2011年6月9日木曜日

アダムとイブの史実性の問題、追記

昨日ポストした記事に「はちことぼぼるの日記」ブログのはちこさんから、ツィッターでレスを頂いた。

昨日のCT記事でも名前が挙がっていたティム・ケラー師のCreation, Evolution, and Christian Laypeople (pdf) をはちこさん(中村佐知さん)が翻訳してネットで公開されているのを教えてくださったのだ。

一読してケラー師が、「進化論(科学)と信仰(聖書解釈及び聖書の権威)」の問題に、信徒の悩みや疑問に答え導く牧師としてこの文を書かれていることに感銘を覚えた。

牧師として、科学、聖書解釈、神学の専門家ではなくとも、それらを読みこなし、専門家の知見と信徒の疑問との橋渡しをする責務が牧師にあることを指摘されていた。

筆者はそのような牧会的局面に殆んど立たされたことはないが、彼が感ずるこの牧師の責務の大変さの幾分かは、昨日の記事で懸念として表明させていただいた。

さて「アダムとイブの史実性の問題」にティム・ケラー師の「創造と進化ーー牧会者の視点から」
はかなりの紙面を割いてその受け止め方を書いている。
ケラー師は「聖書の権威」を保持する保守的な考え方の持ち主とお見受けするが、科学(進化論、特に生物学的進化論)と聖書箇所、特に創世記の調和のさせ方は柔軟であり、対立的な立場を取らず可能な限り「自然啓示」と「聖書啓示」とをバランスさせようと努力しておられる方である、と見た。

結論としてはケラー師は「アダムとイブの史実性」を保持する調和のさせ方を選択するが、そのような立場をとっても当該聖書箇所の解釈の仕方には幾通りかの選択肢があると指摘している。

是非お読みになって、昨日の筆者の物足りない文章に対する消化不良を解消してください。

(※それにしてもこのような文章の翻訳をボランティアしてくださるはちこさんに感謝です。)

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