2018年8月13日月曜日

(3)「次世代教会」を展望して、1

今年に入って更新回数がめっきり減ってしまった。

お世話している読書会や読書会関係の働きもお休み中だ。

そんな状況なので「『次世代教会』を展望して」を連載してみようと思っているが極めてランブリング(rambling)なものになること請け合いだ。

しかしやろうと思うだけの切実な状況はひしひしと感じている。

「『次世代教会』を展望して」これまで考えてきたことをどれだけ整理して一回一回の記事にアウトプットできるかはもう出たとこ勝負でやることにしよう。

しばらく右往左往トピックが変遷するかも分からないが、筆者の頭の中ではそれら乱雑なトピックも一応繋がっているのだろうな、と云う希望的観測の元に読み進めてほしい。

発端はどの辺りに?

 時系列的に見て近い方では以下の三つの記事が今回「『次世代教会』を展望して」を連載することに関わってきます。

隠れキリシタンになる前に 20年後(?)の日本の教会を見据えて(2017/2/19)
隠れキリシタンになる前に 余波1(2017/2/22)
隠れキリシタンになる前に 余波1(続)(2017/3/1)

この最初の記事で取り上げた「某教団の聖職者」が一年経ってあるプロジェクトを開始し、先日その報告のための会を開いた。
詳しいことは書けないが、そのプロジェクトは記事で書いたものとは大分様相が違っていた。
日本全国の教会の現状を現場に赴いてリサーチしそれをまとめる、と云う段階をスキップして、むしろ「次世代教会」のモデル構築に具体的に着手したわけである。

次世代教会とは何か?

 それは一定数の信徒を集め、彼らの献金によって専門ワーカー(牧師とか伝道者とか)が施設(教会堂/牧師館)に定住して宣教する…という《従来型》に対し、農業に従事する共同体を形成して伝道する…という《自給型》だ、と云う説明であった。

 その話を聞きながら「勇気あるなー」「開拓者精神がすばらしい」と心の中で思いながらも釈然としないものも多く残った。

 会の後半の質疑応答で「釈然としないもの」の中の一つは語ったが、もはや問題はその方のプロジェクトの是々非々ではなく、現在日本で伝道に従事している「我々一人一人」がどう「次世代」の教会の課題を引き受けたらいいのか、ということだと思った。

あるブログ記事


 日本基督教団の将来を予測してそれを「2030年問題」として捉え、どのように対応したらいいか、ということをある方が書いています。
 その中で以下のような展望を掲げています。
既存の教会制度が崩壊していく中で、間違いなく主流になっていくのは、一人一人の信者の自発的な働きによる、ホームチャーチや小グループです。
ネット環境さえあれば、いくらでも聴けるメッセージがあります。何十人、何百人も集めようとしなければ、個人宅で十分です。
一つの教会で、一人の専任の牧師を置くというこれまでのあり方をやめて、自給伝道を中心にしていくならば、経済的な負担も、比較にならないほどに軽減されます。
すでに・隠れキリシタンになる前に 20年後(?)の日本の教会を見据えて(2017/2/19)で書いたように、日本の人口動態予測や少子高齢化社会等、構造的変化を見据えればある意味現実的な対応と言えるかもしれません。

ただまだまだ議論の中心に見えてこないのは将来的にキリスト教グループが日本社会に生き延びるとしても、そもそも「何のために生き延びるのか」。生き延びるだけの「使命・ミッションは何なのか」が問われていないように思うのだが・・・。


まずはそんな切り口で始めて行きたいと思います。

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