「クリスチャニティー・トゥデー」誌でこの問題が最近の福音主義論争において大きな火種になりそうであることを伝えている。
The Search for the Historical Adam
一般のキリスト者は依然として創世記1-3章を歴史的叙述として読むことに慣れている。
人類の祖先であるアダムとイブが歴史的な存在であることも余り議論せずに受け入れていると思われる。
しかしここに来て人類ゲノム解析や進化論的科学が立証するデータが、「アダムとイブ」が人類全体の唯一の祖先、つまり歴史個人的存在として理解するのは困難である、との見方が勢力を強めている。
「アダムとイブは神が直接創造された人類全体の祖先」とする保守的福音主義信条が最早議論抜きでは多くの知的福音主義キリスト者に通用しなくなってきている。
その推進力になっているのが国立衛生研究所長官、フランシス・コリンズ氏と、コリンズ氏が創設した「バイオ・ロゴス財団」だ。
とまあそんな書き出しでまとめられている記事だが、筆者は何しろ門外漢なので内容の細部に渡っては論評できない。是非読んでみて最近の動向を理解して頂くしかない。
そもそも一時代前の「科学と信仰の調和」は、「科学」と「信仰(神学)」との対等な関係を前提にしていたようだが、福音主義クリスチャンでありながらダーウィンの進化論を主張するコリンズ氏やその仲間たちは「科学的証拠」を伝統的な聖書理解を左右する根拠にしている、と筆者には思える。科学がリードしている。その意味で二者は最早対等ではないのではないか、との印象をもってしまうのだ。
「アダムとイブが人類の最初の夫婦」と言う概念は科学的証拠からは残念ながら肯定できない、とするコリンズ氏たちの主張は伝統的キリスト教教義の再考を促すことになる。
「神の像」「原罪」「堕落」「イエスの系図(ルカ)」「人類全体を覆うキリストの贖い(パウロ)」もそのインパクトを受けるだろう、とリチャード・オストリング記者は推測する。
「ヤングアース創造論」「オールドアース創造論」「インテリジェント・ディザイン」の立場すべてをコリンズ氏と「バイオロゴス研究所」に関係する学者たちは否定する。そして最新の科学的データに合致する知的に洗練された「神論的進化論」福音主義を推進する。
勢い関連する聖書箇所の解釈でも科学的データを重視する態度が強いように思う。
この論争はまだ学者・識者間での論争だが、一般信徒のレベルまで降りてきたらどうなるのだろうか。相当の混乱を引き起こすことが予想される。
伝統的な解釈に留まろうとする力と、科学的に開明的な理解を取り入れようとする力が個々人の心のうちで拮抗するようなことになるのだろうか。
科学的誠実さと信仰とは両立する、とはコリンズ氏の信念だが実際においては一般信徒はコリンズ氏のように科学的データをコントロールして信仰と両立させるすべを持っているわけではない。
世は(科学的)専門家の意見、それも対立する意見の間を行ったり来たりせざるを得ないのではなかろうか。
信仰的に柔軟であることは、伝統的聖書解釈や教義的信仰を変更する開明さを持ち合わせている。
しかしオストリング記者が指摘するように、これが神学的人間理解の根幹を揺さぶるとなると、果たして体裁のいい調和は可能だろうか。むしろ「科学的実証的データ」を優先させる立場に立たないと終始一貫しない、ということにならないだろうか。
「科学」と「信仰」を調和させると言うのはこの段階まで来るとそう簡単ではないように見える。
そんな懸念を覚えながらこの記事を読んだ。
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