まー、でも一番は野次馬根性でしょうと思う。
前から気になっている人は「山本直純」ですが、最近また朝日新聞で連載記事にして取り上げていました。
エジソンとかアインシュタインとか、超有名な天才にはそれほど興味を持たないのですが、世間での評判が今一つで、意外に思われる「天才」はやはり気になります。
たまたま図書館で、『天才伝説 横山やすし天才伝説 横山やすし』(小林信彦、1998年、文藝春秋刊)が目に留まりました。
横山やすしの天才ぶりも知りたかったですが、もう一つ気になったのは「笑いの質」の違いについて。
つまり「関東と関西での笑いの質」があるやなしや、あったらどう違うか・・・みたいなこともどう書いているかなー、と思って。
で、結論から言うと、僅か百年にも満たない「大衆お笑い文化」の歴史なのですが、やはり厳然としてある・・・ということだと思います。
最もそれはお笑い文化というものがもともとローカル色の強いものであったのが、テレビを通し全国区に編成されて行く過程でより意識され、また淘汰されていった(まだ現在進行形ではありますが)ものなのでしょう。
著者小林自身の関わりから見える、文筆業・映画・大衆芸能と横断的になった「文化」のありようも興味深かったです。
最後に一つ引用。
皮肉なことに、やすし・きよしの独演会の一週間後に放送された新町と四尺の番組で、製作関係者は<名人芸>とは何の関係もないことを露呈した。
こともあろうに、古今亭慎重の「火炎太鼓」を一部カットして放送したのである。カットされている、と気づいたぼくは即座にテレビを切った。
この時のプロデューサーと構成は山本益博。演出が澤田隆治である。どちらも悪い人とは思わないが、記録として記しておく。
深夜放送で、売り出し中の漫才師がこうしゃべっていた。
--食いものを批評して商売にしようなんてのは恥ずかしいことなんだ。そういう恥ずかしさを感じてねえ奴が、お笑いの批評をするってのは間違ってると、おいらは思う。
漫才師の名はビートたけし。批判されているのは山本益博だった。(60ページ)
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