2012年7月8日日曜日

伝道メッセージ

「キング・ジーザス・ゴスペル」ブログ更新のご案内です。
 
KJGの第8章、The Gospel of Peterの前半をさらっと紹介しています。(ここをクリック


筆者の仕える教会は昔々「伝道会」と言うものを日曜日の夕7時から持っていた。
強調点は「伝道」なのだが、一時期教会に「キリスト教」を求めて「求道者」がよく来ていた頃は別にして、礼拝とは違うメッセージと賛美歌(当方の教会が使う讃美歌では「リバイパル聖歌」と呼ばれていた)を柱にした集会だった。

筆者が大学生の時ある晩の伝道会で「まだ救われていない者」は「天国」と「地獄」の分岐点にいるようなものだ、と語られその晩「イエスを自分の罪のための救い主」と信じて「救われた」のだった。

さて振り返ってみて、その晩の説教は「キング・ジーザス・ゴスペル」で言われるところの「救いの文化」でなされるようなものだったことはよく認識できる。

しかしマクナイト教授が言うように、このような「伝道メッセージ」は確かに聖書的「福音」から見れば大分短絡した歪んだものには違いない。
しかしだからと言って筆者はこの時の体験を「救い」ではなかったとは言わない。
依然としてこの時の体験が筆者個人にとって「福音」に触れ、イエス・キリストを信じたものだった。

ただその後のキリスト者人生から学習した事柄によって、福音体験の不十分さは認識できるようになった。

今回の記事では「使徒の働き」に散見するペテロの説教がⅠコリント15章3-28節の「福音」観から分析されていることを紹介している。
「福音の文化」で「救いを体験した」方々には是非注意して読んで頂けたらと思う。

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