ツィッターでフォローしているのだが、ときどき「無料」「ディスカウント」の電子書籍案内があるので目が離せない。
先日、たまたま、(今やすっかり過去の人となった観のある)ジャック・エリュール著作入門編みたいな号(2015年5月22日)があったので、いつかブログにアップしようと思っていた。
以下のリストはこの号で紹介している順。
巣鴨聖泉キリスト教会(日本聖泉キリスト教会連合)創立1965年。 大和郷の一角にある緑と花に囲まれた教会、隣には牧師の木工房。 静かに賛美と聖書の学び、そんな礼拝の時をお過ごしください。
あたしは聖子ちゃんのことも大好きだけど、とにかく明菜ちゃんのことが大好きで大好きで、小学生の時から明菜ちゃんのことが死ぬほど好きで、好き過ぎて熱が出て寝込んで学校を休むほど好きだったから、明菜ちゃんに関して変な攻撃をするアホがいた場合、あたしはマジで徹底的に潰すよ。
— きっこ (@kikko_no_blog) 2015, 7月 22
皮肉なことに、やすし・きよしの独演会の一週間後に放送された新町と四尺の番組で、製作関係者は<名人芸>とは何の関係もないことを露呈した。
こともあろうに、古今亭慎重の「火炎太鼓」を一部カットして放送したのである。カットされている、と気づいたぼくは即座にテレビを切った。
この時のプロデューサーと構成は山本益博。演出が澤田隆治である。どちらも悪い人とは思わないが、記録として記しておく。
深夜放送で、売り出し中の漫才師がこうしゃべっていた。
--食いものを批評して商売にしようなんてのは恥ずかしいことなんだ。そういう恥ずかしさを感じてねえ奴が、お笑いの批評をするってのは間違ってると、おいらは思う。
漫才師の名はビートたけし。批判されているのは山本益博だった。(60ページ)
The saddest fan art tribute I've seen yet #RIPIwata pic.twitter.com/iw7NNipkH3
— Alysia Judge (@AlysiaJudge) 2015, 7月 13
ハァ 予算もねぇ工期もねぇサブトラックも走ってねぇ
屋根もねぇ座席もねぇ大臣毎日ぐーるぐる
コンペしで審査しで二ヶ月ちょっとで結果出し
説明ねぇ見直しねぇザハは来日一度きり
俺らこんな新国立競技場いやだ
東京で出さすだ東京都へ来たなら銭っこ集めて東京で金出さすだ
— 建築エコノミスト森山 (@mori_arch_econo) 2015, 7月 5
ドイツが脱原発決めた根拠になった倫理委員会の報告書は英語なのね。これなら読める。リンク先のページ右側にあるDOWNLOADSが報告書。http://t.co/zJ1vHVNk
— Hideyuki Hirakawa (@hirakawah) 2011, 12月 27
キリスト教に限定されるとちょっと探すの面倒だけど、「信仰」にきちんと向き合ってるラノベなら『猫の地球儀』『スカイワード』が挙げられる。あと、理想的な「狂信者」は『お・り・が・み』のシスター・クラリカ。
— nekome(猫目・葉月)@緑 (@nekome_haduki) 2012, 1月 30
今日読んだhttp://t.co/dnSBufvt の中のロバート・ベラーの論文は、丸山真男とハーバーマスの主要な知的源泉が専ら近世と近代の思想にあるのに対し、チャールズ・テイラーの知的源泉が近代思想のみならず、前近代の思想にもある点を明確に指摘した好論文だった。
— 山脇直司 (@naoshiy) 2013, 1月 9
教皇ピウス12世が、ある時こう尋ねられた。「現代のプロテスタントの神学者の中で、誰が一番偉大だと思いますか?」教皇は答えた。「それはカール・バルトだよ」
さて、バルトがこの話を聞いた。「・・・おっと、もう少しで教皇無謬説を信じてしまうところだった。」
— ローマ法皇_bot (@Mr_bot2) 2013, 1月 20
Orthodox mystery
Catholic beauty
Anglican liturgy
Protestant audacity
Evangelical energy
Charismatic reality
http://t.co/5YeY6kZ9OR
— Brian Zahnd (@BrianZahnd) 2013, 6月 25
「カトリックとプロテスタント、どこが違うんですか?」ってよく聞かれるけど、「福音においては何も違わない」って、いつもそう答えます。それは理屈ではなく、最近の私の実感なんですよ。・・・「福音においては何も違わない」。
— 晴佐久神父 bot (@Hallelujah800) 2013, 7月 12
RT @baileysleutel: An introduction to the Jesus Storybook Bible. Sometimes the simplest words are the most profound. pic.twitter.com/UFia9YKjrV
— sally lloyd-jones (@sallylloydjones) 2013, 10月 31
RT @bales_jason: ThisTree Was Just Beginning To Grow When Jesus Was Walking The Earth. pic.twitter.com/AwX7dlpOh6 #photo
— FunDave (@dpbkmb) 2013, 11月 14
真理子教会の礼拝は讃美歌ないし讃美歌21を使いながらもできる限りカトリックないし聖公会式に近づける。歌は6番まであったら2番まで、3-4番までだったら最初の1番のみ。説教は7分、祈りは140字以内。7分ほど黙想をやって毎回聖餐式で全行程45分以内におさめる。
— 植田真理子 (@marikobabel) 2013, 12月 7
特定秘密保護法は親米政策でもあり、軍備増強や自衛権の伸長は平和維持活動範囲における海外での国際貢献によって日本の国際的地位を高める意図があり(安倍政権参謀、磯崎陽輔参議院議員の指導)、金だけ貢献の1991年イラク戦争以来の懸案だとのことhttp://t.co/kG4HYFn7vN
— Takashi Kojima/小嶋崇 (@SugamoSeisen) 2014, 3月 4
"Science is about imagination and having a vision for things unseen and unproven." @BransonParler on the new Cosmos: http://t.co/lNHvBudTC6
— ThinkChristian (@thinkchristian) 2014, 3月 12
ぬ子様付きで売ってくれw QT @coodoo ちょと待ったwww ネコ奴隷御用達「ご主人様のためのテーブル」が、幸福すぎて仕事捗るニャイフハック http://t.co/9Vctcjp3Mm … pic.twitter.com/B7nLIyrLWX
— 水牛・sui (@suigyu703) 2014, 4月 24
『宗教で読み解くファンタジーの秘密』Ⅱが出ました。http://t.co/N1zZXdYsIl 『ゲド戦記』『モモ』『ハリー・ポッター』に加えて、手塚治虫『ブッダ』、プルマン『ライラの冒険』。ファンタジー作家の思考も宗教家の思考も、クールさとホットさの絶妙な闘争の中にある。
— 島薗進 (@Shimazono) 2014, 5月 24
あの「キリスト看板」の謎がすべて解ける!! 実際に看板貼っている団体に話を聞いてきました。長文ですがと~ても濃いです! 『誰も知らない「キリスト看板」(聖書配布協力会)の真実!』 → http://t.co/TFkvZb1g9F pic.twitter.com/RxfHbiPjwl
— まんげつ (@mangetsu1129) 2014, 6月 9
会話には「さすがですね」「知りませんでした」「すごいですね」「センスいいね」「そうなんだ」という「さしすせそ」が重要だそうですが、アカデミック連中との会話には「例えば?」「違いは?」「つまり?」「定義は?」「統計的な裏付けは?」の「たちつてと」が重要です。
— 垂木いすゞ (@Isuzu_T) 2014, 8月 1
隠れキリシタン歌オラショ「ぐるりようざ」長崎県平戸市生月町壱部集落 https://t.co/BuzDSl9CN4 @YouTubeさんから これか。
— 頻闇を這う[土・東ヤ28b] (@ritsumugura) 2015, 5月 13
今日といってもこのツイートの日付は5月13日。だいぶ前ですね。先週もたれた・・・で・・・「聖餐式」のことを学びました。頻度もやり方もまちまち・・・意外と省みられていなかったのが式文でした。ある教会で式文使用をやめた理由は「同じことを繰り返し聞くことに飽きてしまうから」だそうです。(似たような理由で主の祈りや使徒信条が省略されることがあることを別の機会に聞きました。)
私見ではプロテスタント諸教会の多くは「歴史的教会の伝統」を余り重視していません。主の死を記念、想起して行われる聖餐式は「みえることば」としての実践自体に意義がありますが、式の意義を「解釈することば」にもやはり大事な役割があると思います。「主イエスは、渡される夜」は過越しの食事であったことが福音書で語られています。神の民の贖いが更新する意義を晩餐でのイエスの言葉は示唆していました。「聖餐」式は聖書全体に照らしてその意義が理解される必要があります。式文はその縮小版です。短いですが勝手な解釈を予防するために必要ではないかと思います。
わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 (Ⅰコリント11:23、新共同訳)
兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。・・・
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 (Ⅰコリント15:1,3、新共同訳)