2010年8月11日水曜日

涯しなさ

タイトルがおかしい?

要するに「限りなく遠い感じ」「えんえんと続く感じ」「一体いつになったら着くのだろう・・・みたいな感じ」について。

一体今の子供たちは“この感じ”をどのように体験しているのだろう。

先ずは私の体験から。

①小学校一年生の時だったか、当時はまだ珍しかった海外旅行(確かアメリカ)へ行った先生の話を図書館の付属室で、スライドを見ながら聞いた。アメリカはとても遠くに感じられた。その先生が、まるで月に行って帰ってきた人のように思えた。それ程アメリカは遠くに感じられた。

②やはり小学校低学年だったか、「安寿と厨子王」のアニメ映画のようなものを学校で見た記憶がある。 どこかの場面で、小船に乗った二人が、母とだったか、安寿と厨子王それぞれがだったか、別れ別れになる。あの時の切なさ、一生巡り合えない様な別離の時の「はてしなさ」を子供心に深く印象付けられた。

③小学校高学年になってからだったか「源平盛衰記」を読んだ。謀反に加わったとして俊寛僧都が喜界ヶ島に流刑にされるが、そのとき他の流刑者から一人島に取り残される俊寛の気持ちに思わずジーンとなった。あの時の感じが「はてしなさ」だったと思う。

④大学卒業後、アメリカに留学した。四年は帰国しないと思うと、その四年という時間の長さに押しつぶされそうになったことを覚えている。四年と言う期間は、日を指折り数えて待つには長すぎた。あの「はてしなさ」も子供の時物語で感じたものとは少し違うが、“自分が待つ”体験としては十分にはてしなかった。

こうしてみると、日常では得がたい情感を、文学を通して体験することの大切さを思う。

今の子供たちにはアメリカは近いだろうなー。
ネットに慣れていると、「世界は繋がっている」と感じるだろーなー。

彼らは一体どうやって「はてしなさ」を体験しているのだろう・・・。

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