2010年8月22日日曜日

私の祖先

(新約)聖書の一番最初にマタイの福音書がなかったら、聖書を読み続けるのに躓かなかったろうに・・・、とよく言われる。
ご存知のようにあの系図があるからだ。知らない人の名前がカタカナで延々と続くのである。(聖書を読み始めの人には長すぎるのだろう。せいぜい一ページ我慢するだけなのだが・・・。)

筆者の祖先と言ってもせいぜい四代前くらいまで遡れるくらいである。
躓くほど名前の数は多く出てこない。

父方の曽祖父は茨城、鹿島の出。明治期に百姓から醤油問屋に転じ、広く関東一円にその醤油を売ったと言う。
その頃はキッコーマンの前身もライバル程度であったらしい。
とにかく小嶋家においては「立志伝中の人」である。
その息子、つまり私の祖父は商才が余りなく、株に手を出し大損したらしい。父が手がけた家業を傾けてしまった人物となっている。

筆者の知る祖父は最早引退した、人のいいおじいさん、であった。
エピソードとしては、競輪がプロスポーツ化する以前、関東の一人者であったらしいこと。新物好きで、当時既にハーレー・ダビッドソンのバイクを乗り回していた人だとか・・・。

母方の方はと言えば、曽祖父は生地佐渡島から友人と手漕ぎ船で蝦夷(北海道)に渡ったのだとか。当時開拓地であった北海道の石炭鉱山ででも働こうとしたらしい。彼もやはり明治の人、皆と同様一攫千金を狙い、名を成そうと血気盛んであったのだろう。
しかしうまくいかず酒に溺れてしまったと言う。

そのような父の姿を反面教師にしたのか、筆者の祖父は、生真面目な性格で、勉学もでき、級長にもなり、やはり青年の志を持って東京に出てきた。
最初は大工からスタートしたが、書生にでもなってゆくゆくは政治家にでもなろうと思っていたらしい。
しかし彼はクリスチャンになり、牧師になったため、筆者が牧師三代目となったわけである。

そんなDNAを受け継いでいる筆者は、野心や功名心には縁遠く、特に自覚して目指しているわけではないが、低燃費人生を送っている。暢気なのである。

しかし人生50代後半ともなると、残りの人生でどれだけのことが出来るか現実的に考えなければならない場面が出てくる。
ちょっと憂鬱になりそうだが、まだしばらくは場当たり的に進んで行くかもしれない。

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