読者の方はお気付きのように最近筆者の関心が集中しているのはオウム真理教についてである。
先ずは安上がりな資料集めとして豊島区の図書館に所蔵してあるオウム真理教関連の書物を探索していた。
その中に鷲巣力編集の「加藤周一自選集第十巻(1999-2008)」(岩波書店、2010年)があり、『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)の二つの短い論考が収められていたのである。
わざわざこれらの二つの文章のために、とも思ったが加藤周一の著作に長らく親しんできた縁もあり借りてくることにした。
ところが巻末に編集の鷲巣力がかなりのページ数を割いて加藤周一のカトリック洗礼に関する経緯と推察を書いているのを読み、改めて加藤がなぜカトリックの洗礼を受けたのか、と言うことを考えてみたいと思ったのである。
筆者は既に「洗礼について」で加藤の洗礼について思い巡らしたことを短く書いた。
こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。これを書いた当時はただ想像するだけで推量する資料が殆んどなかった(ちゃんと探したわけではなかった)。
加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。
思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。
しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。
今回鷲巣が書いた文章の中にこういうくだりがある。
2008年8月14日、夜遅くに加藤から私(鷲巣)あてに電話が入り、おおよそ次のようなことを述べた。「宇宙には果てがあり、その先がどうなっているかはだれにも分からない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。私は無宗教者であるが、妥協主義でもあるし、懐疑主義でもあるし、相対主義でもある。母はカトリックだったし、妹もカトリックである。葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。(私が無宗教ではーー引用者補足)妹たちも困るだろうから、カトリックでいいと思う。私はもう「幽霊」なんです。でも化けて出たりはしませんよ。」(488-489ページ)これをうけて鷲巣は次のように綴る。
加藤は「死」を覚悟した。そしてカトリックに入信する意思とその理由を明らかにした、と私(鷲巣)は受けとめた。上野毛教会に入信の意思を伝え、8月19日に加藤は受洗した。 (489ページ)ところでなぜ加藤がカトリックの洗礼を受けたのかについての鷲巣の推察は以下のようになっている。
あえて批判を恐れずに述べる。加藤の思考に沿えば、帰依するのは必ずしもカトリックでなくても良かったに違いない。論理的斉合性を持ち、超越性を指向し、「ギャップを埋める」ものであれば、カトリックであろうと、浄土教であろうと、よかったのだ。複数の選択肢からカトリックを選んだ理由は、母も妹もカトリックであると言う条件である。「妹も困るだろう」と妹のことを心配した結果だと思われる。つまりは「家族愛」を考慮したのである。 (492ページ)さて筆者が感じたことを述べるが、鷲巣のところにかかってきた電話で加藤が述べた内容の要約に従えば、やはりカトリック洗礼の一番の契機は「死期が迫ったこと、即ち葬儀をどうするか」と言うことに尽きるのではないだろうか。
加藤自体の思想にはどうやらさしたる変化は見られない。
不可知論であり、不可知なものに対して、特に宗教に関して基本的にどの宗教も取らない。
無宗教者。
しかしそれゆえ「神の存在」(死期に及んでは死後のいのち)に関しては「妥協主義」の態度も、「懐疑主義」の態度も、「相対主義」の態度も取れる。
鷲巣に対してそのような自己の精神性(の不変)を説明した上で、あえて死(葬儀)への準備として「宗教」の選択を語る。
「葬儀は死んだ人のためのものではなく、生きている人のためのものである。妹たちも困るだろうから、カトリックでいい」
カトリックの「選択」は加藤が「様々な宗教の選択肢」を考えたからではないだろう。
葬儀を営む家族(妹)を配慮した結果なのだ。
筆者としては加藤にもう少し積極的な洗礼への契機が、信仰の内在的な動機が、あったらばと思うのだが、どうやら事情は違っていた。
加藤の洗礼の申し出を受け入れたカトリック教会側との間にどんな会話があったかは知らない。
しかし受洗5日前の電話の内容からは、加藤の態度は決まっていた。
受洗にあたってのカテキズム(があったはずだろう)に対して加藤は相対的な姿勢を変えたとは思えない。
8月19日の洗礼に当たっての加藤の「信仰」は少なくとも「回心」ではなかっただろう。
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