あなたが日本の教会に通っているクリスチャンなら、“耳にたこ”ができるほど聞いたことでしょう。
「日本のクリスチャン人口は1%」と言うことと、いつまで経ってもこの1%の壁が破れないでいる、と言うことを。
筆者の率直な反応は「だからどうだって言うの・・・。」 です。(ちょっと挑発的に聞こえてしまうかもしれませんが・・・。)
そもそもこの数字の重要性がイマイチ明瞭ではないと思います。
もちろん鸚鵡返しにこのことを言う人たち(教会指導者)は、絶対的に“少ない”ことを強調したいに違いない。だから「壁」を破りたいのでしょう。
では人口に占める割合が2%か3%になったら、もう「壁」はなくなるのでしょうか。数字の話はトーンダウンするのでしょうか。
数字に関心の高い人たちは、あるいは人口の10%を超えるくらいになったら、社会へのインパクトが違うのではないか、と期待しているのでしょうか。
また、「クリスチャンになる」、「教会に通う」ことが、少数者意識から抜け出せるようになる、と考えているのでしょうか。
今から数年前のギャラップ社による日本の宗教人口調査では、キリスト教に関心ある、好意的である、と言う人の比率が全体の6%、と言う結果が報告されています。
さらに青年層ではその比率は7%であることも報告されています。
「1%」と「6%」の数字の開きには、どんな事情があるのでしょうか。
そもそも「1%」と言う数字は、教会礼拝出席者数から割り出されている数字であろうと思います。だとすると1%の壁とは、毎年毎年教会礼拝に加わる人数と、流出する数字がほぼ均衡を保っている、と言うことではないかと思います。
教会員高齢化による召天者数比率の増加を考えると、むしろ微増なのかもしれません。
次に、教会とは特に関係を持たないが、キリスト教に関心を持ち、あるいはクリスチャンと自認している人口の方が、礼拝出席者数より圧倒的に多い、という現象が浮かび上がります。
こちらの方がよっぽど教会指導者たちが考えなくてはならないことではないでしょうか。
どちらにしても筆者の思いは、「いい加減『1%の壁』の話題はやめにしようよ。大して生産的ではないから・・・。」です。
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