2014年3月23日日曜日

(4)ジェンダー・イシューズ(性差問題)

北米福音派教会では、カルチャー・ウォーと呼ばれる価値観の対立を軸にした「保守対リベラルの二極化現象」が続いている。

今回取り上げるのは「ジェンダー・イシューズ(性差問題)」関連でここ数年熱く議論されている「男女の性差による役割分化」の問題だ。

どう言う対立かと言うと、
(保守)・・・男女は性差によって社会的に役割が異なる。その異なる同士は相互に助け合うことにやって社会の秩序が守られる。
(リベラル)・・・男女の性差は社会的役割分化を強制するものではない。(ちょっと控えめに言えば。)

保守の立場には『コンプリメンタリアン』 と言う語が使われ、リベラルな立場には『エガリタリアン』と言う語が用いられる。

背景となるのはキリスト教国家(一応そのように見立ててください。実質は結構複雑なので、どのような意味でか、と言う限定を加える必要があるのですが、そんなことしてたら投稿できないので・・・。)アメリカが次第に世俗化してキリスト教の影響力によって伝統的に守られてきた価値観が一つまた一つと社会的に支配的な立場から退場していく過程です。

ウーマンズリブ(女性解放運動)は1960年代位からだったでしょうか、最初にメインライン教会から浸透して行ったリベラルなジェンダーに対する価値観は、最近20年くらいのうちに(アバウトです)聖書の権威を高調する神学的 に保守的であった福音派教会の中にも浸透してきます。

今や福音派教会で「保守対リベラル」の対立が表面化してきました。
先ほども書いたように「熱く議論される」ようになってきたのはここ数年といってもいいと思います。

クリスチャニティー・トゥデー誌の報道によると、つい先日セダーヴィル大学の新学長となったトーマス・ホワイトは、「今後女性教員が教える『聖書コース』履修は女子生徒に限定する」、明らかに従来より保守な方、コンプリメンタリアンな方向に舵を切った、としています。

早速保守を代表する著名ブロガー(南部バプテスト)、デニー・バーク氏は「ホワイト学長よくやった!」と記事にしています。

一方どちらかと言うとこの「ジェンダー・イシューズ(性差問題)」に関してはリベラル(福音派内でのどちらかと言えばリベラルであることをお間違いなく)な立場を取るように見える、スコット・マクナイト(そうです、あの『福音の再発見』の著者です)氏は、ホワイト学長が主張する「聖書的な立場」に疑問符を投げかけます。リンク
(※記事自体はただクリスチャニティー・トゥデー誌報道を紹介しているだけですが、コメントセクションを見ると彼がどのような見方をしているのかが伺われます。)

今回の件で一番問題だと思われるのは、この方針転換を「聖書が言っていることをそのまま言うだけだ」とあたかも「解釈」抜きで「聖書の権威」を根拠にしていることです。
In his March 10 chapel talk, Thomas White discussed the concept of headship based on 1 Corinthians 11:2-16. “We operate with the presupposition of inerrancy. So what I tell you today is not something that I wrote, I made up, or I started,” he said. “I’m just going to preach to you what the text says.”
※学校の運営母体が保守路線を強めている南部バプテストの影響下に入ってきているのではないか・・・との見通しもあります。(ジーザス・クリードのコメント・セクション)

いずれにせよ、一連の福音派内における「カルチャー・ウォー」問題では、『聖書無誤論』と『聖書解釈の実際』との関連の問題がクローズアップしてきています。

既に本ブログでも紹介した、クリスチャン・スミスのThe Bible Made Impossible: Why Biblicism Is Not a Truly Evangelical Reading of Scriptureが、聖書の権威に訴えれば訴えるほど分裂が深まるのは社会学的な観察だけでなく、論理的にそうならざるをえない、と指摘するように聖書の「解釈」が問題であることを直視しないと、対立は深まるだろうと思います。

※「聖書主義(ビブリシズム)」、「聖書主義(ビブリシズム)続」参照。
※アンドリュー・ウィルソンのThe Biggest Theological Debate of the NextTwenty Yearsも有益。

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