あえいうえおあお
かけきくけこかこ
させしすせそさそ
・・・・
わえいうえをわを
牧師の仕事の一つ、と言うか
プロテスタントの教会では「説教」がメインである。
別に礼拝に集う人々が「説教」を聴きにやって来る、と言う意味ではない。
ただ礼拝時間に閉める説教の割合は大きい。
最近では説教が短くなる傾向だが・・・。
聴衆に声が届くための条件は幾つかある。
特に当教会のようにPAがないと、肉声で届かせなければならない。
声量、滑舌、間・・・など。
どれ一つ満足にできるものはない。
声量が足りない。
ちゃんと腹式で発声していない。
滑舌が悪い。
毎回注意されるわけではないが、自分でも少し意識して、礼拝前の時間、準備する。
冒頭のように繰り返し何回か発声してみる。
少しは違いがあるようである。
声はその場の空気を震わせて、相手の耳に届く、と言う物理的な面がある。
しかし声量だけで聞く人の心に入るわけではない。
(説教中、睡魔が襲う場合もある。)
聴衆が説教者に対して耳を傾けていると、説教者の声から微妙にその時の心理や気合を聞き取るものである。
ちょっと準備不足で自信無げだな・・・。
内容のまとまりが悪いな・・・。
力入っているな、聴き所だな・・・。
などなど。
説教はその時・その場限りの“旬”のものである。
原稿だけでない準備も必要と思うようになってきた。
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