2010年12月31日金曜日

明日の礼拝案内

元旦礼拝

2011年1月1日(土) 午前10時30分

朗読箇所 使徒の働き 18:1-11
説 教 題 「ここに腰を据えて」
説 教 者 小嶋崇 牧師


2011年間標語聖句
ここに腰を据えて、
彼らの間で神のことばを教え続けた。
使徒の働き18章11節(新改訳)

※2日の主日は礼拝をお休みします。今年の主日礼拝は9日からとなります。

2010年12月30日木曜日

C・S・ルイス

CNNのBelief Blog欄に"Surprised by C S Lewis:why his popularity endures"
と言う記事が出ていた。

筆者は特にルイス・ファンでもない。神学校時代に「ミア・クリスチャニティー」を読んだぐらいである。
(本棚を調べたら、もう一冊「ミラクルズ」もあった。しかしこっちには殆んどマーカーが入っていないので、多分ちゃんと読んでいないのだろう。)

しかし、ルイスが依然として多くの人に読まれている、と言うことにはしばしば驚かされる。
(当ブログの「科学者と霊的真理」で、フランシス・コリンズの「ランゲージ・オブ・ゴッド」の書評めいたものを書いたが、彼もルイスの愛読者の一人のようである。)
「ナルニア国物語」の映画化も三本目が封切られたそうである。

記事によると、すでに「ナルニア国物語」を書いていたルイスが、弁護士から遺産をどうするかとの問いに、「私の死後五年以内には最早私の書いたものを読んでいる人はいないだろう」と答えたとのこと。
ルイス自身はどうやら控えめな自己像の人であったのだろう。

記事の中には、.ルイスと『指輪物語』で有名な、J・R・R・トールキンとの交友関係が不和で終わったと言うのは根拠のないものであると、ルイスと結婚した女性の息子(?)の証言を引用している。

ルイスの愛読者で興味のある方はご一読を。

2010年12月29日水曜日

原罪とキリストの救済

 先の「洗礼について」のポストは、そこで紹介した方のブログに筆者がたまたま遭遇して啓発されて書いたものであった。

ついでにそのブログにコメントを残したら、以下のような返答が返ってきた。

私がキリスト教信仰を持てない理由なのですが

1.人間には「原罪」がある
2.それをキリストが贖って人類が救われた

1は理解できますが、2がどうしても私には腑に落ちないのです。
キリストが罪を贖ったというが、人間は依然として弱く、汚くあり続けているのにどこが救われたんだ・・・と思ってしまいます。
一度に回答できるとも、又回答し切れるとも思わないが、ジャブ程度のものは書いておこうと思う。

先ず人間の現実として「原罪」を受け入れているようであることを確認しておこう。

次はキリストの贖いと原罪がどのように向き合うのか、と言う問題であろう。

この方のこのような疑問が出てくる背景には、キリストの贖いを「原罪からの普遍的、全き救済」と言う前提があるように見受けられる。

普通のクリスチャンはこのような疑問を抱かないのではないか。
それはキリストの贖いの意義を、「私の罪の身代わり」と言う個人レベルでの了解事項としているからではなかろうか。
プラス、キリストの救いは信ずる者に適用されるのであって、信じない者には適用されない。
キリストの贖いは「信仰」と言うものが介在して初めて有効となる、と言う理解が前提されているように思える。

但し、「キリストの救いを受けた者が依然として罪にからめとられている」と見るならば、この方の疑問は「キリストの救いは単に違う意味での免罪符」あるいは、原罪を抱える人間の咎(罪責感)を心理的に解消するだけで、実態においては原罪に対しては何の効力も発揮していない、と言う見方に解釈することもできる。

またここで表現されている疑問よりスケールは大きくなるが、キリストの贖いが罪に対する決定的な解決であるならば、なぜ依然として世界には罪や苦難が満ち溢れたままなのだ、という「神義論」の様相を帯びて来ることも予想される。

筆者の属するウェスレー派の「聖化論」の伝統では、新生(救われた)者に残存するアダム来の罪の問題は、「(信者が死ぬまでの間に)聖化される」ものとして理解する。その過程は漸次的な段階と危機的(瞬時的)体験との二段構えで理解されている。
どっちにしてもキリスト者は刻々罪に死んで行く者として捉えられる。

とまあ、ここまでは神学的な議論で、実際には、教会の信者を観察しながら、
「救われた」と言ったって結局同じ罪人じゃない。 じゃ「キリストの救い」を信じるのと信じないのとで何の違いがあるのよ。
と少し皮肉っぽく言えばそう言う事になるかもしれない。

すると、「キリストの救いは道徳的にも人間を変えるものなのよ。マザー・テレサやマーティン・ルター・キング牧師を見るまでもなく、確かに聖人ではないにしても、罪に勝とうとする力を与えるものよ。」と反論するかもしれない。

ただこれだけは言えるかもしれない。救いに伴う「罪の自覚(認罪)」はそれ自体が救いの過程にある事柄だ、と言うこと。
そしてこの自覚はその人をまだ実質的「聖徒」にはしないかもしれないが、「聖さ」を希求する出発点にすることができる、と言うこと。


人を「聖」へと導くのは、詰まるところ人間の窮状の正体である「罪」を自覚し、その破れに自我が砕かれ、神の一方的な恩寵を間断なく期待することではないか。

そしてこの人類と被造物の「破れた状態」、窮状からキリストは十字架と復活の贖いによって解放したからこそ、「新しい創造」「回復と癒し」への端緒につけたのだ、と言うこと。

贖われた私たちの歩みはキリストの勝利ほど圧倒的ではないにしても、「新しい人」として生きる限りその道行(目指すゴール)は確かであることを。

2010年12月27日月曜日

洗礼について

最近立ち寄ったある方のブログに自身の洗礼のことが書いてあった。

救いに関わる「イエス・キリストへの信仰」の故ではなく、自分が携わるキリスト教系組織で仕事をする手段的理由から受けたと言うのだ。
だから受洗の時の「信仰告白」は“嘘をついた”とのこと。

そう言う訳で、洗礼を受けたと言う意味では「クリスチャン」だが、イエス・キリストによる救いの信仰がないと言う意味では「クリスチャン」ではない、と言う二義的な「クリスチャン」であることを自覚しておられる方である。

この方は「内村鑑三」を研究していて、その意味で無教会的意識が影響して、良心の呵責なしに洗礼を受けることができた面もあるのかもしれない。
いやご本人の言によれば、自分の目的を達成する手段として正当化する意識が強かったようだ。

こんなことを考えていて、2008年12月に亡くなった加藤周一が、生前死の数ヶ月前にカトリックの洗礼を受けていたことを思い出した。

加藤周一の書いたものからは、およそ想像もつかないことだったが、確かに洗礼を受けたと言う事実から推察するに、老境の思想の変化があったのかも知れない、と考えたりもした。

思想的整合性の点からは、加藤は不可知論で徹底していたのではなかったか。


しかし誰にでも「信仰の飛躍」の機会はいつ訪れるか分からない。
加藤にもそう言う時が訪れたのかもしれない、とも考えてみた。

これら二つの「洗礼」は、共に“私的”な面・理由を軸に展開した出来事である、らしいことが共通している。

確かに洗礼を受ける、受けないは個人の選択である。その面では大変私的なものである。

しかし一旦新約聖書が教える、あるいは描写する洗礼と言うことから言うと、これは大変に公的なことであり、それ故信仰告白を伴う理由ともなる。

確かに実際に洗礼を受けた者の中には、筆者も含め、それほど十分な神学的理解や自覚を持って洗礼を受ける、と言うことがなかった者も多いことと思う。

洗礼は言ってみれば単純な信仰を持った時点で受ける入門式のようなものでもある。

しかしその神学的深みはパウロをして言わしめたように「メシアと一体となる」ことであり、「メシアと共に死に、メシアと共によみがえる」と言うことを表すものである。

洗礼とは斯くも重大な出来事である。

ただ人間と言うもの、こと洗礼や聖餐と言う聖礼典に限らず、普段の礼拝や祈りにおいても、意識がぼんやりと、ただ習慣的に行っていることがどれほど多いことか。
ことは「組織がやるものだから」と言うのではなく、人間のやることは案外いい加減が多い。

ただいい加減にやっていることでも、それ自体の持っている意味や意義に時々覚醒されて自覚を新たにすることがある。

知性を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、身体を持って生ける神を礼拝する、それが求められていることなのだと思う。

2010年12月25日土曜日

2010クリスマス瞑想

(※これは12/24クリスマス・イヴのメッセージ内容を覚書風に改変したものです。)

クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う時。

マタイ福音書によれば、ヨセフの子としてベツレヘムに生まれた「ナザレのイエス」はユダヤ人の王として来られた方。
東方の博士たちはヘロデの宮殿に来て尋ねた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方は、マタイによれば「ユダヤ人の王」として、ローマの十字架刑で処せられて死んだ。
また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
この「ユダヤ人の王」は宮殿ではなく、旅籠の馬小屋の飼い葉桶で生まれ、十字架刑で死を迎えた。何と言う「ユダヤ人の王」だろうか。


斯くも常識外の出生と死で括られた「ユダヤ人の王」の生涯は、特に公の宣教において、マタイはどのようにこの「ユダヤ人の王」を活写しているだろうか。

「王なる羊飼い」
この王は宮殿に住み武力で統治するような方ではなかった。
弱った人々の間に入っていかれた方であった。
散らされた羊ようなイスラエルの群集の窮状を遠くから眺めているのではなく、近くによって観察し同情された方であった。
それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
この王は傷み、散らされた羊たちを癒す方であった。そのようにして羊飼いの仕事をなされた。
葦のようにぽきりと折れそうな、今にも消えそうな灯心のような羊たちを甲斐甲斐しく黙々と介抱し癒された。
 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。
 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。
 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。
 異邦人は彼の名に望みをかける。」
「王なる羊飼い」のメシヤ像は、上掲のイザヤの預言だけでなく、エゼキエルの「イスラエルの牧者」(あるいは「散らされた羊と非牧者」)を髣髴とさせる。
「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。
彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
わたしは生きている、――神である主の御告げ。――わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきとなっている。それなのに、わたしの牧者たちは、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者たちは自分自身を養い、わたしの羊を養わない。
それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。
神である主はこう仰せられる。わたしは牧者たちに立ち向かい、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。牧者たちは二度と自分自身を養えなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らのえじきにさせない。
まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。
わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――
わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
(エゼキエル34:2-16)
「王なる羊飼い」の招きのことば
斯くも、衰え果て、弱り果てている「羊飼いのいない散らされた羊」のようなイスラエルに対して、この「ユダヤ人の王」は優しい招きのことばをかけてくださる。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
「ナザレのイエス」は、今も私たちに近づき、助け、起こしてくださる。
心優しく、へりくだった王。
私たちの求める真の王・統治者はそのようなお方である。

2010年12月23日木曜日

マタイのクリスマス・ストーリー

当教会では毎年マタイとルカの「誕生物語」を交代で朗読するクリスマス礼拝を行っている。
福音書でイエスの"infant narratives"(誕生・幼年物語)が挿入されているのはマタイとルカだけである。

ヨハネの福音書の「ロゴス」序文は、コスモロジカル(宇宙論)規模の物語で、当教会では(他の教会もそうだと思うが)クリスマス・イヴの「キャンドルライト礼拝」で導入に朗読される。

クリスマス礼拝と言うと、劇があったり、出し物があったりと、賑やかなページェントをする教会が多いと思うが、当教会では現在そこまでの余力はない。
また数年前から「聖書の朗読」を重視するようになり、それでシンプルではあるが、マタイとルカの「誕生物語」を「クリスマス・ストーリー」と言い換えて行っている。

先日19日の礼拝は「マタイのクリスマス・ストーリー」の番だった。


話は去年のことに遡るが、心身のバランスを崩して少し静養していた期間があった。
たまたまその時、朝目覚まし用に設定しているNHK・FMの「朝のバロック」で流れていた音楽にピーンと来たことがあった。

会堂を建て替えてから、音響が良くなったので、教会イベントとして適当な音楽プログラムを探していたのだが、なかなか会堂のスペースや性格にぴったりのものを企画できないでいた。

その朝たまたま耳に入ってきた楽器の音色を聞き、「これだ!」とインスピレーションが沸いた。
俄然聞き耳を立て、音楽が終わった後に紹介されるであろう演奏者名を聞き漏らすまいと待ち構えた。
その結果聞き覚えたのは演奏者の「しながわひじり」と楽器名の「ヴィオラ・ダ・ガンバ」だった。
その日のうちにネット検索で調べた結果、関係している音楽事務所まで割り当てた。
しかし演奏者の「品川聖」氏に直接コンタクトを取るサイトは見当たらなかった。

と、話が長くなったので間を省略して話すと、そのアントレ音楽事務所と言う古楽専門の事務所は品川聖氏のご両親経営のものだった。それでご両親から電話とメールの連絡先を受け取り、恐る恐る「演奏会としてではなく、礼拝の一部として演奏してもらえますか」と問い合わせたのであった。

ほどなく快諾の返事を頂いて、去年2009年の「ルカのクリスマス・ストーリー」に出演して頂いたわけである。
そして今年も、今度は「マタイのクリスマス・ストーリー」に去年に続いて出演頂いたと言う次第である。

「マタイのクリスマス・ストーリー」の中では、「エサイの根より」「かいばのおけにねている」「星をしるべに」「ああベツレヘムよ」「グリーンスリーヴス」「コヴェントリー・キャロル」などのクリスマス賛美、そしてカール・フリードリヒ・アーベルと言う、バッハとほぼ同時代のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・作曲家の曲を二曲弾いて頂いた。

去年は礼拝後に、バッハの無伴奏チェロ・ソナタを一楽章弾いて頂いたが、今年は当教会のメンバーで、女優・朗読をしている方が用意した、韓国の詩人、尹東柱の「星をかぞえる夜」ともう一つ題名を忘れたが、即興でガンバと詩の朗読のコラボを披露して頂いた。

朗読者曰く、「尹東柱の詩の切ない詩情とガンバの響きが何か合うのよねー」とのこと。


星をかぞえる夜

季節が過ぎゆく天には
秋がなみなみと満ちています

私はなんの心配もなく
秋の中の星たちをみな数えられそうです

胸の中にひとつふたつと刻まれた星を
もうみな数えられないのは
まもなく朝が来るためであり、
明日の晩が残っているためであり、
まだ私の青春が終わっていないためです。

星ひとつに思い出と
星ひとつに愛と
星ひとつに哀しみと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつに母よ、母よ、

お母さん、私は星ひとつに美しい言葉を一言ずつつけてみます。
小学校の時に机をともにした子供たちの名前と、
ペ、ギョン、オク こんな異国の少女たちの名前と、
もう子の母となった娘っ子たちの名前と、
貧しい隣人たちの名前と、
はと、子犬、うさぎ、ろば、のろ、
フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ
そんな詩人の名前をつけてみます。

この人たちはあまりに遠くにいます。
星がはるか遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島にいらっしゃいます。

私はなんだかなつかしくて
このたくさんの星明りが降る丘の上に
私の名前の字を書いてみて、
土で覆ってしまいました。

なるほど夜を明かして泣く虫たちは
恥ずかしい名前を悲しんでいるわけです。

でも季節が過ぎて私の星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
私の名前の字を埋めた丘の上にも
誇らしく草が生い茂ることでしょう。

2010年12月20日月曜日

季節の挨拶

英語でSeason's greetingsを訳すとそんな感じかな。

アズベリー神学校以来の友人たちからネット文書でやってきた。

片や一年時のルームメイト。
今は北米合同メソジスト教会の宣教師として、スペイン、マドリッド市にある神学校で教鞭をとっている。

テキサス州出身の陽気なやつ。
どっちかという内向的な筆者を色々と仲間に紹介したり、活動に加わらせたりと、面倒を見てくれた。
一年後に結婚してからも、日曜日の夜などよく一緒に食事をした。

シェフはわたし。
その頃から才能があったのかどうか、簡単でおいしいレサピーを編み出していた。
定番は味付けにイタリアン・ドレッシングを使ったスパゲティー。
アメリカで普通スパゲティーと言うと、殆んどトマトソース味のミートボール。しかもあるデンテではなくぶよぶよに柔らかく煮込んだのを食べさせられたものだ。
一風変わった感覚で喜ばれた。

今回受け取ったニュースレターでは、三人の子供のうち一番下の子が親元を離れ、夫婦二人になった、とのこと。
お互いそれだけ年を取ったのだなー、と友人の家庭環境の変化から感じ取った。

一つ大きく違うのは、片や依然として髪の毛ふさふさ。
片や白髪も増え大分頭髪が寂しくなった頭。

もう一人の友人は一年先輩のインドネシア人。
筆者の入学当時、外国人留学生会のプレジデントをやっていた、やはり世話好きで積極的なタイプ。
彼も最初は独身寮だったが、筆者が2年に上がる時に結婚して、ルームメイトと同じ宿舎に移った。

猛烈な勉強家で、朝見ると大抵半徹夜したような顔をしていた。
大学は英語専攻で、いつもきちんとした英語を心がけていた。

ルームメイトだったテキサンの方は、アズベリー後は新約学でドクターを取り、インドネシア人の友人の方は旧約学の方でドクターを取った。
現在は聖書翻訳のコンサルティングのコーディネーターである。

ニュースレターには、統括するアジア、環太平洋の国々での会議やワークショップでの活動が綴られていた。
お二人ともご活躍である。
筆者の働きぶりとは大分開きがある。

かと言ってそれ程うらやましいとも思わない。
こちらは「楽する」方に傾く傾向があり、忙しいストレスのかかる仕事は避けたい方である。

最後に、インドネシア人の友人のニュースレターに載っていた小話を以下に転載させてもらおう。
さすがに「聖書翻訳」に携わっている方が見つけたものだ。
FROM DANIEL SEE
A man and his wife were having an argument about
who should brew the coffee each morning.
The wife said, 'You should do it, because you get up
first, and then we don't have to wait so long to get
our coffee'.
The husband said, 'You are in charge of the cooking
around here and you should do it, because that is
your job, and I can just wait for my coffee'.
Wife replies, 'No you should do it, and besides it is
in the Bible that the man should do the coffee'.
Husband replies, 'I can't believe that, show me'.
So she fetched the Bible, and opened the New
Testament and shows him at the top of the several
pages, that it indeed says.............'HEBREWS'.

2010年12月18日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第四主日 クリスマス礼拝

12月19日(日)、午前10時30分より

「マタイのクリスマス・ストーリー」

特別演奏:品川聖(プロフィール)・・・ヴィオラ・ダ・ガンバ

※礼拝後、茶菓の用意があります、お時間のある方はゆっくりお過ごしください。
※年内主日礼拝はこれが最終です。
※24日(金)夕7時からのキャンドルライト礼拝が年内最終集会となります。
※元旦礼拝、1月1日(土)、午前10時30分より。

2010年12月17日金曜日

標語聖句

今年も早や年末。来年のことをいろいろと考える時期になった。
当教会では伝統的に、年頭「標語聖句」を掲げる。

旧木造の会堂の時は、横長の額に墨で書をしたためて入れていたが、新会堂となってからは、コンクリートの壁のため、また適当な場所もないため、「月定献金袋」に書いてもらっている。

大分長い間、講解説教が続いているので、標語聖句に選ばれる箇所は、その年学ぶことになる部分から選ばれている。
さて、来年はどうしようか、と現在思案中。

他の教会ではどうしているのだろう、と「標語聖句」で検索をかけてみたが、それほどどの教会でもやっている、と言うものではなさそうに見える。

やっている教会はより「モットー的」聖句を選ぶ傾向が強いようだ。
教会の目標や信徒の励まし・成長に適切な聖句を選んでいるように見える。
勢い「有名な聖句」が選ばれる、と言うことになるようだ。

現在三つほど候補がある。
一つは講解中の「ガラテヤ人への手紙」3章終盤か4章初めから選ぶ。
本来ならこれで済むのだが、最近筆者の元気レベルが落ちていて、自分自身が「標語聖句」から励ましを受け・鼓舞される必要を覚えている。

それで第二、第三の候補となったわけだ。
先に心に来たのは、詩篇16篇6節。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
この「私への、すばらしいゆずりの地」が心にかかっている。
なかなか数的に成長できない教会を抱えて、どうしても悩んでしまう昨今。
今一度「この地」を神からの「ゆずりの地」として、Claim(利権を主張)する必要を感じている。

第三の候補は、使徒の働き18章9-11節。パウロのコリント伝道の箇所。
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。
この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
どうしても「ジリ貧」を感じ消極的思考に負けそうになる。
勇気と忍耐の必要を覚えている。

腰が据わった伝道(神のことばを教える)を実践したい。

2010年12月15日水曜日

先生の横顔(3)

アズベリー神学校を卒業し、次に進んだのは米国東部ニュージャージー州プリンストンにある、長老派の名門プリンストン神学校。

その神学修士課程(Th.M.)は学生の様々なニーズに対応する便利な課程だった。
コースは一年。
論文はなし。
適当にクラスを取って次の目指す博士課程へ行くもよし。
それで学業を終えてもよし。

筆者が入学時、同課程には100以上入ったように記憶する。
留学生が多かった。
中にはカール・バルトの孫と婚約している、とか言う学生もいたっけ。

仲良くなったのはインドネシアからの留学生二人。
どちらも筆者よりかなり年配。国に家族を残しての単身留学だった。
後はルーマニアの学生ともテニスやバレーボールなどスポーツで楽しく遊んだ。

筆者は社会倫理を専門にしようと思っていたので、主たる教授はギブソン・ウィンター(Gibson Winter)教授だった。
聞いた話ではハイデガーを深く読んでいて、解釈哲学的なボキャブラリーが授業にも良く出てくるので殆んど「何の話や、これは」みたいな感じだった。

バイブルベルト地帯の超保守聖書学校を振り出しに、保守系神学校を卒業し、言ってみれば穏健なリベラル(と当時は見えた)の神学校に来た緊張もあってか、最初はウィンター教授に対し非常に警戒心が強かった。
聞きなれた聖書言語や神学用語は教授の口にはあまりのぼらず、哲学用語や抽象的な説明が多く、コネクトすることが難しかった。

一度、教授の部屋で、自分が書いた期末論文に関して意見交換する機会を持った。
まだコチコチの保守で、神学的にインセキュアー(不安で防御的)だった筆者は、自分としては珍しく熱い口調で自らの「福音主義信仰」を述べ立てた。ウィンター教授をリベラル(敵)と見立てたような剣幕で。
その時の教授の困ったような、悲しげな表情が忘れられない。
しかし、教授は議論せず、型にはまった筆者の「保守」的弁明を優しく受け止めてくださった。
筆者も言い分を明らかにした後は、却ってオープンマインデッドで学べるようになったような気がする。
やはり自分の(信仰的・思想的)殻は、段階的に再構築していくものなのだな、と後から振り返るようになったわけだが・・・。

その意味では、チャールズ・ウェスト教授の「ディートリック・ボンヘッファーの神学」クラスには大変啓発された。「コスト・オブ・ディサイプルシップ」「エシックス」「獄中書簡」、それにベートゲの「ボンヘッファー伝記」など、かなり身を入れて読むことができた。そして理解できたと思った。

ウィンター教授の授業内容は、多分に当時執筆中のLiberated Creationから来ていた。
基礎となるのは包括的な「解釈学的」パースペクティブであり、その上に社会学的、倫理学的、神学的思索を構築する、北米版「解放の神学」であった。

まあこの時には筆者の理解も浅く、伝統的な福音派の「個人的魂の救済」伝道と、「解放の神学」のような現実社会の政治社会問題を通して「福音を“実践する”」、という宣教観のギャップを客観的に把握できていなかった。

ただ「解釈学」や「現代哲学」など、アズベリー神学校では触れられなかった事柄に目を開いてくださったことには今でも感謝している。
問題は伝統的な神学科目と、これらの学問とが、どう学際的に連関するのか、と言う点にあったが、当時とてもそこまでは思いも及ばなかった。

プリンストンでの一年弱はある意味「遊び」のような気がする。
東海岸の「エスタブリッシュメント」の雰囲気は肌に合わなかったし、プリンストンの町は四季が綺麗で住みやすい場所ではあったが、なぜか落ち着く場所ではなかった。

一月頃だったか、突然勉強に身が入らなくなり、一週間ほど滅入った気分が続いた。
アズベリーを卒業してすぐ帰国した方が良かったんじゃないか。
自分はここで何をやっているのか。
思えば軽い鬱になったのかもしれない。

ここでの経験を反省して、次の(博士)課程は「教会コミュニティー」に繋がった環境で勉学できるところを選ぼうと思いが定まった。

2010年12月13日月曜日

ポストモダンを考える

文献によってでもなく、ネットによるキーワード検索によってでもなく、ただ筆者が漠然と「現代はポストモダン」であると前提していることについて。

あまりにも多様に解釈され、使用されるポストモダンという用語。

本当に自分でよく理解して使っているのだろうか。
他人の尻馬に乗るように、流行語のように、あまり掘り下げもせず使っているのではないか。

そんな反省をしてみたい。

①筆者が「ポストモダン」と言う時どんなことが一番念頭にあるのか。
恐らく思想的な面での問題だと思う。
西洋啓蒙主義の理性信仰の崩壊、といった感じかな。
「客観的真理」の確実性・普遍性が揺らいでいる、そんな文化的環境にいることが即ちポストモダン時代であると。
それは同時に反動として、「真理・真実」が個人の主観、(理性ではなく)感性的、直感的に捉えられる傾向、とも言える。
それは総合的に言えば「価値の多様性」、グローバルな次元での「多元化社会」での「合意形成」の困難さ、あるいは悲観的な展望に繋がる状況の出現、とも捉えられる。

②思想面以外ではどのような面を見ているのか。
やはり後期資本主義の爛熟型である「大量消費社会」を背景に見ていると思う。
つまり近代がもたらした資本主義を「正」と見るのに対し、その現在を「負」の視点から見ることと言える。

③モダンからポストモダンの変容とは、物語的に言えば、啓蒙主義の楽観的歴史観、社会観、人間観が、実際にモダンプロジェクトを進めた結果、予想外の状況に逢着し、啓蒙主義思想がやはり一つの神話であったことに気付き、幻滅と失望を味わっている状況、と言うことができるだろうか。

大雑把に言えばそんなことが挙げられる。

では、「ポストモダン」は西洋の思想的問題で、日本には限定的にしか適用すべきでない問題なのか、について。

思想・言論の世界で「ポストモダン」を前提しているのは西洋先進国の知識人である、と言える。
これはもう常識と言っていいだろう。
日本ではどうかと言うと、少し距離がある感じがする。

上記②で掲げた状況は日本社会にも十分当てはまる。その意味では日本もポストモダン社会の諸問題を抱えていると言わざるを得ない。
しかし①と③の自覚は相対的に希薄であり、対岸の火事のように評論されることも多いのではないか。
その点明治維新時の「和魂洋才」的問題整理のし方を踏襲している感じかな。

キリスト教会、宗教界におけるポストモダン言説の適用
 上記のような観察にも拘らず、ポストモダンは一定の市民権を得ている。
その最も顕著な例は「霊性・スピリチュアリティー」が置かれている状況が、欧米先進国と日本との間で極めて近似している、と言うこと。

これは二つの異なる文明圏が同様の現象を並行して現出させた、と言う意味ではない。
片や西洋キリスト教文明は、その字の通り根幹にキリスト教と言う精神文明があった。
しかし日本は多くの人が観察してきたように「キリスト教ほど強力な精神的根幹」がない、しかし適度に儒教的・仏教的・神道的、習合的な精神文明に支えられてきた。

欧米でのポストモダン状況の出現は、(啓蒙主義の媒介による)脱・キリスト教文明と密接に関わるが、日本における“無宗教化(非宗教化ではない)”はそれとは大分趣をことにする。
多分に資本主義社会の進行による、都市化、核家族化、等による崩壊現象と見える。

しかし彼我のポストモダン霊性の在りようは、その雑種性、個人的志向、など色々な面で重なるように思う。
孤立した個人、既成宗教(組織)に対する不信、なども似ている。


と言うわけで、キリスト教会の現代的宣教は、どの程度日本の文化状況がポストモダンなのか、安易に前提することなく、丁寧に分析しながら、対応していかなければならないだろう。

2010年12月11日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第三主日礼拝

12月12日(日)、午前10時30分より

ヘブル書の学び(18)

聖書朗読 ヘブル人への手紙 3:1-4:13
説教箇所 ヘブル人への手紙 3:1,2
説 教 題 「信仰の使徒であり、大祭司であるイエス」
説  教 小嶋彬夫牧師

《説教メモ》
モーセより偉大なイエス(3:1-6)②

※次週、クリスマス礼拝、午前10時30分より。

2010年12月9日木曜日

死別と「悲哀」

昨年4月、筆者が心身のバランスを崩したのは、更年期を迎えて運動不足など日常生活をちゃんと管理していなかった迂闊さもあるだろうが、少なくとも末期ガンの母を抱えていたことが引き金となった、と自分では分析している。(母は昨年7月召された。)

思えば「死別の悲しみ」を日々弱っていく母を前にして先取りしていたのだと思う。
抗がん剤の副作用で体調が悪い母の姿を見ていていたたまれなくなって、その場を離れたことがあった。
その日、心療内科を訪れて診察を受けた。

沈黙の中で悲しみは「悲哀」に変容する。これは一種の愛情の形です。風のそよぎにも光の揺らぎにも大切な人の存在を感じる。そうなるともう寂しくない。
これは、宗教人類学者、山形孝夫さんのことばだ。(朝日新聞夕刊、『語る人』、2010年12月6日)

母と生年が同じ山形さんは、子供の時お母さんと死別している。山形さんに「死にたい」とつぶやいていたお母さんは自死され、その後家族の中で「母の話」はタブーになったという。
山形さんも「悲しみ」を封印した。

それが40代になって封印していた悲しみの記憶を解くきっかけが訪れた。
ナイル川西岸の砂漠にエジプトのキリスト教徒コプトの修道院が点在しています。エジプト人が死者のクニと呼んできた荒野で、私は数ヵ月滞在し、修道士たち自身の物語の聞き取りをしていました。ある時、その修道院を抜け出して砂漠を歩いていました。周囲には何もない。聞こえるのは風の音だけ。そのとき、不意にだれかが私の名を呼んだ。オヤッと思いました。それが母の声だと気づいた瞬間、動けなくなりました。
このことが契機となってその後自伝的エッセーを書く中でお母さんの記憶が次々と噴き出してきて、「書きながら涙が止まらな」くなったそうです。
「懐かしい、至福の時」だったそうです。

山形さんは、この経験から、
悲しみは人間の成熟に大切な栄養剤です。その人らしさを形作るパーソナリティーの根幹になる。悲しみは新しい生き方に変化する。
と言っています。

グリーフケアー、と言うカウンセリング用語がありますが、死別の悲しみは個人差はあれ、人生の大きな経験です。筆者に言わせると、母との死別の悲しみは一種独特です。

しかし誰との死別にせよ、山形さんの言う「悲しみ」が「悲哀」に変容する体験は、時間による忘却ではなく深まり、と言う点で人生を豊かにする視点だと思います。

山形さんは今ホスピス病棟を作る活動もされているそうです。その夕刊コラムで最後に言っていることばがなかなか印象的であるとともに考えさせられます。
これまで、死と向き合うのは宗教の役割でした。現代日本で神の存在を信じるのは難しい。でも「祈り」の願望はむしろ大きくふくらんでいるのではないか。その問題にどう切り込むのかを考えています。
筆者も近年その感を強くしています。
教会に時々訪れる「祈らせてください」と言う通りがかりの方の存在がそれを物語っていると思います。

最近は「葬儀の無宗教化」が話題になっているようです。
それは日本人が無宗教になっているのではなく、既成宗教の枠外で「死」や「霊性」の問題と向き合おうとしているのだと思います。

既成宗教はこれら「個人的霊性志向」の方々とどう向き合えば良いのか。

一つの問題はキリスト教会が現在用いている「宗教言語」ではないかと思います。
キリスト教的「神」や「救い」についての表現や、言い回しが習慣的になり、現代人の心の奥深くに届くことばになっていないのではないか、と言う疑念です。
「神の愛」や「キリストの赦し」のことばが、浅薄な自己治癒用に消費されていないかどうか自戒を込めて反省する必要があるのではないでしょうか。

もう一つの問題は、自己の内面にあいまいな形で潜んでいる「現代人の霊性」ではないかと思います。
既成宗教に縛られない形で、自己の霊性と交感するリチュアル(儀式・儀礼)を、現代人は占いなど擬似宗教的なものも含んだ種々雑多なものの中で模索しているように見えます。
教会は彼らの霊的模索にどんなリチュアルを提供できるのか。
教会の伝統的リチュアルの枠組みの中で発見してもらうのか、それとも現代人の個人的霊性志向に適応したリチュアルを作っていくのか。

最後に、キリスト教的視点から言えば、このような現代人の世俗化した「霊性のありよう」に対し、教会と言う本来「霊的共同体」がどのようにその役割を発揮できるのかどうか、考えていかなければならない。

山形さんの問題提起は、現在の教会活動のありようを今一度根本から検証する必要を促しているように感ずる。

2010年12月8日水曜日

2010年クリスマス集会ご案内

  クリスマス礼拝
  12月19日(日) 午前10時30分

「マタイのクリスマス・ストーリー」

マタイ福音書1-2章朗読と音楽が織り成す御子イエス誕生物語り。

特別出演:品川聖(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

品川聖プロフィール
1976年東京生まれ。3歳よりヴァイオリンを始める。4歳より桐朋学園大学附属子供のための音楽教室入室。高校時代よりピリオド楽器に目ざめ、1995 年桐朋学園大学音楽学部古楽器科に入学。バロック・ヴァイオリンを若松夏美氏、ヴィオラ・ダ・ガンバを中野哲也氏に師事。1999年同大学卒業と共にベル ギーのブリュッセル王立音楽院に留学。ヴィオラ・ダ・ガンバをヴィーラント・クイケン、バロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケン、寺神戸亮各氏 らに師事。


  キャンドルライト礼拝
  12月24日(金) 夕7時

クリスマス・イブ、一年を締めくくる静かな聖夜。
聖書とキャロルとパーティー。

どうぞどちらの集会も、お気軽にお加わりください。

2010年12月7日火曜日

過去ポストを追加編集

11月12日のポスト、「アートな教会」

ルーマニアの農村と蒸気機関車の画像8枚と、
金子みすずの詩を一つ追加しました。

ぜひまたご覧ください。

2010年12月6日月曜日

講解説教

留学を終えて帰国し、母教会(父が牧師をする)へ帰って副牧師になってから21年が経つ。

副牧師でいた頃は、説教は月に一回していた。
最初の頃はトピカル(主題的)な説教をしたり、その時々の時宜に応じた説教をしていたのだろうか、今はちょっと思い出せない。
しかし間もなく所謂講解説教をやりだした。

最初に選んだ本は確か使徒の働きだったと思う。
月一回のペースなので全体を学び終えるのに4年かかったと思う。
この頃はまだ説教のネタ本になるような註解書や研究書を使うことなくやっていたように記憶する。

次に選んだのは「共観福音書」。
始まったのは1995年1月。
これが苦しみの始まりだった。
まだ本格的な講解説教ではなく、共観福音書の一大テーマである「神の国」にいきなり切り込もうとしたのである。

先ず、「神の国」と言う用語の登場箇所を表にしながら、マタイ、マルコ、ルカと言う区別なく、たとえ話や、癒し、悪霊の追放、と言う風に追って行った。

この頃ようやく説教のネタ本として買い求めたのが、G. R. Beasley-Murray, Jesus and the Kingdom of Godや、既に購入していた、Norman Perrin, Jesus and the Language of the Kingdom、などである。
しかし、これらの研究書は難しく、とても筆者の説教に反映させるまでには至らなかった。

そんな時手にしたのが、 Ernest Best, Following Jesus、であった。ようやく毎週の説教に反映させられる研究書に出会ったと思った。
「弟子の道」がマルコの福音書のテーマである、と言う切り口は学ぶうちに得心するようになった。

そしてようやく(筆者にとっては)本格的な講解説教となる、ルカ福音書の学びが、2000年から開始した。
その前年あたりからN. T. Wrightを読み出していた。
まもなくライトの、Jesus and the Victory of God、が講解を推進するネタ本になった。

細かいパッセージの釈義も、一世紀ユダヤ教の背景や聖書全体の文脈から関連付けられ、時に驚くような視点での解釈にも遭遇しながら、ルカ24章を走破した。
共観福音書の学び全214回中、何とルカ福音書の学びに154回かけたのであった。


ライトに至って、ようやく共観福音書の一大テーマである「神の国」の解明に端緒がついた。

そんな感触を得て、次の学びである「パウロ書簡」の学びに移ることができた。
2007年のことである。

現在、「ガラテヤ人への学び」が38回を数えているが、まだ3章の途中である。
しかし、神学的に難しいと言われる「パウロの説く福音」と「福音書の神の国の福音」の溝はあまり感じていない。
ライト的な解釈、一世紀の歴史的基盤での「神の国」理解が、福音書からパウロ書簡へスムースに繋がるように感じている。

筆者の説教の場合、「本格的講解説教」とは言わないだろうが、先ずはテキストが何を語っているのか、聖書全体の文脈的理解と、一世紀(主に)ユダヤ教と言う文化と歴史の文脈理解とを合わせながら、今後の学びを進めて行こうと思っている。

2010年12月4日土曜日

明日の礼拝案内

待降節第二主日礼拝

12月5日 午前10時30分

朗読箇所 マタイの福音書 1:18-25
説 教 題 「神我らと共にいます」
説 教 者 小嶋崇 牧師

※礼拝後、クリスマス礼拝のリハーサルがあります。

2010年12月3日金曜日

「義認」と聖書

「のらくら者の日記」ブログで、先日北米ジョージア州アトランタで持たれた三つの会議のうちの一つ、「北米福音主義神学会」でのN・T・ライト師の様子が紹介されている。「北米福音主義神学会でのN.T.ライト博士」

内容は同学会に出席されたご友人の、山崎ランサム和彦先生のご報告(私信)。

実は私の友人も同学会に出席していた。もっと簡単な内容だが山崎氏と似たような印象を持たれたようだった。

(二人の討論の相手のように)教理的に細かいポイントに近接し、神学的伝統の枠組みに当てはめて論じるのではなく、聖書全体の文脈的流れから当該箇所(聖書の義認の教理に関連する箇所)を理解する、と言うライト師のアプローチのことである。

さて、筆者はこのような学会に参加する機会は残念ながら持てないが、このような討論がいくつものブログ上で取り上げられ、詳細に論じられ、ついにはその一つにライト師自身が反論すると言う異例の機会にも接し、興味深く「その後」を追っている。

簡単だが、英語を厭わない人のためにそれらのブログを紹介しておこう。

手始めにA Justification Debate Long Overdueをお読み頂くと、今回の討論の枠組みと、討論のポイントの概観を得ることができる。

※ちょっときつい言い方かもしれないが、当初討論に招かれていたジョン・パイパー師が欠席し、代わりにトム・シュライナー師が相手を務めたのは残念である。私見ではライト師に対して最も強い反論をしているのはパイパー師であり、より聖書学者としての議論をするシュライナー師は、ライト師の相手としてはやや軽量、と言うか本当の論敵ではなかったような気がする。
それに対しこのブログの著者が言っているように、明らかに二人の相手と対論する「敵陣」にちゃんと姿を見せたライト師は、「討論を厭わない」礼を尽くしたと言える。

このブログで引用されているライト師の言葉が大切だ。

“Only by close attention to Scriptural context can Scriptural doctrine be Scripturally understood,”
次に、ライト師もコメントで加わった、デニス・バーク氏のブログ。N. T. Wright on Justification at ETS

ここではまさに「教理的に細かいポイント」において、ライト師が自説を曲げたかのように論評されている。

曰く、将来(最後)の裁き (Future Justification) に関して、ライト師が討論の間に、今まで
on the basis of (works, a whole life led) を使用していたが、in accordance with と表現を変える譲歩を示した、とまるで鬼の首を取ったかのように論評している。

コメントにおいてライト師は、自分の見方が変わったのではなく、あくまで討論の相手が自分たちの枠組みで納得できる表現を取ったに過ぎない、と言うような反論している。

実際、どちらの表現を使おうとも、ライト師側で理解している枠組みは変更されたのではないことは、ライト師が同じことを両方の表現を使っていることで明らかである、と別のブロガーが指摘していた。

しかしライト師にとってどちらでも理解が同じ表現が、“こちこち”のカルヴィニストにとっては大きな違いがあるのだと言う。


この細かいポイントを詳細に論じているポストはWhat N. T. Wright Really Said


さて、筆者はここ数年「ガラテヤ人への手紙」から講解説教をしているが、確かにライト師の「義認」とは「神の民の一員」であることを宣言することであり、宗教改革者や、その後の伝統的な義認の教理が教えるような、「信ずる者に『キリストの義』が、その人の義として認められること」ではない、とする立場を理解するのに最初は戸惑いを覚えた。

しかし講解が進むに従い、ガラテヤ人への手紙の直接の文脈(ユダヤ人と異邦人が同じ根拠で、一つの神の民を形成する、つまりアブラハムの祝福の成就)に従って理解すると、義認が問題にしているのは「個人の罪が赦され、神の前に義と認められる」との“救済論的問題”と言うよりも、ペテロがアンテオケで異邦人と同じ食卓に着き(「ユダヤ人の様にではなく、異邦人のように生活していた)、「一つの契約の民」を生きていた、と言う“教会論的問題”が主要ポイントである、と理解できるようになった。

もちろんすべてが解決されたわけではないが、先ほどのライト師の引用の言葉にあるように、聖書それ自体の文脈に沿った理解がされないと、教理の正しい解釈とは言えないのだと思う。

2010年12月1日水曜日

科学者と霊的真理

「はちことぼぼるの日記」ブログ主、“はちこ”さんとそのご主人共訳の
フランシス・コリンズ、「ゲノムと聖書」を読了した。

筆者の場合は原書、The Language of Godの方だが。

読後の感想をいくつか書き付けておくことにしよう。
主に自分のメモ用に。

やはり専門分野の「人ゲノム解読」のエピソードは面白かった。
一生かかっても終えられないかもしれないプロジェクトに“身を捧げる”科学者は偉いと思った。
NHKの番組で「プロジェクトX~挑戦者たち」と言うのがあったが、幾多の困難を乗り越えて解読に挺身する姿に感銘を受けた。

さて、著者フランシス・コリンズの霊的遍歴が間を縫って綴られているのだが、“弱い”無神論から、やがて「道徳律」の存在から神論に移行する過程で、またその後の遍歴においても、C・S・ルイスの影響が大きいのが興味深かった。
依然としてルイスの著作は無心論者や不可知論者に一定の説得力があることを改めて感じた。

この本は、その大半が「一般神論的」な意味での科学に対する霊的存在・真理(宗教)の弁証論である、と言うのが筆者の印象。
アダムとエバの歴史性や創世記の創造論の問題を取り上げるが、最終的に自身のキリスト者としての信仰を明らかにしない上での、有神論的、知的な弁証に響いた。

最後に著者は、自分の罪深さの問題からイエス・キリストの救いを信じる信仰に至ったことを証しているが、これは個人的な証としてのものであり、キリスト教の普遍的真理性の弁証ではないことは否めない。
コリンズは、個人が他宗教も含めてどのような信仰を持つかは、その人自身の問題である、と言う良い意味では知的誠実さの態度を保持するが、反面イエス・キリストと言うお方の独自性、イエス・キリストの福音の公性、普遍性に関しては一定の距離を置く、消極的なキリスト教弁証論のように感じた。

彼の信仰はある意味、「個人的な救い」の面が強く、その部分が逆に印象に残った。

全体のテーマとして「科学」と「信仰(霊的真理)」の調和を主張しているのだが、当然と言えば当然だが、やはりコリンズのこの本での使命は、信仰者に「科学(進化論)」を説得的に語ることにあるように思えた。
確かに真面目な科学者が知的誠実さを持って信仰を両立させることが出来ることも主張してもいるのだが。

寄り道になるが、コリンズの「ID(知的デザイン)理論」評価(一過的)も、そうだろうな、と思わせた。

大雑把なレッスンとしては、キリスト者はもっと科学的な知識を習得するべきことが肝要。
そうすれば無用な「科学」対「宗教・信仰」の対立はかなり防げる。

以上、雑多な感想だがまとめてみた。

筆者は今、Bill Bryson, A Short History of Nearly Everythingを読みながら、一般的科学知識・常識の欠如をいくらかでも補えるかなー、と読み始めたところ。
結構科学って読み始めるとドラマがあって面白い。
アイザック・ニュートンとか変人だったらしいし、とにかく地球の大きさや、重さを、長年月かけて実験や測量を行ってきた科学者の人生は波乱万丈、面白い。