2016年7月14日木曜日

(3)藤本満『聖書信仰』ノート、4

「2 17世紀プロテスタント正統主義」(33-44ページ)

今回の部分は筆者にとってはかなり未知な部分で、16世紀の「宗教改革」とある程度のファミリアリティーがある「18世紀(初期信仰復興運動)」 (次章の区分で扱われる)の間に横たわる「知の空白」大陸である。

だから余り危なっかしいことは言わない方がいいのだが・・・。
 
『逐語霊感』と『十全霊感』
 「十全」とは、霊感が部分ではなく、聖書全体に及んでおり、したがって、救いや信仰のことだけでなく、歴史や科学の領域にも及んでいるという考え方である。「言語(逐語)」とは、霊感が思想だけでなく、一つ一つの言葉にも及んでおり、したがって、霊感が言葉と結びついていると考える。 

逐語霊感・・・聖書の記者による「言葉の選択」にまで及ぶ
十全霊感・・・救いや信仰のことだけでなく、歴史や科学の領域にも及んでいる

先ずもって「逐語」と「十全」の違いがピンと来ない。

論理的順番で言うと、①十全霊感があり、それをさらに強化するために、②逐語霊感にまで進めた、と説明されると納得行くが・・・。

つまりこう言う風に「意味(思想)」と「言語構造(語・フレーズ)」の関係を捉える場合である。

 「意味(思想)」を建物の2階部分、「言語構造(語・フレーズ)」を建物の1階部分にたとえ、下部構造が上部構造を規定する、と理解した場合のことである。

しかしその辺のところはさっぱり分からないので、目下はそれなりに「当時の霊感論が時代精神(合理主義、ロマン主義)にある程度影響されて形成された」ものであり、しかしそのような霊感論として形成される論理的必然性は「聖書の権威」を「(人によって)書かれた言葉であるが、真理の直接啓示」として弁護・保証するため、二重三重に論理武装する必要を覚えたから、と仮定しておこう。

17世紀は筆者にとって「知の空白」大陸と書いたが、妄想的仮説を乱発しそうなのでもうやめておこう。

宗教改革後のプロテスタント・スコラ主義が歴史的にどう発展したのかは、今後のより実証的な歴史研究を探すこととしよう。結構面白そうだ。

あるいは時代背景として興隆しつつある「合理主義(rationalism)」との関係が「思想史的」に追跡されると面白いかもしれない。

(次回に続く)

注:「改革派の正統主義」と云う文章が見つかりました。参考になるかもしれません。

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