一応プログラムを辛うじて追っかけている。
(1日2日ビハインドになるけど。)
ところで
当教会では受難週の集会はなく、そういう意味ではキリスト教暦、教会暦に従った教会生活というのは余りない、非典礼的伝統の方である。と書いたが、たまたま目にしたサイトに、初期メソジストはレントを特に守ったわけではないことが書いてあった。(リンク)
いや非典礼的伝統というのは正確ではないな、要するに歴史が浅いのだ。
そういうハイ・チャーチな文化が薄いと言おうか。
確かにメソジストの背景はあるのですが、リバイバリズムの影響の方が濃いわけですね。きっと。
それによるとジョン・ウェスレーがアメリカのメソジストたちに残した「祈祷書・典礼書」にはレントの項目はなかったのだと。
聖公会祈祷書の主日毎の聖書箇所と祈祷文はそのままにしたが、主日の呼び方を変えたのだという。
例えばレントの最初の主日は「降誕節後第十一主日」とし、以降レント第5主日までは、「降誕節後第○○主日」と呼んだそうだ。
灰の水曜日も、聖木曜日も除外されたのだ。
なぜそうしたのか?
かすかに「適当な目的がないから」とだけ説明されていたのだ。
この記事を書いた人の推量では、要するに当時の(英国)メソジストたちは、レントのような教会暦で実践されるような事柄を、彼らの組会やソサエティーへ集会を通して十二分に実践していたからだ、と見る。
要するに二重になってしまうと言うことだ。
しかし今となっては初期メソジストたちが実践したような組会やソサエティーはなくなってしまった。
だから教会暦の伝統に従って灰の水曜日、レント、聖木曜日、グッド・フライデー、と守る需要が出てきたのだ。
うーん、少しなるほどと思った。
※この記事を書こうと思っているうちに、昨晩になってスェーデンのペンテコステ系メガチャーチの牧師がカトリックに改宗、と言うニュースが飛び込んできました。リンク①、リンク②
どうもプロテスタントの新興教会は伝統が持つ安定や安心感に惹かれるようですね。
最近エバンジェリカルの若い層がレントに関心を寄せている、とトレヴィン・ワックス氏が記事にしている。
返信削除http://thegospelcoalition.org/blogs/trevinwax/2014/03/13/evangelicals-embracing-and-rejecting-lent/