2018年8月21日火曜日

(3)「次世代教会」を展望して、3

前回、「次世代神学教育」みたいなことを話し始めました。

少し続けます。

既に2回引用した中にあった「次世代教会」の形態として
 (1)小グループ、家庭集会型
 (2)専門職を置かない自給型
がラフな特徴として言えると思います。

かなり簡単・曖昧なイメージですが、しばらくこれで引っ張ってみます。

このようなタイプが「次世代教会」の主流になるかどうかは別にして、制度的教会が弱体化し、ネット文化によりますますフラット志向に社会が動けば、このような形態のキリスト者のグループが増えて行くことは充分考えられます。

既に米国その他の地域で、制度的教会に対抗する教会のあり方として「イマージェント」と呼ばれる、いわば草の根運動が1990年代辺りから起こりました。
※ 「イマージェント」については過去の記事で簡単に説明した
 彼らはキリスト教会の様々な制度面に対し否定的態度を取る傾向が強い。
スモールグループで、集会や聖書研究を行い、自分たち自身のキリスト教表現に忠実であろうとする傾向が強い。さらに、「社会正義」「環境問題」など保守的福音派が余り正面から取り組んで来なかった問題に関心が強い。
「イマージェント」のような場合、小グループ型「次世代教会」の指導者になるよう「召命」や「志し」を持つ方は既成の教会に対する幻滅や批判を通して小グループを始める、と言うケースが多いと思います。

そのような小グループから会衆が増え、会堂を取得し、専門ワーカーを雇って「教会」のようになるケースも出てくるかもしれませんが、(日本の場合は殆ど考えにくいので)あくまで小グループのまま存続することを前提して、そのようなグループ指導者となる方に相応しい神学教育はどんなものかを考えて行きたいと思います。

(1)(理想的には)召命(Call)を意識
現実にはなかなか難しいかもしれませんが、(筆者が影響を受けているN.T.ライトさんの主張を活かせば)そのような指導者は「福音」と「召命」を出来る限り明確に意識していることが望ましいと思います。
主イエス・キリストの福音が宣言されるとき、聖霊の自由な働きによって「召命(call)」がなされ、それに応答する「信仰の従順」を出発点とする。
キリスト者のグループはどんなタイプのものであれ、「召命(calling)」に基づいて形成されるのが望ましいと思います。その際「召命(calling)」は教会のために働く専門職に就くという意味での召命ではなく、福音によって「呼び出された者たち」すべてに適用されるものです。

換言すれば、小グループ指導者は、仲間のキリスト者たちと共に、「召命」に対する自覚と理解を深め、「召命」に相応しく生活することを継続的に集って学ぶよう励ますことが出来るよう訓練する必要があると思います。

(2)グループの「柱となる活動」への理解
小グループと云うのは多分に自然な流れで形成される「仲間」のような傾向が強くなるのではないか。アットホーム、くだけた、ナチュラル、親しみやすさ、などグループ形成に多いに長所となる反面、中心となるもの、そもそもなぜ集るのかという目的や使命がいつのまにか曖昧になりやすい。そのバランスが崩れないように敏感にグループダイナミクスの方向を察知し、「中心に戻す」能力が指導者には求められると思います。

つまり、一にも二にも「召命を受けた者たち」のアイデンティティを自らもそして仲間も保持するだけの粘り強さが肝心かと・・・。

そういう意味では活動として中心になるだろう「共同聖書研究」で使徒の働きを読むことが相応しいのではないかと思う。

先ず「グループの柱となる活動」については、使徒の働き2章41~47節を時間をかけてじっくり学ぶことがいい。

次に「アイデンティティ保持」に関しては、使徒の働き20章のパウロの決別説教から多くの示唆を受けることが出来るだろう。

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