N.T.ライトの翻訳論文、第6本目となる『初期伝承とキリスト教起源』をアップしました。
初期伝承とキリスト教起源
N.T.ライトの「紹介・入門」については以下をクリック。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/NTW-dokushokai/introindex.htm
決して読み易くない英文を難儀しながら訳しました。拙い訳なので読みにくいかと思いますが、読んだだけの益は必ずあると思います。
日本においてはまだまだ知名度が低いのですが、英語で読む方々も結構増えてきているのではないかと推察しています。
「はちことぼぼるの日記」
と言うクリスチャン仲間の間では“有名な”ブログにも、今年の6月頃だったか、 N.T.ライトのことが話題になっていました。
その時のブログの書き入れコメントに、ライトが「敵を作りやすい人」、「挑発的な発言で、論争を起こす人」、と言うような残念な書入れがありました。
直接その場でコメントすることはしませんでしたが、自分のブログでライト主教のために弁明したいと思います。
私が残念に思うのは、ライト主教が「論争家」として有名になってしまうことです。
確かに挑発的な表現を用いることは少なくないのですが、基本的には誰とでも議論を楽しむことができる、それも相手の主張をできるだけ受容した上で是々非々を議論する方だと私は思います。
決して敵を作ろうなどとして自論を展開する方ではありません。
コメントで指摘されていたように、特に「義認論」に関し伝統的宗教改革的な解釈とはかなり離れて見える立場を取られています。
(神学的立場からそうなったのではなく、ロマ書の釈義的結果また、パウロ研究の蓄積の結果としてそうなったと私は理解しております。)
それが北米改革派の一部に危険視・異端視(?)される結果となっています。
自由主義神学からも保守主義神学からも非難されるほど、ライト主教は幅広く立場の違う人と議論されていることが、逆に彼の懐の深さを示していると私は思います。
最後にライトの著作のうちどれから読むかに関して。
一般的な読者の場合(ノンクリスチャンを含め)Simply Christian
霊肉二元論的な立場に対する原始キリスト教信仰の姿を今日に弁証するものとして、Surprised by Hope
After You Believeはその後に読む方が論点の方向として繋がりやすいのでは・・・。
The Challenge of Jesus はライトがPrivate Spiritualityのようなあり方を非難している理由を知るには好適かも知れません。
私が考えるにライトの矛先は敬虔主義的信仰者の霊性ではなく、その信仰がどう現実の世界に立ち向かうのか、と言うことです。
イエスの神の国宣教、十字架、復活、・・・すべて歴史=公けな場における出来事です。
真にイエスの弟子となろうとすれば、信仰の公け性から逃避することはできない、と言うのがThe Challenge of Jesus に含意されていると思います。
(公けvsプライベートと言う対立図式で理解していただければ、ライト主教がパーソナルな霊性に否定的な方ではないことは、彼が如何に教会人として祈りと礼拝を重んじていることで説明がつくと思いますが・・・。)
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