2015年7月30日木曜日

(5)ジャック・エリュール

エングルウッド・レヴュー・オブ・ブックス、という「ネット書評誌」がある。

ツィッターでフォローしているのだが、ときどき「無料」「ディスカウント」の電子書籍案内があるので目が離せない。

先日、たまたま、(今やすっかり過去の人となった観のある)ジャック・エリュール著作入門編みたいな号(2015年5月22日)があったので、いつかブログにアップしようと思っていた。

以下のリストはこの号で紹介している順。

1) The Technological Society

やはり一般的には彼の「代表作」となるのだと思う。筆者もアズベリー神学校での「社会倫理セミナー」で『リコンビナント遺伝子の倫理的問題』を小論文にしたとき、「科学技術」に対するキリスト教思想の一つのアプローチとしてこの本を読んで大いに学ばせていただいた。

2) The Presence of the Kingdom 

残念ながら議論の筋は大方忘れてしまったが、「現代」の政治的・社会的状況でいかに福音を生きるか、その霊的洞察をチャレンジするような書き方だったと思う。

3) The Subversion of Christianity

4) Understanding Jacques Ellul

5) The Meaning of the City

6) Anarchy and Christianity

7) The Humiliation of the Word

5)は『都市の意味』の邦題で出ていたと思うが、他の著作もそうだが、エリュールの著作は半ば聖書神学であり、しかしさらに神学的メディテーションという印象がある。

このリストにはないが、筆者が勝手に「政治」三部作と呼ぶ、『技術社会』『プロパガンダ』『政治的幻想(ポリティカル・イリュージョン)』 などを読みながら感じるのは、現代社会に対する悲観主義的分析、とそれに対する「キリスト者の抵抗」の姿勢のようなものだ。

特に『技術社会』の「テクニーク」の捉え方はかなりユニークで、「デモニッシュなあらわれ」が問題視されていたと記憶する。

だから技術を中立に捉え、道徳的判断が左右する・・・みたいな問題設定にはなっていなかったと思う。

とにかくエリュールは英語圏でもそれほど重要視されていなかったと思うし、日本でもそれほど紹介されてこなかったように思うが、依然として魅力的なキリスト教思想家だと思う。

《補記》   

エリュールについて以前何か書いていなかったかな、と調べてみたら、主に神学ブログ⑦(大杉牧師のブログ)で少し書いていた。

2015年7月25日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年7月26日(日) 午前10時30分


朗読箇所 Ⅰコリント 6:1-11
説 教 題 「聖徒の革命」
説 教 者 小嶋崇 牧師

教会史遡行(6)
 敬虔主義(パイエティズム)とピューリタニズム・・・宗教改革を補完する試み

2015年7月23日木曜日

今日のツイート 2015/7/23

集団的自衛権を分かりやすく説明するのは難しいですね。

日米同盟の結束の強さを説明する(アソウさんがチンピラに絡まれた)たとえ話があったりとか・・・。

これなんてそうかな?



うん?

あっ、勘違いかな?

2015年7月20日月曜日

千石緑地

数年前から散歩を習慣にするようになった。

最初は気の向くまま(なるべく同じ場所を歩くのを避け)コースを決めずに歩いた。

そのうち小一時間で歩けるコース三つに落ち着き、ローテーションで散歩するようになった。

それで2-3年過ぎたが、昨年暮れ頃から距離を伸ばすコースにチャレンジするようになった。

同時に歩く速度を速め、1キロ/10分、つまり1時間で6キロくらいにペースを上げた。


それも一段楽し、近場で名前を知っていても(コースから外れるので)訪れたことのなかった公園や名所に気がむいたとき行ってみるようにした。


千石緑地はその中でも特に近所で、余り近所なので「灯台下暗し」になっていた場所だ。

地図で確かめると、その余りの面積の小ささに「なーんだ」と馬鹿にするような場所だ。

実際それが理由でこれまで行かなかった。



ある日の散歩の帰り、たまたまこの緑地の入口の前を通りかかった。

その日の散歩は決まったコースではなかったので、ついふらふらと入っていった。



最初にこのように木で遊歩道が作られているのに驚いた。

ほんの僅かの距離なのに・・・。

自然をそのまま保護するためなのでしょう。

外からも分かるのだが、上方は樹木が覆いかぶさりかなり薄暗い。

何と言ってもこの緑地の主はクスノキだ。


幹周り4-5メートルはあろうか。

何でこんな狭いところにこんな巨木が、とふしぎに感じるほどだ。

しばし佇んでクスノキを眺めていると、なんか別世界にいるような感じになる。

たまたまだったけど、立ち寄ってよかったと思った。


ところでこの日の散歩のお目当ては、実は文京区にただ一つある相撲部屋があるマンションを確認することだった。


伊勢ノ海部屋は外からはまるで分からないが、どうやらマンションの上階に力士が住んでいるらしく、それらしき洗濯物が干してあるのでも分かる。


こんな話のネタを餌に散歩に励んでいる今日この頃であった。

2015年7月18日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年7月19日(日) 午前10時30分


朗読箇所 コロサイ人への手紙 1:24-29
説 教 題 「キリストの苦しみ」
説 教 者 小嶋崇 牧師

コロサイ(19)/パウロ書簡の学び(136)

2015年7月14日火曜日

(2)『天才』といわれる人

天才って何か、そう呼ばれる人が出てくると、気になって考えることがある。

まー、でも一番は野次馬根性でしょうと思う。

前から気になっている人は「山本直純」ですが、最近また朝日新聞で連載記事にして取り上げていました。


エジソンとかアインシュタインとか、超有名な天才にはそれほど興味を持たないのですが、世間での評判が今一つで、意外に思われる「天才」はやはり気になります。

たまたま図書館で、『天才伝説 横山やすし天才伝説 横山やすし』(小林信彦、1998年、文藝春秋刊)が目に留まりました。


横山やすしの天才ぶりも知りたかったですが、もう一つ気になったのは「笑いの質」の違いについて。

つまり「関東と関西での笑いの質」があるやなしや、あったらどう違うか・・・みたいなこともどう書いているかなー、と思って。

で、結論から言うと、僅か百年にも満たない「大衆お笑い文化」の歴史なのですが、やはり厳然としてある・・・ということだと思います。

最もそれはお笑い文化というものがもともとローカル色の強いものであったのが、テレビを通し全国区に編成されて行く過程でより意識され、また淘汰されていった(まだ現在進行形ではありますが)ものなのでしょう。

著者小林自身の関わりから見える、文筆業・映画・大衆芸能と横断的になった「文化」のありようも興味深かったです。

最後に一つ引用。
 皮肉なことに、やすし・きよしの独演会の一週間後に放送された新町と四尺の番組で、製作関係者は<名人芸>とは何の関係もないことを露呈した。
 こともあろうに、古今亭慎重の「火炎太鼓」を一部カットして放送したのである。カットされている、と気づいたぼくは即座にテレビを切った。
 この時のプロデューサーと構成は山本益博。演出が澤田隆治である。どちらも悪い人とは思わないが、記録として記しておく。
 深夜放送で、売り出し中の漫才師がこうしゃべっていた。
 --食いものを批評して商売にしようなんてのは恥ずかしいことなんだ。そういう恥ずかしさを感じてねえ奴が、お笑いの批評をするってのは間違ってると、おいらは思う。
 漫才師の名はビートたけし。批判されているのは山本益博だった。(60ページ)

今日のツイート 2015/7/14

任天堂の岩田社長が死去されたニュースは今日ではありませんが・・・。


筆者はゲームの世界のことは分かりません。

やったことも、買ったこともありません。

ただWIIという名前は聞いたことありますし、ゲームというエンターテイメントが及ぼす年代や地域の広がりは凄いのだな、とは思いました。

この追悼漫画はそんなことを思わせました。


一つ気がついたのですが、「死後のいのち」や「天国」をにおわすものがありません。

漫画ながら、安易に「天国で笑っている」みたいな描き方になっていないところが、より「悲しみ」をストレートに伝えているように思います。
(the SADDEST fan art tributeとあるように・・・。)

[追記]
どうも「ファンアート」 の一つだったとは、そういうことだったみたい。

2015年7月11日土曜日

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年7月12日(日) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 8:1-8,25-40

説 教 題 「イスラエルの意味」
説 教 者 小嶋崇 牧師


《現代キリスト教入門》7、神の民の選び

2015年7月10日金曜日

今日のツイート 2015/7/10

今日はこれ。

どうも新国立競技場現行案での建設の雲行きが怪しくなって来ているみたい。

当方「まだ間に合う、見直し」派なので結構なのだが・・・。


こちらは、最近テレビに引っ張りだこの建築アナリストの方が勉強会で新国立競技場の問題点をかなり詳しく解説している動画。

なかなか勉強になります。


さてどうなりますか。

しばらくは動静を見て行きたいと思います。

2015年7月6日月曜日

(4)タカ牧師のセブンー4

しばらくぶりです。

では始めましょう。

1. Want Millennials Back In The Pews? Stop Trying To Make Church 'Cool.'
  『若者を惹きつけたかったらカッコイイことはやめなさい』

 このブログではお馴染み、若い世代のキリスト者を代弁するレイチェル・ヘルド・エバンスがワシントン・ポスト誌に投稿した記事。(2015年5月30日)流行の後追いではなく、もっと根本的なところで教会が大事だというところを示せ、と迫っている。


2. Millennial Religion and the Sovereign Self
  『若者世代のキリスト教とジコチュー現象』

 レイチェルに対する反論。(記事は2年前だが)若者世代が教会に突きつける改革要求は結局のところ自分たちの欲求の反映でしかない。彼らが持ち上げるカトリックや正教会に対する誤解がその証左。


3. Is Christianity Dying?
  『キリスト教は死につつあるのか』

 南部バプテスト連盟のラッセル・ムーアが最新のピュー宗教リサーチ結果を受けて持論を展開している。曰くアメリカ(バイブル・ベルトも含め)世俗化大いに結構。真のキリスト教が現れるためには形式的な信仰は廃れてよろしい、と言う立場のようです。


4. 5 Faith Facts About Hillary Clinton: Social Gospel Methodist to the Core
  『ヒラリー・クリントンの信仰:根っからの社会的福音メソジスト』

 ご存知来年に迫ったアメリカ大統領選の民主党候補筆頭、ヒラリー・クリントンさん。大統領候補となると出自から信念から洗いざらい総点検されるわけだが、彼女の場合宗教的背景として、「社会正義を追及するメソジスト」が優良資産である、と解説している。


5. Rifqa Bary Details Transformation from Islam to Christanity
  『リフカ・バリー、イスラムからキリスト教への回心を綴る』

 スリランカからアメリカに移民してきた家族の娘が、キリスト教の信仰を持つが、父親や家族に反対されてフロリダに逃亡したことなどを綴った本、Hiding in the Light: Why I Risked Everything to Leave Islam and Follow Jesus、オハイオ州コロンバスの地方紙が紹介。


6. 「母さん 人を殺しました」(朝日)

 2010年と古いが、イラク戦争帰還兵の精神的傷を追跡レポートしたシリーズ。集団的自衛権で国会審議が進む中、(直近の)戦争の傷跡の一つとして思い出した。


7. 元海兵隊員の詩

 上記の朝日新聞記事を受けて、「テクニカルライターKの日常」ブログの記事。 
 

といったところです。
今回は「ユーモア」は入りませんでした。残念。


ではまた次回! 

ツイッター開始5周年

ツイッターを始めた翌日、教会ブログを始めたのでした。

ブログの方は年次報告していますが、ツイッターしていません。(普通そんなことしないですが。)

しかし5周年を迎えてやっておいた方がいいかなと思い・・・。


というのはブログはアーカイブが初めから想定されていて、そのようにプラットフォームが設計されているのですが、ツイッターはその点全然無関心みたいです。

ツイート数がある程度たまると、昔のツイートを見つけるのは大変です。

スクロールダウンだとやたら面倒。

適当に検索しても面倒。

要はアーカイブのコンセプトが丸っきりない。

せっかくいいことツイートしたな、と思ってもしばらくしてからそれを回収しようと思ってもなかなか出来ません。


そこでオススメなのが「お気に入り」を使うことです。

あー、なるほど、ツイッターの「お気に入り」はキュレーションなんだ、とあるときひらめきました。

もちろん人様のツイートを普段「お気に入り」にするのですが、ときどき自分のツイートも「お気に入り」に入れます。

後で何かのときに使うこともあるか・・・を想定して入れたりするのですが。


では現在880たまった「お気に入り」の中からいくつか選んで展示してみましょう。
















ではここまでにいたします。

2015年7月4日土曜日

今日のツイート 2015/7/4

今日は某国では一大ホリデーで、花火が打ち上げられているはず。

いまは懐かし かの国での 最初のジュライ・フォース。

でも『今日のツイート』はそれとは関係ないのです。あしからず。

今日といってもこのツイートの日付は5月13日。だいぶ前ですね。


まずはその理由から。

ことの始まりはオラショでした。

明日の礼拝説教の準備で「おらしょ」のことを思い出したのです。

そして皆川達夫さんが「おらしょ」のルーツを探したエピソードを思い出しました。

オラショとグレゴリオ聖歌とわたくし

キリスト教禁制下の信者が口伝で(かろうじて)保った「おらしょ」ですが、もはや誰もその意味を知らない・・・ということが明日の聖餐礼拝説教に関わっているのです。



以下は週報からの抜粋・・・当教会の週報には説教要旨が載ります。)

 先週もたれた・・・で・・・「聖餐式」のことを学びました。頻度もやり方もまちまち・・・意外と省みられていなかったのが式文でした。ある教会で式文使用をやめた理由は「同じことを繰り返し聞くことに飽きてしまうから」だそうです。(似たような理由で主の祈りや使徒信条が省略されることがあることを別の機会に聞きました。)

聖餐式を一つの「儀式」とみなすことが出来ると思います。そしてそのやり方が教会によってまちまちになる、とは一体どういうことでしょう。

週報では以下のように続きを書いています。

 主の死を記念、想起して行われる聖餐式は「みえることば」としての実践自体に意義がありますが、式の意義を「解釈することば」にもやはり大事な役割があると思います。「主イエスは、渡される夜」は過越しの食事であったことが福音書で語られています。神の民の贖いが更新する意義を晩餐でのイエスの言葉は示唆していました。「聖餐」式は聖書全体に照らしてその意義が理解される必要があります。式文はその縮小版です。短いですが勝手な解釈を予防するために必要ではないかと思います。
私見ではプロテスタント諸教会の多くは「歴史的教会の伝統」を余り重視していません。

そのことからくる一つの大きな問題が「福音」についての理解が変遷してきたことを自己認識として持っていない、ということです。  

その辺の問題をスコット・マクナイは『福音の再発見』で検証しようとしました。


長崎の隠れキリシタンほどではないですが、マクナイトが『救い派』と呼ぶプロテスタント諸教会はイノベーション意識は高いが、伝統意識が薄弱のように見受けられます。

ですから、ぼんやりしていると、カルト化や異端化にさらされやすく、悪く言えば新興宗教団体の域を出ないことがままあるように思います。

長崎のオラショと違い、幸いなことにプロテスタント諸教会の人たちが、「自分たちはいったい何をしているのか(たとえば聖餐式)」を確かめようとすれば、自己理解を助ける聖書があります。

そしてその聖書は誰でもが手に入れられます。


しかしその場合でも「自分たちはいったい何をしているのか」という問題意識がなければ、探求は始まらないでしょう。

オラショの実践者たちは口伝を保持するだけで精一杯であったでしょう。

現代のキリスト者がはたして「福音」の伝承と言うことを強く意識する機会があるでしょうか。

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 (Ⅰコリント11:23、新共同訳)

兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。・・・
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 (Ⅰコリント15:1,3、新共同訳)

さて、殆どその意義も意味も知らないで「一つのパンから裂き」「一つの杯から飲む」ことをえんえんと続けていられるでしょうか・・・。

明日の礼拝案内

主日礼拝
 
2015年7月5日(日) 午前10時30分


朗読箇所 Ⅰコリント 11:17-34
説 教 題 「主イエスは、渡される夜」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※聖餐式があります。


《メモ》 
『主の死』を告げ知らせる「聖餐」(5)

 (1)導入・・・23節
 (2)パンとぶどう酒に関する主の指示・・・24-25節
 (3)聖餐の意義・・・26節
すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り
               23節、新共同訳) 

2015年7月3日金曜日

ブログ開設5周年

7月3日はこのブログの定点観測の日だ。

ツイッターは昨日だったかな、5周年。

なんにしても5年は長く感じるなー。



では「過ぎし一年」を振り返ってみよう。

①投稿数

 総投稿数137は前年比-45だ。

 うーむ、かなりダウン。

 最近結構投稿数が多いと感じているので、上げ潮だとは思うが。
 
②総ページビュー

 153,700を越えたところ。

 月平均で2,460、日平均80弱はやはり減ったなー。

 ピークを過ぎたと言うことだろう。

 これからはもう余り気にしてもしょうがないと言うことか。
 
③人気の投稿

 この1年で目立ったものは・・・

 (危)「某キリスト教イベントを短考する」

 (3)マーク・アムスタッツ『エヴァンジェリカルズ アメリカ外交を動かすキリスト教福音主義』

 (3)主に神学ブログ⑧

 あたりですね。

 
 では読者の皆さん。すぐる一年のご愛顧ありがとうございました。

 また新たな一年も順調に続くようでしたら、よろしくお願いします。