先ず2012年初投稿記事なので、新年のご挨拶から。
主の年2012年、新年明けましておめでとうございます。
本年も「大和郷にある教会」ブログをよろしく(お引き立て?)お願いします。
さて、巣鴨聖泉キリスト教会の今年の標語聖句を。
愛によって互いに仕えなさい。
ガラテヤ5:13(新共同訳)
ところでこの聖句が示唆するようにキリスト者として生きるとは、キリストの体である教会、つまり信仰共同体を前提としている。
カトリック的なイメージまで行かなくても、プロテスタント教会においても「信仰者の母」としての教会は受け入れやすい印象だろうと思う。
しかしスコット・マクナイトの「
王なるイエスの福音」 でも
今迄「福音」として聞いてきたものが、実は聖書的に忠実に語られた福音ではなく、「サルベーション・カルチャー」と定義された、「個人的救いに特化された神学とその適用」だった、とこの本は分析するわけです。
と指摘したように、今私たちキリスト者が生きる時代環境は新約聖書時代の「社会対個人」の構図より一層個人化していると思うのです。
プロテスタント原理(救済に関し如何なる人的権威も神と人との間に干渉する権利を持たない)の延長線上に、このような個人的救いに特化した「サルベーション・カルチャー」が可能となり、近代の落とし子である「個人化(伝統とそれを抱合する社会に対して独立する個人を析出させた近代化の諸相)」の波に晒されながら現在のキリスト者は“教会生活”を送っているのではないでしょうか。
教会史的に見るとプロテスタント教会の中の「自由教会」の伝統では、教会は一見「救われた個人」が任意で形成する社会であり、地縁、血縁、日本的に言えばムラ社会や義理社会の原理を否定しているかのように見えて実はそれほどスッパリとは異なる原理・原則で動いているわけではない。やはり混在しているのが現実の教会だと思うのです。
とまあ何やらややこしい説明をごちゃごちゃ書いていますが、要するに指摘しようとしているポイントは・・・様々複雑な諸相を呈していても、今の教会は人間関係の“絆”が脆弱化する方向に向かっているのではないか、と言うことです。
たまたま昨年は東日本大震災という出来事を通して人と人との絆と言うことを考え直し、生活インフラが崩壊した時に如何に都市で生活する個人が脆弱であるかを感知する機会となったように思います。
だからと言って教会やその他の中間的自由社会が巨大化したマス消費主義社会で行過ぎた個人主義に生きる人々の「絆作り」の受け皿となりうるかどうか、と問われるとそれはなかなか難しいだろうと思うのです。
以前このブログでも書きましたが(「
一%の壁」)、2006年に行われた宗教意識調査で、日本人の特に青年層の「キリスト教支持」が
6%と高かったことを指摘しました。
(この記事のギャラップ調査結果に関するリンクは現在有効ではないようです。
こちらをご参照下さい。)
つまり長い話を短くつづめて言えば、(日本の)既成教会は人間関係が固定化し、新来会者が受け入れられやすい態勢になっていなかったり、また教会内の様々な習慣に馴染めなかったり、またひどい場合には献金の強制や集会・奉仕の強調など「個人の自由」を脅かすように感じられるものがあったり、と程度や内容にかなりな幅があるとは言え「自称クリスチャン」が教会に留まるのを阻害する要因が教会側にあるのも否めないわけです。
そして更に本記事の標題に掲げたように、ネット社会の出現によって(それが直接の原因ではないかもしれないが)、集会や礼拝がバーチャルに、気安くできる態勢が整いつつあるように思うのです。
特に生身の人間関係構築が苦手な若年齢層によってこのトレンドが今後定着していくと仮定すると、
「日曜日に教会へ行く信者」(今や1%を切っているだけでなく斬減していく傾向にあると思う)と、教会のような“組織”に繋がっていない(教会の人間関係や習慣に躓いたりして教会へ行くのをやめた人々も含む者たちはかなり増加傾向にあると思う)
「お一人様クリスチャン」との間に大きなギャップが発生し、特になかなか顕在化しない後者のタイプの
「自称クリスチャン」がサイレント・マジョリティーとして今後の日本のキリスト教の方向に結構影響を及ぼしてくるのではないかと予感する。
元旦礼拝の牧会祈祷では
「一人で礼拝しているクリスチャン」(その中にはなかなか行きたくても教会の公同礼拝に参加できない者たちを含むのだが)、特に上記に掲げたような理由で「お一人様クリスチャン」の礼拝を捧げているかもしれない者たちも念頭に、「聖なる公同教会」の「聖徒の交わり」を意識しながら祈った。
※「お一人様クリスチャン」などと言う題を掲げたが果たしてその実態(様々な様相があるに違いなかろうが)についてそんなに具体的に知っているわけではないのであくまでも「多分こんな風に物事は進んでいるのではないか」と言う想像的な文章と思ってお読みいただけるとありがたい。