2011年1月5日水曜日

神のことば

さて、今年の巣鴨聖泉キリスト教会の「標語聖句」は
ここに腰を据えて、
彼らの間で神のことばを教え続けた。
になりました。

先日のポストでも少し紹介しましたが、キリスト教伝道の困難な日本にあって、さらにキリスト教会が現在あまり振るわない時代にあって、宣教を前面に掲げるような「聖句」を選ばせていただきました。

「神のことば」を宣べ伝える。
それは一体どう言う事か。

「神のことば」は、「聖書は神のことば」と言ったりしますが、聖書を教えることでしょうか。
あるいはもっと「聖書のメッセージの凝縮した意味」での「福音のことば」でしょうか。

では「福音」とは何か。

ここで考えなければならないのが、現在いわゆる福音派が考えるような「神・罪・救い」のような伝道メッセージなのか、それとも使徒の働きに見るような原始キリスト教の福音、すなわち使徒たちの福音(ケーリュグマ)なのか。

案外私たちは二つのものは同根であるので内容的に変わらない、と考えていないでしょうか。
突き詰めて言えば「イエス・キリスト」が福音の核であるので、イエス・キリスト様をご紹介するのが福音である、と言えばそれは同じであると言えるでしょう。

しかし別の角度から言えば、福音を語る切り口は結構異なると言えるのではないでしょうか。

近代の福音派の伝道説教をその論理に従って要約すると、大体以下のようになると思います。
①人はみな堕落の影響下にあり、罪人である。
②罪人である人間は神の怒りの対象であり、本来滅ぼされる存在である。
③イエス・キリストは罪人のための身代わりとなって十字架の上でその罰を受けて下さった。
④イエス・キリストを信じる者は罪の赦し、救いを受けることができる。

つまり、この論理は、個人の罪から救われる、実際的救済論が中心となっています。
この論理に従ってポイントを一つ一つ承認して行き、最後に「救い主イエス・キリストを個人的に受け入れる」ことで、救いが“一丁上がり”になる仕掛けです。
もし品位なくやれば、(大衆伝道の招きの時間などを見ていると)、これはベルト・コンベヤーに乗せられたような形で大衆が大量回心する便法になりかねません。
もう一つ重要なことは、この「救いのメッセージ」はイスラエルの選びと契約の歴史のクライマックスとして成就したイエス・キリストの出来事と言う歴史的視点がごっそり抜け落ちています。

筆者は使徒たちの宣教はこう言うものではなかったと思います。
彼らの福音のことばは第一にイエスをメシヤと宣言することです。
パウロは会堂に集まったユダヤ人、ギリシャ人たちに「メシヤは、あの十字架で処刑されたナザレのイエスだ」と説得したのです。
このイエスこそ神が死者の中から復活させ、神の右の御座に挙げられた方で、すべてのものの主となられたお方だ。
だからこの福音のことばを聴く者たちよ、(異邦人の場合は)偶像を捨てて、この唯一の真の主を信じ、この主にのみ従え、と勧めたのです。
信じた者たちは、「神の民」の中に加えられ、即ち「救い」に入れられたのです。

これはどんな違いなのでしょうか。福音を聞く対象が違うと言うことでしょうか。
聞く側の時代や、文化が違うということでしょうか。

現代人に「神のことば」を宣べ伝え、教える時、この違いをよく見極めなければならないと思います。

5 件のコメント:

  1. 興味深いトピックをありがとうございます。これは、「神の国の福音」と関係すると思われますが、そういう表現がここには出てきません。
    つながりがあるという前提なのでしょうか。

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  2. クレオパさん、コメントありがとうございます。
    恐らくコメント欄で回答するには長文になってしまうと思いますので今はただ簡単に「イエス」と答えておきます。
    「神の国の福音」については、実は当時のユダヤ人たちの思想・世界観・ストーリー構造の中に入らないと表面だけの理解になりかねません。近いうちに改めてブログにポストしますのでそちらを回答と思ってお読みください。

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  3. 小嶋先生、私も続きを楽しみにしています。
    この記事を拝読させていただいたあとで、そういえばChristianity Today誌の1月号にJesus vs.Paul という記事があったなぁと思い出し、読んでみました。そこには神の国を語るイエスの福音と、義認を語るパウロの福音をめぐって神学者たちの間で議論が続いている…みたいなことが書かれており、これも小嶋先生のお話とつながるのかなぁと考えていたところでした。

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  5. はちこさん、拙ブログへコメント頂いたのは初めてだと思います。没と言うご希望でしたがこちらの方はCT誌、マクナイトの論文への言及があるので残させて頂きました。
    マクナイトの方はもっと一般的な「二つの福音」問題への解決提示です。パウロの福音を「義認」に集中する場合に感じられる異質感ですね。
    彼は「ゴスペル」と言うことばで解決の道を提示しましたが、繰り返し強調していたように、Behind or underneath both kingdom and justification is the gospel, and the gospel is the saving story of Jesus that completes Israel's story.とあるように、イエスを中心に聖書のストーリーを包括的に読み解く時、分離するように見えた「神の国と義認」は一つになります。ライトはマクナイトのこの論文よりはるかにnuanced readingを提示してくれます。とても説得的です。ライトを読んだ後ではマクナイトの問題提示が人工的に感ずるほどです。まあheuristicな目的で、と言うことなら首肯できますが。

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