府は1956年当時の解釈を変更していない。
しかし、安倍首相が、 就任後、集団的自衛権に関する個別事例研究を開始したことで、解釈が変更される可能性が高まっている。」
一読すると、集団的自衛権と憲法との解釈上の関係が分かりやすく叙述されていると思う。
特に「自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」・・・つまり集団的自衛権は、自衛権と言う「権利の枠組み」の中に置かれているが、法的に上である憲法に照らせば「必要最小の自衛」と言う制限に触れてしまう、ということですね。
ではなぜ安倍総理が憲法の自衛権制限を越えるかもしれないのに、集団的自衛権行使にこだわるのか、と言えば、やはりアーミテージ氏らが要求する日米同盟強化の要請が強いのであろう、とその「政治的文脈」を読み込まざるを得ない。
だがそれは一方的なものだけだろうか。
日本側にもそれなりに日米同盟強化の理由があるのではないだろうか。
特に安倍氏個人に何らかの強い動機付けがあるのではないか・・・。
その辺りの疑問にある程度ヒントを与えている本を最近読んでいるので、以下ご紹介。
春原(すのはら)剛『日本版NSCとは何か』は、安倍氏が小泉政権時代の官房長官時代、アーミテージやシーファーらが、日米同盟体制が十二分に機能するためには「日米同盟の機関化(institutionalization)」が必要だとの認識を示したのを強く受け止めていただろう、としている。
そしてこの機関化を実現するものとして「NSC(安全保障会議)」の設置をアーミテージらが進言していたのだとする。
安倍官房長官が「NSC(安全保障会議)」の必要を「痛切に感じたであろう事件が発生したのは、官房長官の職にあったときです。2006年7月、北朝鮮は二箇所の発射場から日本海に向けてテポドンなどを発射し、日本に底知れぬ恐怖を与えました。この際、首相官邸で官房長官として日本の危機対応の実質的なコントロール・タワーとなったのが安倍氏でした。」と
春原氏は指摘しています。(以上は41ページ)
さてどうなんでしょう。
「政治的文脈」を素人が読み込むにはある程度の輪郭は掴めますが、輪郭線の太い細いや、濃淡など、詳細については殆ど分かりませんので、今のところは「うっすら感」で次の視角(パースペクティブ)を探してみることにいたしましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿