実際はその後、余録、と余録・続(完)、をアップしているので「開店いきなり休業」ではなかったのですが・・・。
今回選んだクリスチャン・ワイマン、Christian Wiman(1966- )は、「神学者」と言うカテゴリーには当てはまらないかもしれません。
だから「番外」でもいいのかもしれない。
しかし、問題はこれから紹介するワイマンのインタヴュー記事での発言にあるように、「現代」に神学(的なこと)を語れる資質として「詩人」の持つ意義は大きいのではないかと考えます。それでワイマンを2番目に持ってきました。
(実はごく最近彼のことを知りました。)
現代と言う時代
早速宣伝になって申し訳ありませんが、ようやっと出版に漕ぎ着けたN. T. ライトの『クリスチャンであるとは』の第1部は、ライトの「キリスト教入門」の文化的文脈である、ポスト・クリスチャン、ポスト世俗、ポストモダンを分析しています。
その上でキリスト教とのフレッシュな接点を探っていると思います。(このポイントについての簡単な紹介はこちらの記事をお読みください。)
現代の「霊性」の課題とは、特に西洋圏では、聞き慣れた「キリスト教言語・シンボル」を過去のもの(ポスト・クリスチャン)として現代を漂流する人たちが、その霊性の渇き(ポスト世俗)をどのように満たして行くのか(ポストモダン)・・・、とまとめることが出来るかと思います。
キリスト教圏の宗教遍歴
余り風呂敷を広げるのもなんですから、極近い例で言いますと、筆者が米国遊学中に学んだ先生たちの中で典型的なのは、「保守キリスト教信仰」→「信仰喪失」→「潜り抜けた信仰回復」のパターンです。
「潜り抜けた」とは上手い表現がないので暫定ですが、英語で言うとseasonedやweatheredと言うことばが少ししっくり来るように思います。要するに人生の波風にさらされて試されそれを乗り越えてきた信仰、といった感じです。
信仰を持つ者が「疑い」を抱え込み、苦闘の末一旦は信仰を放棄するが、別な経路から啓示や示唆を受けて新たに信仰に目覚める、と言うパターンです。
大事なのは、信仰を持つことによって抱え込むことになる「疑い」と真摯に向き合い、信仰内容に様々な問いを発しながら納得のいく回答を得ようと「議論した(reasoned)」過程の上で新たに信仰に目覚める、というダイアレクティック(弁証法的)な「信仰の軌跡」を刻まれていることです。
これは「最初の確信」をそのまま(殆ど疑問もなく)維持するスタティックな信仰とは対照的です。
具体例①・・・ロバート・ベラー(1927-2013)の場合は、途中マルクス主義に転向した後聖公会に回心します。(Beyond Beliefの序を参照。)
具体例②・・・レイチェル・ヘルド・エバンスの場合は、神学や教会の伝統を柔軟な形で受け止めるやり方で信仰回復し、今はやはり聖公会の信者になっています。
※もちろん信仰回復しない例(バート・イァーマンとか)や、他宗教へ改宗する例も沢山あるでしょう。(断定すると「沢山挙げてください」と言われると困るので。笑)
クリスチャン・ワイマンの場合
この動画ではワイマン自身の『回心体験』を(18分過ぎから)語っています。
バイブル・ベルトでほぼ100%宗教的な環境で育ち、大学以降文学と深く親しむ中で様々な「無神論・懐疑主義」と接する中でたましいの遍歴があったようです。
そしてある種の「回心」に導かれると言う経過を語っています。
ワイマンのケースは典型的ではないかもしれませんが、ある程度、「保守キリスト教信仰」→「信仰喪失」(ここの詳細は不明)→「潜り抜けた信仰回復」のようなたましいの軌跡であったように思います。
そう言う意味でワイマンは以下のように言えるのだと思います。
“I have no illusions about adding to sophisticated theological thinking. But I think there are a ton of people out there who are what you might call unbelieving believers, people whose consciousness is completely modern and yet who have this strong spiritual hunger in them. I would like to say something helpful to those people.”
「信じていない(と思っている)実は信仰者」への神学者として詩やエッセイを書いて行くワイマンに注目したいと思います。
では次は誰を選ぼうか・・・。(乞うご期待。)
[追加、2015/06/15]
※ワイマンがビル・モイヤーの番組で自身の(白血病の一種)ガンについても語っています。
[追加、2016/04/22]
※「信仰遍歴」についても語るインタヴュー記事。
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